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友よ③


二十一歳

三度目のチャレンジで長沢が医学部に合格した春、渋谷で久美子と三人で長沢の合格祝いをした。二十一歳の大学生の誕生だった。

長沢の実家は祖父の代から続く病院で地元の名士であるが、そのことを窮屈に感じていた長沢は
「家を継ぐよりしばらくは東京で若いナースにちやほやしてもらおうかな」と、おどけてみせた。
その頃勝田は東北にいると聞いていた。

長沢の合格祝いの席で久美子は婚約を発表した。
短大を卒業して就職した会社の先輩と結婚すること。大阪に転勤になる未来の夫について行き専業主婦になること。
転勤族とは結婚したくないと思っていたけど、結局親と同じ道を歩くことになったと苦笑いをしたが、その指には大きなダイヤモンドが輝いていた。

それからは毎年届く久美子からの年賀状は久美子の花嫁姿の写真に始まり、久美子の子供たちの成長記録になってゆくのだった。

当時私が暮らしていた町に学校があった。
校庭はコンクリート敷きで、バスケットボールをするのが精一杯という広さの学校は東京ではよく見かけるものだった。
そこを通るたび、母校の広々として緑に囲まれた環境が懐かしく思われた。
その光景とともに長沢、勝田、久美子と過ごした高校時代が懐かしく思い出されるのだった。

私は一度結婚をしたけれど、一年でひとりに戻った。離婚してしばらくは長沢がよく連絡をくれて、仕事が終わってから飲みに行ったり、休日は郊外へ出かけたりしていたが、いつも話題は高校時代のことで、久美子はどうしているか、勝田は元気だろうかと、そんな話になるのだった。

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