見出し画像

友よ⑤

四十六歳

東京の桜が満開になったとテレビのニュースが伝えていた日のこと。
朝から天気の良い日だった。気温も上がり、窓を開けて春の心地よい風を胸いっぱいに吸い込んだことを覚えている。
家事を片付けながら、つけっぱなしのテレビがなにやら騒がしいことには気が付いていた。 
九州の山中で自衛隊機の事故があったようだった。
しかし気にとめる事もなく、何度もテレビの前を行ったり来たりして、洗濯物を干したり、掃除機をかけたりして出かける準備をした。

いつも通りに会社に行き、広い社食でお昼を食べていた時、社食のテレビに朝にも見た山の景色、事故のあった山の様子が映し出されていた。
しかしすぐに話題は桜に移り、緑深い山から上野公園の映像に変わった。

帰りの電車の中で、駅前の夜桜の写真でも撮って帰ろうと考えていた時に着信があった。
マナーモードにしていた携帯はただ単調にブルブルと振動した。
久美子からの電話だった。
久美子から電話がかかってくることは珍しいことだった。連絡を取り合う時はラインだった。
電車の中なので出ることができなかった。乗り換えの時にこちらからかけてみようと思った。
またすぐに久美子から着信があった。何があったのだろうと思ったが、混雑した車内では話せない。
あと一駅で乗り換え駅に着く。
もう一度着信。
電車のドアが開くのがもどかしかった。通話ボタンを押したのと同時に久美子からの電話は切れてしまった。
駅の階段を下りながら、今度は私から久美子にかける。
ワンコールで久美子はでた。
「久美子、電話に出られなくてごめん」
「いいの。私こそ何度もかけてごめん」
落ち着いた声だった。妙に落ち着いた声だった。その冷静さが、引っかかった。
何が起きたのだ。何を久美子は伝えようとしているのだ。
「テレビで自衛隊の飛行機の事故のニュース見た?」「自衛隊の飛行機の事故?」
「そう、鹿児島の山の中」
山の中。そうか、あのニュースの映像は鹿児島だったのか。山肌がえぐられていた山の様子を思い出した。「あの飛行機に勝田くんが乗ってた」
久美子が何を言っているかわからなかった。
「鹿児島って。勝田くんは入間にいるんじゃないの」
「そう、でも鹿児島で飛行機が墜落したの。まだ乗ってた人の名前は報道されていていないけど、間違いないって」
久美子は地元に住む同級生から連絡を受けて、私に電話してくれたのだった。
「長沢くんは知ってるの?」
「わからない。電話かけてるけど繋がらない」
「わかった。ありがとう、久美子。また何かわかったら教えて」
そう言って久美子との電話を切った。

勝田の乗った飛行機が鹿児島の山の中で墜落した。
入間基地所属の勝田がなぜ鹿児島で飛行機に乗っていたのか。
もし関東近辺で自衛隊機に何かあったと報道されたなら、一番に勝田のことを思い出し、安否を確認したに違いない。
でも鹿児島は遠すぎる。
私も長沢に電話をかけた。コールは続くけれど長沢は出ない。
長沢なら何かもっと詳しい情報を、別の情報を知っているのではないかと思った。
今私が久美子から聞いたことは間違いだと、長沢なら言ってくれるかもしれないと思った。

どうやって乗り換え駅からもう一度電車に乗り、最寄駅までたどり着いたの覚えていない。
気が付くと駅前の満開の桜の下にいた。
いつも通る道の、今朝も通ったこの道の、ついさっき、写真を撮ろうと考えていた桜の木の下にいた。
街灯に浮かび上がる桜。

また着信。今度は長沢だった。
「勝田のこと俺も今聞いた。信じられない。なんで勝田が鹿児島にいたんだ」
「本当に勝田くんなの?」
「わからない。とにかく地元の連中にもっと詳しく聞いてみるよ。勝田の実家に近いやつもいるはずだから」
「うん、お願い」
「勝田のやつ、なんで鹿児島に・・・」
「違うかもしれないよね、勝田くんじゃないかもしれないよね」
「わからない。何かわかったら連絡するから、待ってて」
「うん、待ってる。お願いね」
長沢が取り乱したことなど一度もなかった。何が起こってもどうにかなるさといつも言っていた。
でも今日の長沢は違った。
その証拠に今日の長沢は九州弁ではなかった。
故郷を離れて長い年月が過ぎると、お国言葉も出なくなる。
差し迫ったとき、とっさの時には懐かしい言葉ではなく、普段日常的に使っている言葉が出るものだ。
今日は私も長沢もそして久美子も九州弁ではなかった。

かすかな風が薄紅色の花びらを纏った枝をゆっくりと右へ左へと揺らしていた。
勝田はもうこの世にいないのか。
勝田は、勝田は、勝田は・・・
信じられない、信じたくない。こんなことが起こるわけがない。
まだ私たちは若い。まだこの世を去るような年齢ではない。
年齢など関係ないかもしれないけれど、勝田がもうこの世にいないかもしれないなんて・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?