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#5【テニス部の思い出】

こんにちは。

自分が「テニスを始めたのはいつ?」と聞かれた時は「中学の部活から始めた」と答えますが、ラケットを初めて持ったのはもう少し前、小学生の時でした。

テニスを始めた時期

なぜ中学から始めたと答えるかというと、「競技テニス」を始めたのは中学からだからです。

小学生の時にやっていたのはお遊びテニス、試合に出たことも出ようとしたこともありませんでした。

中学生になってテニス部に入ったのが自分のテニス人生のスタートだと思っています。

テニスというのは野球やサッカーなどと違って、「テニスしたことある」という人の中で競技人口の割合はおそらく低いです。

「テニス人工」は多いかもしれませんが、運動することを目的にテニスをしている人と、大会に出て勝つことを目標にテニスをしている人では前者の方が圧倒的に多いです。

自分もそんな中の一人でなんとなくテニスをしたことがあった、というのが小学生まで。中学でテニス部に入部してからはガチの競技テニスの世界に入って行きました。

名門テニス部

自分が所属していたR中学庭球部は、入部する直近3年間全て団体で全国大会に出場、準優勝、準優勝、悲願の全国制覇を果たし、その翌年に入部したのが自分たちの代でした。

顧問のN先生はとにかく厳しく、遠くから姿が見えただけで緊張感が走るような、そんな先生でした。でもN先生が顧問で指導してくださったおかげで今があると思っています。

初試合

自分の初めての試合は今でもよく覚えています。

都大会の個人戦、シングルス1回戦6−2で勝利、しかし次の2回戦で敗退…。

1回戦勝った時は、自分的には嬉しかったが先生には褒めてもらうこともなく、次で負けた時はなにやっているだというリアクション、まあそれだけ期待されていたということだったと思います。今思えば東京都の2回戦負けなど、どれだけしょぼかったんだって話ですが、それが自分の初試合でした。

先輩の試合をみて

部活テニスは団体戦がメインで、団体戦で勝つことを日々の目標として練習しています。1年生の時は入部してまもなくのことでしたが、2年になってからの団体戦は、1年以上一緒に練習をしてきて、どれだけ強いかよくわかっている先輩たちがどこまで勝ち上がるのか、自分を重ね合わせながら応援しました。

結果は全国団体戦ベスト8

あの負けた時の相手校は、大阪の名門S高校、鬼のように強いと思っていた3年生の先輩が、まだ小学生のような見た目の1年生に歯が立たずやられた試合は衝撃的でした。

その当時1年生だった選手とはそれから30年以上たった今、フェイスブックでご縁ができてお友達になっています。自分は試合をする機会はありませんでしたが人生どんなご縁があるかわからないものです。

当時最弱記録

自分たちが3年生になった時、自分は3番手か4番手の位置で団体戦ではダブルスがメインの立ち位置でした。

戦績は、

都大会、準優勝。
関東大会、3位、

そして全国大会は・・・

1回戦負け!!!

R中学テニス部は1回戦負けなどそれまで1度もなかったので、当時の最弱記録を更新したのでした。

後輩たち

その後、後輩たちは活躍してくれて、2年下は全国準優勝しました。自分たちは自慢できるような実績は残せませんでしたが、後輩たちの活躍は嬉しく感じました。

同期が監督として

それから更に数年後、自分たちの同期が母校の教師となり、同期がテニス部の監督となりました。

そして監督となって数年後、わが母校R中学テニス部は、再度全国優勝を果たしたのでした。

優勝パーティーには同期数名とかけつけましたが、大勢の前で胸をはり堂々とスピーチをする同期がなんとも眩しかったです。

現役時代は今ひとつでしたが、同期が頑張っている姿をみて自分も胸を張ることができました。

そして、我が息子

それから更に時が流れ、自分にも子供ができて、子どもたちとテニスをしたりするようになりました。

息子は幼稚園の時からスポンジボールで遊び始めました。その後キッズの試合に出るようになり、通い始めたクラブに同い年のライバルもできました。小1から「試合に勝つ」ことを目指して習いはじめました。

現在高校生の息子のことは、また別の機会に書くことにします。



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