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【子ども】7年ごとの成長②7~14歳はどんな時期?

「シュタイナー教育って芸術的なことやってるよね!」と思われる方は、特に7〜14歳の教育を思い浮かべているのかも。

シュタイナーのいう、7年ごとの教育課題。前回は7歳までの成長について書いて好評だったので、今回は次の7年間である7〜14歳について、これまで学んだことをまとめて書いていこうと思う。

前回の記事はこちら→7年ごとの成長①0~7歳は何が育つ?


第2七年期(7-14歳)

①まだまだ体が育つ時期

7歳までは体がぐんぐん育つ時期だったけれど、小学生になってからもまだまだ体が育つ時期が続く。背は伸びるし、手足も大きくなる。体重だって増加するので、そんなの当たり前でしょ〜って思うかもしれない。でも、この時期には二大イベントと呼べるくらい大きな転換期がある。一つ目は呼吸器・循環器のリズムが整うこと。

小学校に勤めていたとき、どこの学校にもマラソン大会があって、低学年の走り方と高学年の走り方に違いがあることは一目瞭然だった。スタートダッシュをキメて、後半で歩いちゃうのが低学年。周りのペースに惑わされず、ある程度のリズムを守って自分のペースで走ることができるのが高学年。でも、この違いが呼吸器・循環器の発達によるものだと知ったのは、数年の経験を積んでからだった。それまでは、「低学年はかわいいな〜高学年はすごいな〜」って思っていた。

なんと、肺が完成するのは9〜10歳ごろ。その後も肺活量は増加し続け、だんだんと「呼吸のリズム:心臓のリズム = 1:4」くらいに整っていくらしい。未発達の肺を抱えている低学年の子どもの内側には、一定のリズムなんてものは存在しない。だから、打楽器を任せればリズム感がないし、算数の「時刻と時間」の単元で苦戦するし、マラソンではスタートダッシュをキメるというわけ。(心臓については、客観的な資料を見つけられず・・・いい情報あったらコメントください)

もう一つの大きなイベントは、二次性徴。これが7〜14歳の教育課題はそろそろ終わりで〜す!の合図。生殖器が発達して、大人の体へと変化していく。女子においては、この変化もまた1ヶ月のリズムを作っていくのは、皆さんご存知の通り。

こうやって体を観察していくと、7〜14歳の時期はリズムを整える時期なんだなということがよくわかる。0〜7歳の時期に一定の生活リズムが身についていると、自分のリズムを整えることに集中できる。

家庭がそれどころじゃなくて、「生活リズム?何それ、おいしいの?」の状態だったとしても、学校は大きな音でチャイムを鳴らして、強制的にリズムを整えてくれる。私は強制的なのがあまり好きじゃなかったけど、この時期の子どもの成長には必要なこと。好きじゃない、とか、そういう問題じゃない。

ホームスクーリングや自由度の高い教育など、外部からの強制的なリズムがない場合もあると思う。私はそれらが好きだけど、この時期の子どもにとって、大人による舵取りが全くないところというのは、実は過酷な環境でもある。だから、そういう教育を選択される場合は、他でしっかりリズムを整えてフォローしてあげて欲しいなあ・・・。


②権威から学ぶ時期

先にも書いた通り、「大人による舵取り」は大事。だけど、子どもたちは誰でも彼でも舵取り役として受け入れてくれるわけじゃない。「この人の話を聴きたいな」と心から思える大人じゃないと、全く耳を貸してくれない。そんな「この人」のことを「権威」といい、この時期の子どもたちは権威ある先生を入り口にして、世界のいろいろなことと出会い、学びを広げたり深めたりしていく。

私には、この「権威」がなんだかうまくつかめなくて、右往左往した時期がある。大声で厳しく叱る先生の話を子どもたちが真剣に聞いている姿を見て、コワイ先生として厳しく接すればいいのかな?って勘違いしてしまったのだ。全然そんなキャラじゃないのにね。

経験を積むうちに、大声で厳しく叱るべき場面って、ほとんどないことがわかった。相手のテンションに合わせて、大声で何か言うことはあるけど(道路に飛び出そうとした子を制止するとか、ケンカを吹っかけようとしているのを止めるときとか・・・)。誠実に向き合って「私はこう感じた」「あなたはどう思う?」って話し合う方が、よっぽど伝わる。

