古代小説の魅力〜アプレイウス『変身物語』より「クピドとプシュケ」〜
古代ギリシア・ローマ文学において小説が現れたのは遅く、それはおそらくヘレニズム時代であると考えられている。そして、隆盛をむかえたのは紀元後2世紀以降である。
そのうえ、現存する作品もかなり少ない。ギリシア語で書かれたものでは、完全に残っているものは五つのみだ。そのなかで最も有名なのがロンゴスの『ダフニスとクロエ』で、これは恋愛小説である。
いっぽうラテン語では、ペトロニウスのピカレスク小説『サテュリコン』(紀元後1世紀)が最初の小説と考えられている。これは第14、15、16巻の一部のみが現存する。
ラテン語の小説でただ一つ完全に残っているのが、アフリカ出身の作家アプレイウスの『変身物語』あるいは『黄金のろば』(こちらの呼び名のほうがよく知られているかもしれない)で、これは紀元後2世紀の作品だ。
『変身物語』は、ろばに変身した主人公ルキウスが繰り広げる冒険譚であり、最後にイシス女神の力で無事人間の姿に戻ったルキウスは、女神に帰依する。
アジア風弁論との類似が指摘される文体で書かれた、この聖と俗が入り混じる猥雑な物語は、キリスト教神学を確立した教父アウグスティヌスをも魅了した。(『黄金のろば』という呼び名はアウグスティヌスの『神の国』に見られる)
この小説に挿入されている「クピドとプシュケ」の物語は、愛と美の女神ウェヌスに妬まれ、その息子クピドに愛された、ギリシア語で魂を意味する名をもつ美しい娘プシュケの数奇な運命を描いている。
プシュケは、女神ウェヌスが与えたさまざまな試練を乗り越えて、最後にはクピドとの正式な結婚を許され、神々の一員となる。
この魅力的な物語は、たくさんの芸術家たちにインスピレーションを与えてきた。
フランソワ・ジェラールの絵画『プシュケとアモル』、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの絵画『クピドの庭に入るプシュケ』や『黄金の箱を開けるプシュケ』、アントニオ・カノーヴァの彫刻『アモルのキスで目覚めるプシュケ』がとくに印象的だ。
また、イギリスヴィクトリア朝時代の文人ウォルター・ペイターもこの物語を愛した人間の一人で、彼は歴史小説『享楽主義者マリウス』にこの物語を取り入れている。
そして、忘れてはならないのが、イギリスの詩人ジョン・キーツの詩『プシュケへのオード』と、ベルギー生まれの作曲家セザール・フランクが作曲した交響詩『プシュケ』だ。
「クピドとプシュケ」が影響を与えた芸術作品はこのほかにもたくさんあるが、残念だけれどもとても紹介しきれない。それにしてもここまで多くの芸術家たちに影響を与えた物語というのはそう多くはないだろう。その点でこれは稀有な物語だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?