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【大人】自分を育てる③「感情」のレッスン

大人クラスでは「自分を知る」をテーマに、自分の思考・感情・意志を育てていく「6つの行」に取り組んでいます。
1回目 思考
2回目 意志
を経て、3回目になる今回は「感情」にフォーカスします。

感情はコントロールできないもの

感情は、外の出来事に反応してとっさに生まれるのです。あらかじめ勉強したところで、自分の感じ方を小手先でコントロールして「やさしい気持ち」や「場にふさわしい感情」を望み通りに繰り出せるわけではありません。人間として成長すれば感じ方もおのずと変わってくるものです。

しかし、そんな先の話ではなく、今日、今この時だって、自分の感情のままに振る舞って、周りの人を困らせたいわけでもありません。感情をコントロールするのではなく、その感情を自分の望む方法で表現できるようになろう。感情とのそんな付き合い方はできないものか。

感情についてあれこれ話をしていると、1人ひとり、感情には「処理のクセ」があることに気付きました。揉めないことを優先して自分の違和感を黙らせることがクセになっている人もいれば、何かにひっかかれば爆発的な表現で対象を壊すのが性分になっている人もいます。また、必要に応じてまっすぐ思いを届けられる人もいます。

メンバーの中で、一番ふさわしく感情を表現していると思う人に「どうしてそんな風に表現できるの?」と聞いてみました。「日本にいるとなんとなく伝わることが、海外で暮らすとホントに通じない事も多いし、相手があけっぴろげだとこっちもまっすぐ伝えやすい。日本だとその逆もあるかも」というような経験談を話してもらいました。自分の感情表現のクセを自覚するのがはじめの第一歩です。

「反感」に向き合うのは大変!

次に、感情の練習として、自分の「共感」と「反感」にそれぞれ向き合ってみました。あれが好き、これが好き、あれは嫌い、これも苦手…。いろいろ思い出しながら、嬉しかったこと腹が立ったことなど、自分の中のいろんな感情を意識的に見てみます。

「共感」は気持ちよく思い出すだけだからいいけど、「反感」に向き合った時は、複雑でした。

目の前にいる相手に反感を感じた時に、どうしてきたか。相手を論破したいと思う時もあるし、それ以上反感を感じないようにいったん閉じる時もあります。

私の場合は「何か理由があるはず」とかなんとか、共感ジャンルに入れたがる時が多かったです。それ自体は相手に寄り添う姿勢だと思うのですが、もしかして「キライって思うとしんどいから好きの範疇に置いておきたい」とか、「負ける前にリングを降りよう」というようなエゴがあるのかも…? なんて考えていくと、だんだんワケがわからなくなっていきました。

「感情的」でなければいいのか?

私は怒りを爆発させるタイプではないので、上手に感情をコントロールしていると思っていました。でも、よく考えたら、怒らないことを「感情的じゃない」と表現しているだけです。相手と違う意見をフラットに伝えるという経験が不足していることに気づきました。

相手が誰かに余計な事を言っている場に居合わせた時に、とっさに止められなかったりすることが何度もありました。正当な怒りが、抑止力になったり、何かを良くしていく時に怒りによる突破力が役だったりする時もあるのに、無難を選択しているだけでは?

相手と違う意見を伝えたら人間関係が終わるのでしょうか?? 自分の気持ちや、必要なことを伝えることは、相手を否定しているのでしょうか? 「そんなわけない」とアタマではわかっているのに、深いところで怖れているのかもしれません。これは一例ですが、自分の感情表現のクセについて、いろんな可能性を話しました。

そんなわけで、私たちには、「共感」よりも「不快」や「反感」に向き合う練習が必要だと意見が一致したのですが、外で人と会えない今、その練習をするなら、もれなく家族、特に夫がターゲットになってしまいます(^^;)。ステイホームで顔を合わせる時間が増えているのに、家の中でモメたくありません。さてどうやって練習しましょうか。

はた迷惑じゃない、感情表現の練習

「苦手な人のステキな所を10個探す」とか、「演劇の役のように、自分の日常と、その相手役の人のセリフを考えてみる」とか、1人の時はそんな方法で心の筋トレができます。感情が問題なんじゃなくて、問題になるのは表現方法だから、目の前で何か「イラッ!」とした時が、練習のチャンスです。もちろん、なるべく不快や反感を家の中にまき散らさずにね。

いつでもどこでも練習材料は転がっています。たとえば「晩ごはんの魚、もっときれいに食べてよ」と思った時、それを今まで「もっときれいに食べてよ、汚い!」と言っていた人も、黙ってガマンしていた人も、表現方法を変えてみる。たとえば「そんなにお皿の周りに骨を並べて。ライオンのたてがみみたいじゃん(笑)」とかね。

時と場合によって、受け止めたり、押し出したり。一方が黙ったりせず、お互いにいろんな表現方法を繰り出せるようになれば、相手も自分も尊重しつつ、対話することで一緒に高まっていけるはず。

共感と反感に振り回されるのではなく、共感と反感をそのまま受け取ってそれを鏡にしたら、自分が見えてくる。感情は黙らせるものじゃなくて、自分を知る道具。そして感情は、必要に応じて、自分が表現したい方法で、自分の目的に応じて適切に表現することができる。練習することによって、そんな風に出来るのだということを学びました。

▼この他の「6つの練習」は以下をご覧ください。
自分を育てる6つの練習

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▼オキツ 神戸シュタイナーハウス代表 大人クラス担当
小さな勉強会や仕事、普段の暮らしの中で、ちょっと立ち止まって考え、言葉にし、行動してみる。少しずつ、みんなで幸せになっていけたらいいな。
ブログ毎日更新中。「自由の哲学を読む」~日々の暮らしから~
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