コラム

★施釉の話
   今日は主にわたしたち考古側からの釉の話、とくに近世(江戸時代)を中心に整理して、ここに書いてみます。
近世の器は、基本的に磁器、陶器、せっ器、土器に分類されます。おもに施釉されるのは、磁器と陶器ですが、本日はこの種別に簡単に整理してみます。ご質問があれば、随時。やすだにわかることは、お答えします。
1.磁器~国産磁器が作られるのは、17世紀初頭からです。磁器焼成技術は、朝鮮半島から、九州北西部に最初にもたらされました。現在の佐賀県あたりです。代表的な磁器は、染付と呼ばれるものです。染付は、磁器の地肌に直接呉須で絵を描き、透明釉という上薬を掛けて焼いたものです。わたしたちは、だいたい1630年代くらいまでに焼かれた染付を初期伊万里と呼びます。そして、1650年までに焼かれたものまで総称して、初期伊万里様式と呼び、それ以降の磁器の染付と区別することがあります。
  磁器は畳付のみが、だいたい無釉なんですが、初期伊万里は、高台部全体が無釉のものもあります。ですから磁器のこのタイプが出たら、われわれは、もっとも古手と考えます。呉須は、酸化コバルトを主成分とする鉱物に含まれる、藍色の天然の色素なので、山呉須なんてよばれることがあります。これで下絵を描き、その上に透明釉を掛けますが、この透明釉は、イス灰釉とよばれる灰釉の一種に長石釉などを調合したものです。ちなみにイスの木は、箸の材料によく選ばれる雑木です。そして長石釉が調合される理由は、描いた絵が磁器の地肌の上でながれないで、ピタリと止める働きを持っているからなんです。この釉薬の調合の割合も磁器の生産側からは、長らく極秘とされてきたものです。何故かと言いますと、下絵がはっきりみえて磁器の肌の白さと対比されることが、染付の主要な魅力の一つです。実は染付は、元の青花とよばれた製品が、元々の手本なんですが、この真っ白い肌にきれいな青い絵が画かれた器は、器としてだけでなく、装飾美術品として人々に、特に時の権力者に渇望されたもので、日本でも最初にこの染付製作に挑んだのは15世紀にまで遡ります。瀬戸美濃地域の昔田窯という窯で、それに挑戦した職人たちが知られていますが、もちろん失敗しています。この染付は、考古学的には釉下彩と呼ばれる装飾技法に分類されます。
  少し長くなりましたので今回は磁器の釉薬に関する説明でやめておきます。次回は陶器からになります。

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