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私はいつまで私でいられる

 10〜20年前と比べて、皆さんは変わらない自分を持っていますか?「時間」は、私たちの存在そのものを変えてしまうような気がしています。今回は、そう考える理由について書いていこうと思います。

1.自分を形作るもの


 私たちを形作るものは一体なんだと思いますか?きっと、この答えに本当の意味で辿り着くことはないと思います。必ずしも、ものに意味があるとは限りません。ただそこにあるという事が大切なこともあると思うのです。

 しかし、人間は様々なものに理由をつけたいと思うものです。そうしなくては、そのものを理解ができないと思ってしまうのでしょう。私もほとんど全てのことに意味を持たせたい人間ですから、その気持ちは痛いほどわかります。

 では、自分を形作るものは何なのか。私は「記憶」、「考え方」、「周りの環境」だと思っています。中でも1番私が重要視鋳ているのが「考え方」です。頭で考えていることが「他人と一語一句同じ」と言うことはないでしょう。そのため、自分独自を作り出す力が「考え方」にはあると思います。

 他の2つは、この「考え方」に大きく影響を与えます。「記憶」は経験と言い換えてもいいでしょう。経験をベースに私たちは物事を判断します。初めての出来事であっても、似た出来事を基準にして考えています。これは皆さんも共感できることだと思います。

 「周りの環境」は、心の余裕に関係します。周りへの気配りは、どれだけ余裕があるかが大きく関わると思っています。この余裕は、周りの環境によって奪われるものです(心の余裕が失われてしまうほどの環境に身を置くぐらいならば、余裕を持てる環境に移動することも選択肢として持つべきだと思います)。

 そして、この余裕は疲労や感情などによって大きく変わります。これは、周りの環境やその時の状況によって、他のものに目を向けられるだけの余力ができるかどうかのことを指します。そのため、余裕があると無いとでは周りの人が感じる自分という人間の評価が大きく異なると思います。

2.私はいつまで私でいられるの

 自分が自分であると言うことを証明することは難しいです。しかし、自分が自分で無くなるのがいつなのかについては、考えることができます。皆さんも一緒に考えてみてください。

 どうでしょうか?どんな答えが思いつきましたか?ぜひコメントで教えて欲しいです。

 私が思うに、自分を失うのは人の真似が人のコピーになった時だと思います。人は成長する過程で、たくさんのことを学びそれの真似をします。そうすることで人間社会というものを学んでいくと思うのです。

 しかし、いきすぎた真似はその人のコピーへと成り下がります。これはオリジナリティーがなくなると言えます。皆さんが持つオリジナリティーこそが、皆さん自身なのではないでしょうか。

 私はブログを通して、自分という存在を発信しています。ここに書いてある考えは全て、私のオリジナリティーと言えます。皆さんが友人や家族と話す何気ない会話も、それが自分で考えついたものであれば、貴方のオリジナリティーになるのです。

3.終わりに


 いかがだったでしょうか。この私の考えが、少しでも皆さんの中に残ってくれたらとても嬉しいです。その考えを自分なりにまとめ、いつか誰かに話してみてください。きっとそれは、あなただけのオリジナリティーを生み出してくれると思います。

 皆さんからのスキ、コメントいつでもお待ちしてます。また次回のブログでお会いしましょう。

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