アニメ、特に絶対好きになれそうなアニメが見れない病の病根の一つ

別にアニメだけじゃなくても小説や漫画、学術書でもゲームでもなんでも良いです。新しい創作物に触れられないマン達の解決のアプローチの一つとなればいいと思って書きます。 1億総鬱時代となろう系 https://note.com/stephanny/n/n9793acf3470b の話の続きというか枝分かれしたものとなります。こちらも読んでいただければ幸いです。

皆さん、新しい作品に触れていますか。僕はなかなかできません。特に、絶対に自分が好きになりそうなものを知るほど、その作品に触れるためのエネルギーが非常に重くなっているという現実を感じています。見たいよー!!

何故そうなってしまっているのか。それは疲弊する心の中で我々は無意識下で「自分の脳内にある理想の作品」を求めている点が一つにあると分析しました。これから続く文章は何故そうなるのか、そしてそうなった自分をどう受け入れ、どのように新しい一歩を踏み出していくのかという事になります。まだ重い疲弊が抜けきれない人間はそこにとどまる事も癒やされるプロセスとして大事なので留意されたし。

さて、自分は先の文章で述べた通り鬱にかかりました。そして価値による評価を求めてしまうようになった、ということが前提となっています。自分にとっての価値による評価を求めてしまうことの行き着く先、比較対象は「自分の脳内にある理想の作品の意識」となります。

前の文章でなろうが理想を具現化した優しい世界であるという事が前提にありますが、似たようなものを求めてしまっているのですね。無意識下で。そして疲弊した我々は傷つくことを恐れている。

そして自分の好きになりそうなものがあると評判を見て脳内でどのような事が起こるのか。それは作品の「理想化」です。それが現実に見て食い違う、理想より劣る事を知る事を恐れているのです。そしてそのある意味で劣るであろうという予感は必ず的中します。

その理由として非常に残酷な現実があります。「ある価値観により求められた脳内の理想の作品を現実にある作品は超えることが出来ない」という事です。脳内をまるっと完全にコピーしない限りその作品が並ぶ事はありえないからです。

なので新しいもの、特に自分が好きになれそうなものに触れる事を恐れてしまう。心の自己防衛の観点から見て非常に重要です。我々は疲弊しているのですから。

ですので、まずは「自分が疲弊してしまっており、理想のものを求めるまでの状態となってしまっている」という事を受け入れていれば良いのではないかと思います。敢えて休むということも癒やされるためには非常に大切なので。だから新しい作品を見なくてはいけないと思い、無理に活動しようとする事はないと思っています。

そしてこれからは少し癒えてから、やっぱり少し新しいものにも触れてみたいと思う人向けの対処法の一つを僕は提示します。

それは「脳内にある理想の作品を現実の作品が超える事はない」という現実の受容だと思っています。ええ。出来ません。これは絶対に。ならば新しい作品に触れる事はただ傷を生むだけなのか。

例えばそういうもんだと思えば受け入れられるというのが僕なりのアプローチです。そこはおそらく色々な方法があると思います。とにかく現実を「受け入れる」事が大切です。無意識に理解していることやなっている状態をコントロールするにはその無意識を受け入れる事がまず第一歩だからです(メンタルコントロールの方法、受け入れ法のメソッド)。そして受け入れた上で、なら自分はどのようにしていくのかということが次の一歩を踏み出す上で必要となっていきます。

僕はこの場合「じゃぁその現実を面白がればいいじゃん」となりました。僕は格闘ゲーマーであり、様々なゲームを触れ、理想のゲームなどないという結論に至りました。ただその理想ではない世にあるゲームをそのまま面白がればいい。同じように新しく触れる作品をそのまま面白がればいい。多様な作品をそのまま面白がればいい。良い点もあれば悪い点もある。ただその存在するという事の肯定は、誰にも揺るがされる事はない。そう考えると非常に強く意欲が湧いてきました。読んでくださり、先の一歩を望むようになった皆様にも皆様なりの受け入れた先の第一歩がある事を僕は祈っています。繰り返しになりますが、その場にとどまることも癒やされる上で非常に大切な事なので丁寧に自己分析し、無理はなさらぬよう願います。

疲弊した心を癒やした後、新しいものに触れやすくなる一介の手助けとなれば幸いです。

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