見出し画像

【新刊試し読み】宇宙猫はラーメンの夢を見る

11月23日(火祝)に開催される第33回文学フリマ東京にて頒布予定の新刊「ちかくてとおい」に寄稿した短編「宇宙猫はラーメンの夢を見る」の冒頭試し読みです。

----------

「それでは祈りましょう。ニャーメン」
 それはもうアーメンなんよ、と心の中で突っ込みを入れながらもラーメンをすする。湯気で眼鏡が曇るので、一旦外してTシャツの裾でレンズを拭って、再びかけ直す。
 目の前のモニタには、90年代アニメを思わせるレトロな金髪の美少女キャラクターが、髪の毛をハーフツインテールにくくり、紫色の猫耳を装着し、流れ星を模した一昔前の魔法少女のようなピンク色のドレスを纏って、私と同じようにラーメンをすする。
 とは言っても、こちらが感じ取れるのは「中の人」がラーメンをすする音のみで、実際に画面の中のキャラクターがラーメンを口に運んでいるわけではない。どこからか持ってきたフリー素材のようなラーメンのイラストを、キャラクターのレイヤーの一枚上に置いて、あたかもキャラクターがラーメンを食べていますよという体を取っているだけだ。
「今日は最近リニューアル発売した麺の達人しょうゆ味ですよ。みなさんちゃんと買ってきましたか?」
 配信画面横のコメント欄では、「買った!」「近所のコンビニに売ってなくて5件目でやっと見つけた」「ラーメンおいしい?」「お口もごもごかわいい」「体壊すぞ」「食レポして」など、信者と言う名のリスナーたちが続々とコメントを投稿していく。宇宙の彼方からやってきた宇宙ラーメン教の教祖であるという設定のバーチャル配信者《スペースキャット》は、ラーメンをすする傍らで、そのコメントたちをいたずらに拾って応答する。
「よしよし、みなさん敬虔な信者ですね~」「『5件目でやっと見つけた』? うそ、売り切れてました? 私の最寄りのコンビニでは山積みされてましたけど…」「『ラーメンおいしい?』おいしいですよ~。」「『お口もごもごかわいい』えへへ…」「『体壊すぞ』? 杞憂民乙です!」「『食レポして』……あっさりとした鶏ガラスープに、黒コショウの風味が効いていてザ・夜泣きそばって感じです。めんたつだけあって麺は生麵っぽくておいしいですね。…とりあえずこんな感じでいいですか? 詳細はあとでツブヤキに纏めますから――」
 ウィスパーヴォイス寄りのアニメ声が、淀みなく信者とお喋りをする。教祖という体でありながら、設定を守っているのかいないのか、対等にリスナーと交流する姿は、観ているものに親近感を抱かせるには十分だった。
 毎週金曜日21時の定期礼拝。同時接続者数は五百人も行かない。礼拝とはいっても、宇宙ラーメン教では、みなで集まってラーメンをすすることを礼拝と呼んでいるので、言ってしまえば、ただおしゃべりをしながらラーメンを食べるだけの会である。
 スペースキャットはスープを飲み下しながら、今日あった出来事を楽しそうに発表する。ずっと前から欲しかったタペストリーが届いたこと、ラーメンを買いにコンビニに行ったら、ツブヤイターでバズっていたアイスがたまたま入荷していて運良く買えたこと、今日はいつもより早く宗教画――ここでの宗教画とは、イラストレーターとしての作品のことを、おそらく自分の設定に合わせて言い換えているものだと考えられる。中の人の本業がイラストレーターであることは、リスナーの間では暗黙の了解のようなものだ――を書き上げることができたこと。
なんでもない毎日の「少しだけいいこと」を、まるで親しい友達にでも話すかのようなテンションでお話ししてくれるので、画面の向こうのいちリスナーでしかない自分の立場を勘違いしそうになってしまう。スペースキャットにとっては、コメント欄に流れていく文字列たちだけが信者という存在の確からしさで、コメントさえしなければ、配信の同時接続者数のいちカウントとしてしか認識されない。たったそれだけの、すぐ揺らいでしまう軽い存在でしかないのに。
 でも、私にとっては、彼女がリアルタイムで楽しそうにおしゃべりしてくれるだけでうれしくて。
 ラーメンに吹きかける息や、麺を吸い込む音、咀嚼する動きと同調してもごもごと動く彼女のアバターの口、感情の波によって上下する声、テンションがあがったり驚いたりするとカッと開く瞼に宇宙色の瞳、それらのさりげない仕草の一つ一つが、彼女が、スペースキャットがこの世界に存在していることを、彼女の生を感じさせてくれる。今日も私の推しは元気に生きている――それを確認するために、いま私は生きているのだ。
「これで魂は救済されました」
 ラーメンを食べ終わったら、このセリフで〆るのがお決まりとなっている。ラーメンを食べることで救済される魂ってなんだ。食欲か。とつい脳内でツッコミを入れてしまうが、その言動のちぐはぐささえ愛しくて、自分の中で彼女の存在がいつのまにか大きくなってしまっていることを実感する。
 初めて彼女を見つけたのは、半年ほど前だった。
 暇つぶしに眺めていた巨大掲示板のおすすめバーチャル配信者スレ。ツブヤイターのタイムラインでたまに話題に上がっていたバーチャル配信者に、少しだけ興味があって。そこで熱量多めで紹介されていたのがスペースキャットだった。まだ知名度も人気も全然だけど、声が可愛くて癖になる、いま一番推してる配信者。まずは金曜の定期礼拝から観に来て欲しい――確かそんな内容の書き込みだったはずだ。書き込みに貼られているURLをクリックすると、きら星のような鮮やかな色彩と、ど真ん中で好みの絵柄の美少女が目に飛び込んできた。
 運命的にも時刻は金曜21時過ぎ、チャンネルホーム画面の一番上では、ライブアイコンと赤い枠で囲まれた生配信サムネイル。誘われるようにクリックすると、宇宙空間をイメージした画面構成、一昔前のようなデザインの美少女アバター、次々と飛び出すサブカル知識に、それを落ち着いた可愛い声で一生懸命しゃべる彼女に、釘付けになってしまった。
 私が幼少時代にやりこんでいたあのゲーム。学生時代に読み込んでいたあの小説シリーズ。最近感動したあの映画。あのアニメが放映されていたのがもう10年も前になること、このゲームが流行っていた頃小学生だったこと、幼少期に毎週観ていたアニメが最近リバイバルされたこと、それで大人向けのグッズがたくさん出て今必死に集めていること。どれもこれも身に覚えがありすぎて、まるで自分の半身を見つけたかのような、開いた穴が塞がっていくような、誰も居なかった心の中の空席に座ってくれたような、そんな感覚が、ざわざわと私の全身を支配していって――
 これは運命だと、そう思った。

----------


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?