今日もカフェでコーヒーを飲みながら⑧ 7.卒業の半年前、遠方通学に…

私が小学校を卒業する半年ぐらい前…、
母は、義父のY内さんと離婚し、知人の伝でH町(現在のK市)に家を借りる事になり、母と姉と私は、3人で引っ越す事になりました。
その際、祖父母は、当時まだ4歳だった妹を連れて、M町に戻って行ってしまいました…。
姉は、近所にあるO曲中学校へ転校し、それに伴い、母の旧姓のK村に戻りました。
私は母に、
「チャアは、どうするの? あと半年ぐらいで卒業だけど、近所のO曲小学校に転校するの?」
と訊かれました。
今になって考えてみると、あの時、近所の小学校にさっさと転校していれば、もしかすると、『いじめ』から解放されていたのかもしれません。
けれど、その頃の私は、『逃げる』という選択肢が、まだ思い付きませんでした。
更に言えば、
「K小学校を卒業するまで、通い続けて、私をいじめてる子達を見返してやるんだっ!」
という、変な『意地』が、この頃に芽生え始めていたのかもしれません。
私は母に、
「もうあと半年だから、頑張る…」
と言い、卒業するまでの半年間、転校せず、K小学校に通い続けました…。

毎朝、母が仕事で出勤する際、私は一緒に車に乗り、K小学校まで送ってもらいました。
下校時は、国鉄S駅(現在、JR S駅)の近くにある中央バスのバス停留所から、T区のM園方面へ行くバスに乗り、母が経営している喫茶店へ行きました。そして、喫茶店が19時に閉店するまでの間、私は、店内の片隅に座って宿題を済ませたり、店に置いてある漫画や雑誌を読んだり、お客さんがいない時は、サイフォンでコーヒーを淹れる練習をさせられたりして時間を過ごしていました。

当時、私の『意地』のせいで、母には経済的にも体力的にも、相当な負担をかけてしまったかもしれません…。

けれど…、
それでも容赦なく、『いじめ』は続きました…。

その頃、私は、バスの時間を確認する為、腕時計を着けて通学していたのですが、
「Y内っ! 学校に時計してくんなよっ!」
「校則違反だぞっ!」
と言われ、男子達に廊下で何度も蹴られた事もありました。

また、放課後、バスの時間ギリギリに学校を出ようとして、玄関で靴を履き替えていた際、いじめっ子達に絡まれ、靴を無理矢理脱がされ、ゴミ箱に投げ入れられたりして、バスの時間に間に合わない事もしょっちゅうありました。
秋冬の寒い中を、外にあるバスの停留所で1時間以上震えながら待っていた事もありました。
そんな事が度々続いたので、私は、近くの公衆電話から母の店へ電話を架け、遅くなる事を話しました。
すると、母は、
「寒くなるから、タクシーに乗って来なさいっ。タクシー代は、店に着いてから払うからっ」
と言いました。
私は、母に言われた通りにタクシーに乗って店へ行き、母にタクシー代を払ってもらいました。それも、一度や二度ではありません。
けれど、私は、バスに乗り遅れてしまった理由を、母に言う事が出来ませんでした…。


私の精神状態は、毎日の遠方通学の疲れもあり、日に日に悪化していきました…。
また、4年生から同じクラスの中で続いてきた『いじめ』に耐えられなくなっていき、私は、『生きる屍』と化していき、何も考えられなくなっていました…。

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