消えていく昭和の文化の一つ「銭湯」

子供の頃のお風呂といえば銭湯で、家にお風呂があるというのは特別なことだと思っていました。
友達と誘い合わせて、おもちゃを持ち込んで遊んだり、近所のおっちゃん達にいろんなことを教えられたり、お風呂というより遊び場の一つという感覚でしたね。

今は各家庭にお風呂があることのほうが一般的だし、たまにスーパー銭湯と呼ばれる大衆浴場に行くことはあっても、近所の人や友人とのコミュニケーションの場所ではないので、銭湯は昭和の高度成長期に栄えた文化の一つと言えるのではないでしょうか。

東京に出てきた頃に住んでいた、板橋区や練馬区では銭湯にお世話になっていたし、一番長く住んだ下北沢にも銭湯がたくさんありました。
今はほとんど姿を消してしまい、これも時代の流れで仕方のないことですが、銭湯で育った身としては、やはり何か寂しいものを感じますね。

昨日のニュースで、『91歳の銭湯店主「胸に刺さる」閉店あいさつが話題 張り紙につづられた人生にファン惜別』という記事を見つけましたが、子供の頃この銭湯から近いところに住んでいたので、この呉竹湯の存在は知っていました。
もしかしたら一度くらい行ったことがあるかもですが、遠い記憶なので定かではありませんが。

令和になってから昭和が本当に遠くなりました。
そして残された昭和の文化もすごい勢いでなくなっていきます。
この銭湯がなくなる記事を読んで、番台の上に置いてあったテレビから流れる昭和歌謡や、「総天然色」と書かれた映画のポスター、冷蔵庫でキンキンに冷えているフルーツ牛乳を思い出し、胸がキュンとしました。



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