「本当の父親」とは何か。

さいたま市9歳男児殺害事件の犯人が、32歳の義父だと知ったとき、背筋が凍りつきました。
なぜなら、私自身が9歳の息子を育てる、32歳の義父だったからです。

私はそれ以来、この男のことが、どうしても他人とは思えませんでした。

この男はなぜ、私ではなかったのだろうか。
私はなぜ、この男ではなかったのだろうか。

「本当の父親じゃないくせに!」

息子から言われたこの一言に腹を立てたことが、男が凶行に及んだ理由だそうです。
あまりに脆く、あまりに弱い人間だと感じました。

しかし、誤解を恐れず書きますが、「本当の父親じゃないくせに!」という言葉に心を乱したこの男は、少なくとも一度は、「本当の父親」になろうとしたことがあったのではないでしょうか。
なぜなら、「本当の父親じゃない」という言葉に心を乱されるのは、「本当の父親」という問題について思い悩んだことがある人間だけだからです。

この男が息子に対しておこした凶行を、私は到底理解できませんが、この男が直面したであろう不安については、少しだけ理解できる気がします。
私自身、もしも息子にそのようなことを言われたら、どのような言葉を返せばいいのか、自分の中でまだ答えが出せていないからです。

「本当の父親」とは何か。

メディアやSNSには、「そういうときは、「お前の本当の父親は私だけだ。」と言って、抱きしめてやればいいだけじゃないか。」などと簡単に言う人たちがいます。
たしかにそれが最も誠実で思いやりのある対応だとわかりつつも、私はいつも、そもそも「本当の父親」とはなんだろうか、とどうしても考えてしまうのです。


息子は最初、私の友人でした。
次に彼は、私のライバルになり、
辛い時期を超え、私の戦友になりました。
そして最後に、私の息子になりました。

そんな彼との関係は、「父子」という単純な言葉では表現しきれない、複雑で、奥行きのある、豊潤な関係だと感じています。
彼がただの「本当の息子」でしかなかったなら、出会うことができなかったであろう感情が山ほどあります。

私はまだ、自分が彼にとって「本当の父親」と言っていいのかどうか、答えを出すことができておりません。
しかし、「ステップファミリー(子連れ再婚家庭)」と呼ばれる家族関係は、そのような「名前のつけられない関係性」に向き合い続けることで、人を成長させてくれる場所なのではないかと、最近は考えるようになってきました。

人間は、名前をつけることでその対象を理解したつもりになり、安心します。
しかし、「名づけがもたらす(かりそめの)安心感」に頼ることなく、複雑なものをただ複雑なまま捉えようとした人間にしか、見ることのできない風景というものもあるのではないでしょうか。


いま息子は、私のことを「お父さん」と呼んでくれます。
しかし、一緒に暮らすようになってもしばらくの間は、私のことをあだ名で呼んでいました。
そのことに思い悩んだこともありましたが、いま考えれば、もしも呼び名があのままだったとしても、私と彼の関係は今と大きく変わらなかったような気がしています。

すぐに名前をつけたがるのは、「問題は解決した」、「自分は理解している」、と思い込みたい、人間が持つ弱さだと思います。
大切なのは、名前をつけることではなく、複雑な関係にそのまま向き合うことではないでしょうか。
私にとって最も大切なのは、「本当の父親」になることではなく、私と息子の関係にこれからも向き合い続けることができるか、ということだけだと思っています。


最後に、亡くなった児童のご冥福を心よりお祈りいたします。


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↓この文章を書いた人。


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