中上健次論1

「中上健次の三部作について」の予説
 
 紀州の作家 中上健次の 「岬」、「枯木灘」に続く 「アキユキ」物語の最終章にあたるのが、「地の果て 至上の時」である。
 昭和に青春時代を送ったものにはこの小説のなかの「路地」なるものは、見慣れたものである。なぜなら「路地」とは、それまでの、また当時の日本社会の当たり前の生活空間だったからだ。これを世界史の段階の中で置き換えるとアジア的な世界観の支配する社会ということになるだろうか?世界史という概念は、西欧思想の一つの大きな観念的な枠組みであり、その集大成に立ち会った思想家がヘーゲルである。ヘーゲルによれば、アジア的な段階の前後にアフリカ的な時代と古典古代と呼ばれている近代がある、我が国において、このアジア的な世界観が支配した時間は大変長い。具体的に言うと嘘に転化するかもしれない危うさはあるが、あえて一言で言えば、農耕社会以後(紀元0年前後)から中上の生きた=書いた1980年代くらいまでを指すと考えられる。中上健次が、世界的な作家である意味は、このアジア的な世界が終わろうとするまさにその瞬間に、路地の天才的な語り部として立ち会ったことのように思える。同時代の作家の中で中上健次だけが、このアジア的なもの=路地の消滅の悲哀を正しく直覚していたといえるだろう。
  このアキユキ物語の大団円は、次のように展開する。
  蝿の王と言われたアキユキの実父、浜村龍造が、自ら命を絶ち、その朋輩のヨシ兄は、自身の息子の鉄男に撃たれ意識不明のままだったが、いま容態が急変し危篤に陥った・・・・。その知らせを受けとった義理の妹のさと子は、アキユキに知らせようと、傾斜地に見える下の道路を通るアキユキの乗ったスポーツカーに「『ヨシ兄が』と腕をふり声を張り上げたが、車は秋幸の優しさの表れのように早い速度で走り過ぎた。」
     
    これがさりげない中上健次の路地への鎮魂の言葉である。

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