見出し画像

教えてもらうことが苦手だった過去

子供の頃は習い事に通えるほど裕福な家庭ではなかったので、ピアノなどの楽器を習うことはできなかったのですが、中学の時にブラスバンドに入部して譜面を読めるようになったことで、その後は音楽で仕事をするようになってから、随分と役に立ちました。
これは本当によかったと思えることの一つです。

でも音楽に関しては、それ以降も特に学校に通ったこともなければ誰かに習ったこともなくて、ほとんど独学で楽器や簡単な理論的なことを覚えていったものでした。
当時はネットもないし、周りに音楽に精通してる人もいなかったので、ほとんど我流で、ギターのコードの押さえ方などは、後から正しい押さえ方に修正したり大変なことも多かったです。

よくよく考えると、子供の頃から誰かに教えてもらうことが苦手で、いつも自分でなんとかしていたように思います。
きっと手取り足取り教えてもらうより、自分で分析や解読をしていく、または他人がやってることを盗み見しながら、自分流で身につけていくのが好きだったのでしょう。

これは性格的なことだしそれが正しいとも思いませんが、自分でやり方を探りながら、ずっとわからなかったことがわかった時の喜びは大きいし、教えてもらって理解するのがちょっと悔しかったのかもですね(笑)

でもそれは今も続いていて、好きなことなら自分でどんどん掘り進めていくし、わからないときはその道のスペシャリストに聞くこともあるし、何よりも大概のことはネットで探せばほとんどのことはアップされています。
だから今って本当に恵まれた環境だな〜っていつも思います。

どうやったらいいかわからないとか、何から始めたらいいかわからないと言う人がいますが、それは情熱が足りないんじゃないかなって思うんですよね。本当にやりたいなら、めちゃくちゃなやり方でもいいからとにかく始めてみたらいいじゃないですか。

我流とか自分流ってとてもいいことだと思うんです。
もちろんマニュアルに沿って覚えていくのもいいんですけど、もしかしたらマニュアルを超えるやり方があるかもしれないし、それがまた主流に変わっていくこともあるかもしれない。

だから「我流だから〜」とか、「自分流なんで〜」と言う必要なないと思うんですよ。もし本流の方がやっぱりいいいって思ったら、それを取り入れればいいだけのことだし、マニュアル通り、教科書通りでなくてもいいです。

その昔、左利きなのに右利きの人用のギターをそのまま弾く先輩がいて、明らかにコードの押さえ方はおかしいんですけど、ちゃんと弾けていて感心したことがあります。
弦を左利き用に張り替えないってすごいなって。
きっと覚え始めの頃は、左利き用のギターがあることを知らなかったのかもしれないし、弦を張り替えるっていう発想がなかったのかもだけど(笑)

我流でも自分流でもオレ流でOKなんですよ。
それもその人の個性だな〜って最近よく思うんですよね。
こうじゃなきゃいけないっていう縛りが、邪魔になることの方が多いんじゃないかってね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?