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福岡・長崎旅行②グラバー園で歴史を学ぶ

本日も旅日記をお送りします。前回までは柳川で川下り、そして海が1番近い駅、大三東駅に行き、三代夜景のうちの一つ、稲佐山に登った観光1日目のお話でした。

たっぷりと初日を楽しんだ私の2日目の観光は、長崎市内観光と美味しいちゃんぽんを食べること!この日もお天気に恵まれてオープンカーで稲佐山を降りて市内をドライブ。近代的な建物が立ち並んでいます。

最初に向かったのは、世界遺産にも登録されたグラバー邸、その他重要文化財を見るために、グラバー園へ。
スカイロードという移動式エレベーターで町の上まで行けるようなので、そちらへ。


行く道で、果物屋さんがあったのでカットパインを購入して、頬張りながら向かいます。

グラバースカイロードの入り口はレンガでできていました。

スカイロード入り口

皆さん、きっと正面から入られると思うのでこちら側は穴場なのか、思ったよりも人は少なめでした。スカイロードは斜めに上がるエレベーターですが、歩いて登ることもできそうでした!登ってみると、昨日登った稲佐山が見えます。更に高台にあったんですね〜

ベンチで座る猫ちゃんが。耳をカットされているので地域猫と判り近づいても全然逃げない人慣れしている猫ちゃんたちでした!




21歳でスコットランド🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿から日本の長崎という異国の地に来たトーマスブレイクグラバーさん。
グラバーさんは、修船場の建設や高島炭鉱の開設、日本人の英国留学斡旋、麒麟麦酒の全身の会社の創業にも尽力しました。

グラバーさんの銅像
和洋折衷のグラバー邸



イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿から来たオルトさんとリンガーさんと共に外国人居留地に住んでいた御三方。

グラバー邸は、1863年に建てられた最古の木造洋風建築。洋風な建物に日本の瓦屋根や土壁が使われ、石畳のベランダにはアーチ型の欄間がかかっている和洋折衷の建築。サンテラスや調度品も美しかったです。お家の前の花壇の前では記念撮影をしてもらえます。また館内では明治の衣装に着替えての撮影もしてもらえます。

2年後に建てられたオルトさんのお家は改修工事で見れず、残念。
オルトさんは、グラバーさんと同時期に来日して、中古船の販売、輸出。三菱初代社長の岩崎弥太郎さんとも交流が深く、この居留地のリーダー的存在でもあったそうです。岩崎弥太郎さんと言えば、東京上野の辺りに洋館があり、唐草模様の壁紙が使われていましたが、こちらの建物にも使われていました。

リンガーさんは、グラバー商会で製茶業務と輸出の監督のために来日。その後、貿易業務をされていました。

1868年ごろに建てられたリンガーさんのお家のベランダには御影石が使われていました。

リンガー邸

因みに長崎ちゃんぽんのチェーン店で有名なリンガーハットはこちらの貿易商のフレデリックリンガーさんの名前から来ていて、故郷にちなんだ大商人の名前をつけたそうです。このハットは、帽子の方のHatではなく、Hut、小屋とか小さな家という意味のハットですので、リンガーさんの小さなお家という意味になります。

この園の中には旧三菱第二ドックハウス、

旧三菱第二ドックハウス

旧スチイル記念学校や旧地方裁判所長官舎もありました。

また、オペラ、蝶々夫人の作者、美食家でもあったクラシック作曲家、プッチーニとヒロインを演じたことで有名な三浦環さんの石像が建てられていました。


世界的に認められた日本人オペラ歌手の三浦環さん。2000公演以上、蝶々夫人を演じられていますが、静岡県出身で学校も東京のはずなのになぜここに像があるんでしょうか?

それは、世界的に有名なオペラ蝶々夫人洋題「マダム・バタフライ」はここ、長崎が舞台になっていたからです。物語の背景は旧グラバー邸からの景色を彷彿とさせる描写。戦後に暮した進駐軍の大佐夫人もマダムバタフライハウスというニックネームをつけていたそうです。

 3人ともイギリス🇬🇧の方だからか、イングリッシュローズガーデンや花壇が綺麗に整備されていました。
なんと言ってもお花に囲まれた園の中から見下ろす景色が美しくいつまでも見ていたかったです。坂が多く、細い道や階段が多いのは広島の尾道を、港や造船所の雰囲気は横須賀や横浜を思わせました。修船場の写真を見た時は、ワンピースのリアルウォーター7だー!と違う方向への興奮もあり、長崎の街を高台から眺めながら歴史や建築に触れる素敵な時間を過ごすことができました!

次に向かうのは、こちらもまた日本最古の教会と言われている大浦天主堂です。


NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。