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自分の中での当たり前は他人にとって特別なもの

最初から持っているとか努力して手に入れたとか関係なく、人間はいろんな個性や能力があって、例えば足が速い、顔立ちが美しい、歌が上手いとか絵を書くのが上手とか、料理が得意などなど、多種多様に渡ります。

で、このことは何度も取り上げてきましたが、自分ができることや持っている能力については、本人は当たり前だと思っていることが多くて、その価値を認めていないことが本当に多いんです。

その結果、自分の能力を活かすことよりも、できないことを頑張ろうとしたりして、本末転倒になることもよくあること。
ないものねだりというか、妙にコンプレックスもあったりして、できることを活かそうとしないのはもったいないです。

例えばアクセサリーを作るのが得意だったとしても、他の人と比べてもっと上手な人はたくさんいるとか、ピアノが上手いのに人前で弾くほどのものじゃないとか、自分で評価を下げてしまって、さらにレベルアップするとかアピールすることに興味がなかったりね。

ウチの母は洋裁が得意だったので、子供の頃から家で洋服を作っている姿をよく見ていました。近所の人たちからオーダーを受けて作っていたようですが、リピーターの人たちが言うには、脇とかウエストとか、市販のものよりも余裕があることがウケていたようです。

母親は太っちょだったので、他人のものを作るときにでも、自分が着るときのように自然に余裕を持たせていたと思うのですが、それが支持されるというのは子供心に意外な発見でした。

これも一つのサンプルですが、その人にしかできない仕事ってあるんですよね。やはりアクセサリー作りでもピアノの演奏でも、その人の個性って出るんですよ。だから他の人と比べるのは意味がないんです。

そしてもう一つは、自分ができて当たり前のことが、他人にとっては特別なこともよくあること。教えてもらわなくてもできることや、他の人よりも技術の習得が早いことは才能があるってこと。
それを他の人に教えることもできるだろうし、仕事にできる可能性も高い。

個人で発信できるようになったことで、可能性が10倍になったといっても過言ではないです。誰かを頼らなくても、自分でチャンスを掴むことが可能な世の中になったのですから、今一度自分の封印していた能力や、得意としていることについて客観的に見て、その可能性を探ってみてはいかがですか?あなたが持っている情報が、他人からしたら知りたくてしょうがなかったことだったりしますから、「たかがそんなこと」とか「誰でも知ってることだ」と片付けないでくださいね。

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