今は、子どもの前で誠実であること。それが1番だなと思っている。

「あなたのことを大切に想っているよ」って言うだけじゃなくて、本当に、寝る前に思い浮かべて、そのイメージを大切にする。出会えて良かったな、また会いたいなと思いながら挨拶をする。対応するのが難しいことが起こったりダメな部分を指摘されたら、「私、また成長してスゴイ人になっちゃうわ!この機会をありがとう」と思う。話を聴いてくれることや話してくれることに感謝していると、前に立つだけで、心や体をこちらへ向けてくれる。

先に出て来た「大声で厳しく叱る先生」は普段から声が大きくて怒ったような口調をしているだけ。自分に嘘をつかず、誠実に子どもに接した結果だったのだけれど、未熟な私にはそれがわかっていなかった。今は、子どもへの愛情たっぷりの誠実な先生だったなってわかる。

もちろん、何かに特別に秀でている人なら、それだけで、憧れや羨望の眼差しで見られて「こんな人になりたい」「この人の話を聴きたい」ってなるのかもしれない。でも、そんな特別な人じゃなくても、子どもたちにとっての権威になることはできる。私はそんなふうに、シュタイナーのいう「権威」をとらえている。


③世界は美である

これまで、仕事で本当にたくさんの小学生と出会ってきたけれど、2階の窓から出入りするくらいヤンチャなあの子も、一日中声を出さないおとなしいあの子も、残虐なゲームが大好きでなかなかリアルの友達ができないあの子も、世界の美しさに出会ったときの瞳の輝きはみんな同じだった。一生懸命美しいものを追いかけて、感動した気持ちをまだまだ少ない語彙で、なんとか伝えようとしてくれる。

瞳が輝くって、最近勉強して知ったけど、本当に瞳孔が30%くらい開くらしい。目がウルウル、キラキラしてるなあとは思ってたけど、感覚的なものだけじゃなかったのね。

皆さんは、子どもと一緒に虹を発見したことがあるだろうか。私は、幸いにも、山や川に挟まれた空の広〜いところで働いていたので、この経験が結構たくさんある。こっちは晴れてるけど、川の向こうは雨・・・なんてことが多くて。虹って、美しいものの代表選手だと思う。大人でも見つけたらウキウキするから。

この虹に対する反応を見ていると、年齢による違いがあるのがとてもよくわかる。

小学校に入ったばかりの子は、歌う。一緒に歌える虹の歌が2曲あって、ニコニコしながら歌う。ちょっと振り付けしてみたり、一緒に手を合わせたり。まるで、自分自身が虹の妖精になったみたいな感じで、実はあまり虹を見ていない。

高学年の子は、二重になっていることに注目したり、色の順番が反転していることに注目したり。「前に見た虹はこんなだったけど、今回のは違う!」って、世紀の大発見みたいに教えてくれたり。自分と虹が別のものだとわかっていて、ほど良い距離を持ちながら観察している。今度はこんな絵が描きたいなあ、って話したりもする。

大人は「わあ、キレイ」の後すぐに「あっちは雨か。傘持って行こう」なんて考えてしまうけれど、子どもたちはしばらく世界の美しさに浸っている。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、そういう時期なのだ。

他にも、小学校で働いているとき、ベテランの先生に
「子どもに好かれようと思ったら、自分自身をキレイにしておくこと!」
って言われたことがあるんだけど、これが本当にその通りで。美容室で髪をキレイにしてもらった次の日とか、家庭訪問でお化粧や服装に気合いを入れた日とか、キレイにしている日は子どもたちとの意思疎通がいつもよりスムーズ。皆さんも思い出してみてほしい。キレイな先生って、人気者だったでしょ。あれは、美しいものに興味を惹かれ、憧れる時期だから。


シュタイナー教育では

シュタイナー教育って、芸術的なことやってるよね!って思われる方は、特に7〜14歳の教育を思い浮かべているのかも。

美しいものを追求することで内側のリズムが整って、芸術的な作品も出来上がる。それは、権威ある先生の導きによる。そういう、7〜14歳の時期にぴったりな教育がシュタイナー教育なんだと私は思う。

続きは次回

思い入れの強い7〜14歳。このnoteで何度か登場している「9歳の危機」の話も、きちんと書きたいので、次回へ持ち越し!お楽しみに!


参考図書

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えりか先生。神戸シュタイナーハウスでは、子どもクラスを担当。
小学校・放課後等デイサービスを経て、現在は児童発達支援事業所で障害児支援にあたりつつ、神戸・京都において日曜クラスの先生としても活躍中。
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