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記憶の旅路


不思議な生き物がこちらを見ている...
見たこともない姿にも拘わらず、どこかで会ったことがあるような気がするのは何故だろうか...

首を振りながら、付いて来い… というような素振りで彼は足を鳴らした...そして私は目を閉じた...

通り過ぎた思い出のなかに半開きの扉が見えている...ざわめきに吸い寄せられるように扉をぬけると、ひんやりと湿った風が顔に触れた...
幾重にも畳み込まれた空間を貫くように風が走ってゆく...迷い込んだのは森の中だった...

鏡に囲まれた空間のように入り乱れた森の中は、幾つもの時間が風となって吹き抜けていた...風は頬を撫でてゆくのに、揺れる樹々には何故か触れることはできない...まるで次元の鏡のなかにいるような… 不思議な感覚に身を任せながら立ち尽くす私の後ろで、彼は言った...
「あの樹の向こうで待っている… 」 と...

気配は感じるのに姿は見えない...足音だけが前方に遠ざかってゆく...高台の樹に辿りついた私を待っていたのは、嘗てのわたしだった。
驚きだったのは、もうひとりの私に出遭ったことではなく、懐かしくも待ち焦がれていた私の感情の色だった...

何も言わずに差し出された物を受け取った私は、ずっしりと重い感触に驚き見上げると、もうひとりの私は消えていた...遠くで声がした...
「それは私からの遺産です...」 と...

言葉もなく立ち尽くす私に案内人の彼は言った...「あなたは未来の貴方からの遺産を託されたのだ… 」 と...
過去の私ではなく、未来のわたし...
手に残ったのは古びた一冊の書物だった...

あの時、開くことのなかった書物に...あの時、渡ることのなかった橋の向こうに...あの時、風が叩いた窓の彼方に...もしかしたら、幾つものわたしが存在しているのかもしれない...

古びた書物を開くと、そこには何も書かれてはいなかった...さらに捲っていくと何かがはらりと落ちた...それは小さな繭玉のようだった...
古びてはいてもほんのりと淡い色を宿した繭玉は七つあった...

「未来の貴方は、その繭のなかで姿を変えて未来へと羽ばたいて行ったのだ… 」 と彼は言った...
繭玉... 遺産... 未来のわたし...

私はハッとして目を開けた...どのくらいの時間だったのだろうか...或いはほんの一瞬の時間だったのかもしれない...
おとぎ話のようでありながらも、不思議なほどの存在感を帯びてよみがえる、あの時の書物の感触...

確かめるように私はもう一度目を閉じた...
内側から眉間に広がる微細な振動とともに、淡い光が乱舞した...
身体が粉々になりそうな感覚のなかに現れた丹光は、どこかあの繭玉の色を思わせた...

その絃で歌いなさい...

頬を撫でていった風が、そんな言葉を囁いた気がして目を開けると、彼は僅かに微笑みを返していた...意識では辿れない記憶の森のなかに埋め込まれた未来が、いま鼓動を打って息づいている...

七つの繭を糸にしてなにを歌えばいいのか...
弦を爪弾くのか...絵筆に託すのか...ことばを織るのか...

記憶を辿る旅路は、いつしか未来へと続く旅に変わっていた...時間のスペクトラムのなかに描かれた未来が、いま動き出したのかもしれない...
最終楽章に相応しいテーゼとして...








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