学校教育の過程で失ってきたものを取り戻す

学校教育では、全ての教科を平均的にバランスよくできるように指導されてきたことで、それぞれの個性を伸ばしていくことはできませんでした。
そしてテストでは常に「正解」が用意され、正しいか間違っているかの二択で、それ以外に答えはないというような思考にされてきたのも事実です。
ひたすら記憶することが勉強であって、テストの時に集中して覚えればいい点が取れるというシステムでしたよね。
だから本当の意味で「考える」ということを、学校ではさせてもらえなかったんです。

読み書きや計算ができるようになったのはありがたいですが、苦手な教科を克服すること、考えるのではなく覚えることを強制されたこと、平均的になることが優秀なことだと植えつけられてきたことは、骨抜きにされてきたと言っても過言ではないくらい、本来の「教育」からは程遠い質のものでした。

過ぎ去った過去のことをどうこう言っても仕方がないので、これからできることとしては、自分の感性や感覚を研ぎ澄ませていくこと、自分の個性をとことん伸ばしていくこと、自分で考えイメージすることで人生を構築していくことです。
これは今まで置き去りにされてきましたが、人間として生き生きと輝くためにはどうしても必要なことです。

社会に出てみると、「答え」がないことばかりで誰もが戸惑ったはずです。
それは本当に学ばなければならないことを、学校では教えてもらえなかったからです。
これはある意味では「政策」としての教育だったのですが、こういうことに疑問を持つことは、本来の自分の能力を取り戻すことに役立ちます。

BEGINの「島人ぬ宝」の歌詞にもありますね。
「教科書に書いてある事だけじゃわからない
大切な物がきっとあるはずさ」と。
僕がその大切な物を子供に見せるために、学校を休ませて旅行に連れて行ったのは、学校が優先順位の一番じゃないということや、GWやお盆の混んでる時期にわざわざ行かなくていいということを理解させたかったのです。
みんなが同じ行動パターンになる必要はなくて、自由にしていいということをわからせるためにね。

何のために学校には制服があるのか、何で土日に休みを取らなきゃならないのか、何で電車が混む時間に会社に行かなければならないのか、何でやりたいことを反対されるのか、そういうことに疑問を持つことって大事じゃないですか。
「世の中そういうものだ」という考えは、諦めてるってことですから。

そして今、世界的な大転換の時期を迎え、ウイルスが蔓延するという非常事態を迎えています。
こういう非常時には、みんなと一緒に行動し、みんなと一緒の考え方しかできない人間は対応できないんです。
どうしたらいい?とオロオロするばかりで。

だからこそ、感性や感覚を研ぎ澄ませ、自分で考え行動するということに慣れておかなければならないんです。
要するに世間の価値観や常識に縛られないということ。
結局のところ、頼れるのは「自分」ですから。

テレビのニュースやワイドショーなど、マスメディアからの情報はほとんど役に立ちません。
なぜなら起こっていることにフォーカスすることばかりで、地球レベルでこういうことが起きているのは、どんなメッセージなのかを読み解いてはいないし、この先どこに到達するための今があるのか理解してないからです。
ほとんど不安を煽るだけじゃないですか。

今起きていることは「強制終了」です。
何のために終了させるのか。
それはその先に素晴らしい時代を迎えるためです。

これは予定されていたことだということをよく理解し、俯瞰でこの状況を見つつ、「心」が安定するような毎日を過ごすにはどうしたいいのかを考えましょう。
覚えていなくても、この時代を選んで生まれ、こういう経験をしたいと選択したのはあなた自身なのですから。

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