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どん底から一緒に這い上がってくれた猫と、その旅立ち

コンサル一年目でボロ雑巾のように死にかけていた頃、同じく死にそうな猫を飼った。やせこけて、猫カビで肌はぼろぼろ、腸はウリザネに食べられて弱っていたものの、とってもきれいな猫だった。

猫と暮らすのは初めてだったけれど、東京砂漠でひとりぼっちな者同士、私たちはたぶん気が合った。猫カビが治るまで毎日シャワーと除菌をしなければならず、しかし猫が水を好きなはずもなく、その時間だけは不憫でつらかったけれど、猫にしかうつらないはずの猫カビが私に生えた時はひたすら笑った。皮膚科の先生も笑いながら、写真を撮りまくっていた。ちょっと。

猫はどんどん健やかになり、美しくなり、私の足音を覚えてくれた。疲れ果てて帰ってくると、ドアの向こうからかすかな鳴き声がする。ちょこんと待ってくれている姿は何より愛おしかった。たとえそれが、モンプチ目当てだったとしても。

自分が望んだ仕事で、上司にも同期にもクライアントにも恵まれた。女ゆえの理不尽を感じたことはもちろんあったけれど、女ゆえに得したこともあるわけで、プラマイゼロである。だから、私は不幸じゃないと頭では分かっていた。

でも常に自分の力以上の仕事をして成果を出し続ける生活は、私には向いていなかったのだろう。納期を間違う夢、目標達成できない夢、とんでもないミスをしでかす夢に毎晩うなされた。一人暮らしの狭い部屋にどんどんたまっていく洗濯物にうもれながら、お母さんに会いたいようと泣く日々。

今思えば、上司に相談すればよかったし、同期に弱音を吐けばよかった。帰省すればよかったし、家事代行を頼んで寝ればよかった。悲劇のヒロインやってないで問題を解決すべきだった。仮にもコンサルなんだもの。でもそんなの、図太く育った三十路の今だから言えることであって、22才の私は孤独で弱くて、ただただ猫のおかげで生き延びたんである。

涙をなめてくれる、ザラザラの舌。
毎晩、足の間にはさまってくるやわらかな体。
なぜか寝起きの顔に押しつけてくる、おしり。

スティックシュガーを床一面にばらまいたり、出かける直前に毛をスーツに吐いたり、久しぶりに6時間寝れる!と倒れこんだら朝ごはんだと起こされたり、散々なこともすべて面白かった。日常に色が戻ってきた。

寂しがりやの猫ともっと一緒にいたくて、ついに転職した。コンサルで鍛えていただいたおかげで、仕事には困らなかった。必死で働いた数年間は、無駄じゃなかったのだ。

そして、友達の誰にも懐かなかった猫が、最初から姿を現して心を開いたのが、今の夫である。この人よ!と教えてくれたんだろう。

猫のおかげで、私は自分に合った暮らしができるようになった。もう、お互い死にかけじゃない。猫は太ったおばあちゃんになり、私はよく笑うおばさんになった。

娘を見守ってくれたのも猫だ。産院から帰ってきてはじめて顔合わせをした時、神妙な面持ちで娘をのぞきこんで、寝顔から少し離れたところに丸まった。面倒を見る相手が増えたと思ったんだろう。娘のそばには、いつも猫のしっぽがあった。優しくて静かで、相変わらず美しい猫。

それなのに、突然、逝ってしまった。

急に様子がおかしくなった猫を抱いて、一番信頼できる病院へ急いだ。できることはもう何もないのだと告げられ、人目も憚らず泣いた。嫌だ、嫌だ、猫又になって。まだ一緒にいたい。私の一番の友達。大事な大事な友達。置いていかないで。

病院を出たとたん、私の腕の中で小さく伸びをして、猫は旅立った。ほらね、病院もいけたし、あなたのせいじゃないんだからね、とでも言うように。最期まで、私のために無理をさせてしまった。

私はもう1人じゃない。優しい夫がいて、守りたい小さな命も授かった。おばさんになった代わりに厚かましくなって、ずいぶん生きやすくなった。もう洗濯物にうもれて泣くことはない。

でも、一番苦しくてつらくて寂しくて、どうしようもなくひとりぼっちで救いのない暗い夜、一緒にいてくれたあなたは、もういない。いくら泣いても、ザーリザーリとなめてくれることはないのだ。

小さな棺に、猫の好きなごはんとお花をたくさんいれた。思いを綴ったら10枚になってしまった便箋の上に、いつもは手紙なんて書かない夫が1枚小さなメモをのせた。

また、うちの子に生まれておいで。

たったそれだけの文字に、おかしくなるほど私は泣いた。そうなったら、どれだけいいだろうと思った。またあなたに会えたら何もいらない、と思いかけて、いや、何もいらないなんてもう言えないと気づいてしまう。猫が私にくれたもの。捨てられないほど大事なものが、もう私にはたくさんできてしまったのだ。

いつか人生を全うした時、虹の橋で会えるだろうか。伝えられなかった、たくさんのありがとうとごめんねを、言えるだろうか。
私の招き猫になってくれた、あなた。あの時代にはなかった「ちゅーる」、たくさんたくさん持っていくからね。




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