娯楽は飽和している
前回「娯楽は飽和しない」と言うタイトルのブログを投稿しました。そこで書いたように、娯楽を消費する側からすると娯楽は飽和しないと思います。まだ読まれていないか方は是非読んでみてください。
しかしブログという娯楽を提供している私を含めた娯楽提供者からすると、娯楽は飽和していると思います。今回は、なぜ私がそのように考えるかをお伝えしようと思います。
1.娯楽は提供され続けている
「娯楽は飽和しない」で書いたように、現代は娯楽が多く提供される社会となりました。これは娯楽の提供者からすると「絶えずライバル作品が世に出ている」という事です。
この瞬間にもたくさんのが提供され続け、その提供された娯楽によって消費者たちの持つ時間を奪っていきます。この「時間」が有限である点が悩ましいものです。
「隙間時間」や「休日」に人は娯楽を楽しみます。この時間は人によって使える総量が違いますが、暇な時間を満たしたいときに娯楽を楽しむことは変わりません。つまり娯楽の提供者は、この「時間」を自分の作品に使ってもらう必要があるのです。それも「他の提供者がいる中で」です。
その上、過去の娯楽作品も消費者の時間を奪っていきます。つまり「過去の娯楽提供者」とも戦わなくてはなりません。かけることのできる「時間」や「お金」が全く違う人たちとの戦いは、想像よりも過酷です。
2.娯楽は飽和している
現在出回っている娯楽作品を全て閲覧しようと思うと、人間の寿命では足りません。これが「娯楽が飽和している」と言える最大の要因です。
その上、娯楽作品は新しいものが出続けている現在はまさしく「娯楽は飽和した」と言って差し支えないのだと思います。そんな状況であっても新しい娯楽が生み出されているこの状況は、異常のようにも感じられますね。
ですが、異常とも思えるほどの娯楽作品を生み出してもなお、新たな作品を求めてもいるのが人間なのだと思います。それが「閲覧」なのか「創作」なのかは人それぞれですが。
私は「自分が生きた証を残したい」と言う気持ちで皆さんに私の考えをお伝えしています。人間の考え方には身の回りの世界が大きくかかわっていると考えています。そのため、このブログを読んだ方に考えるきっかけを持っていただければと思います。
3.終わりに
いかがだったでしょうか?今回は娯楽の提供者目線で娯楽の飽和について書いてみました。改めて文章にしてみると、自分がとても難しいことに挑戦しているのだなと思いました。それと同時に、このブログをご覧いただいている皆様に感謝申し上げます。
これからも皆さんにたくさんの私を知っていただけたらと思います。また次回のブログでお会いいたしましょう。
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