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X100Vと春を撮り散らかすボク

寒くて色がない冬が立ち退いた後、楽しみにしていた春はあっという間にいなくなった。春というより桜かな。もう少し先だと思っていた桜の見頃は、例年からかなり早い時期に咲きだしてあっという間に持っている力を全て出し切るように満開になった。自分自身が忙しい時期と重なり、週末は天気が崩れるという不運もあって、タイミングよく撮影ができなかった春になった。
それでもボクは新しい生活を始めたここ名古屋で初めての春を経験して、どこに桜が咲いているのか調べるところからスタートしたことを考えると、そこそこいろんな桜を撮ることができたかもしれない。名古屋は、名所もいくつかあるけど街中の至る所に桜が咲いていて桜を撮る場所に困る都市じゃないことがわかった。来年はもっとキレイに撮ろうと心に決めてボクの春は終了した。

そんな街の中に自然と桜がある街、名古屋の春でボクはFUJIFILMのX100Fを手にして撮影することが多かった。以前の住まいでは桜を撮ることを目的としてたからどうしてもスペックのいい機材や重いレンズを持っていくことが多かった気がする。実際に去年はSIGMA fpやSONY α7RⅢを使っていた。

撮影にいくために車に乗るのがデフォルトだったこともあって、重くて大きなカメラを使うことに抵抗がなかった。とにかくいい写真が撮りたい思いで撮影に行こうと腰をあげてシャッターを切ってた。

重いカメラじゃない撮影スタイル

名古屋の生活は基本的に歩きになる。車を持ってきていないのもあるけど、名古屋市内の比較的真ん中に住んでいると行きたいところにはだいたい徒歩で行けてしまうコンパクトさがここにはある。だから重いカメラを持ち歩くことがどんどん億劫になってしまった。
だからこれは必然なのかもしれない。ボクの手に治るカメラはソニーのフルサイズミラーレスからFUJIFILMの高級コンデジX100Vにとって変わった。そしてX100Vは常に持ち歩けるコンパクトなカメラだからハンドストラップをつけて外出するときはいつも手に持って歩いてる。買い物にいく途中に交差点を撮影する。陸橋の下を潜るとキレイな光が差し込んでいたらかシャッターを押す。常に手の中にあるカメラはシャッターを押すことの敷居を下げてくれる。だからじゃないけど、信号待ちしているときに隣の人はスマホを見ているけど、ボクはX100Vのハイブリッドビューファインダーをのぞいていることが多くなった。

ただ必然的にボクのカメラの中には取り留めのない写真がどんどん増えていく。これは何を表現したかったのか、見る人に何を伝えたかったのか。
そんな高尚な事を考えて写真を撮っているわけではないけど、少なくともSNSにアップするような写真は人るも生産されていない状況になった。
それでもとある朝、同じようにただただ「写真を撮り散らかして」いるときふと思ったことがあってSNSに投稿した。

期間限定の住まいと写真のあり方

先にも言ったけどボクの名古屋の住まいは期間限定になる。早ければ来年度末にはボクは名古屋を去ることになる。その短い期間の間にできるだけ多くの新しい場所に訪れたいし、たくさんの人たちと知り合いたいと思っているけど、ボクの生活の大多数を占める日常の風景はどこにも記録されずに流れていくような気がした。
だからボクはX100Vを手にして自然とシャッターを押している写真が、ボクの名古屋での日常を記録するための装置として使っていきたいと思ってる。

多分ボクはこれらの写真をPCに取り込んでしまったら見直すことはないだろう。少なくとも名古屋にいる間は絶対にないと思う。今後、SNSやブログにも発信することはないと思う。それでも名古屋を離れ、今の生活を懐かしく思うときにふとPCの中をのぞいて記憶のリフレッシュをするんじゃないかな。

写真を撮る目的

世の中には色々なカメラがあって、いろんな人がSNSやブログでいろんなカメラをおすすめしてるけど、それだけ写真を撮る目的は多様化してきている。ボクも何台もカメラを持っていて、売ったり買ったりしながら少しずつカメラの入れ替えをしてきた。そうして最近、ボクの写真を撮る目的とカメラの種類が一致してきたような気がする。
FUJIFILM X100Vはそんなボクの中で「日常を記録するカメラ」の役割を担ってるカメラになった。
常に手にしているカメラX100V。かっこいいし、万能性もあるし、小さいし。悩みながらここまできたボクの日常カメラが2021年春でゴールに辿り着いた気がした。


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