物質世界の現実と心の世界の現実をつなぐ「トポス量子論」
相対性理論における革新というものは、空間を「多様体」として捉えた視点だった。正確に言えば、微分位相多様体として空間概念をアップデートした。そのことによってさまざまな説明が可能になったが、しかしその理論的範疇は、ペンローズによって「裸の特異点」の出現が避けられないことが証明されてからは限界が画された。つまり、この宇宙は「多様体」として記述し尽くそうとしてもどうしてもできない綻びがあることが証明されてしまった。
「多様体」という概念は「位相空間」という、人間が通常「空間」として想定するものを数学的に抽象化した「集合論」の考え方に根ざす。つまりそこでは、「点」とその集まりである「集合」が実在として想定されている。
ところが相対性理論が挫折した以上、私たちが想定する通常の「空間」の奥にある背後構造を探求し、そこに理論的解決を求めるしかない。それをグロタンディークという数学者が1956年に発見した。その名も「トポス」。
宇宙際タイヒミュラー理論で有名になった望月新一教授の師匠でもあるフランスの数学者・グロタンディークは、エッセーとも数学書ともあるいは社会学の文献とも取れるような得体の知れない書物「収穫と蒔いた種と:数学者の孤独な冒険」の中で、こう述べる。
なんだかよくわからないが、グロタンディークは「点とその集まり」の空間をあらしめているのは、「その空間の上の層とカテゴリー」であると喝破した。これこそ、多様体という時空ナメクジのDNAである、と言ったところか。しかしだからと言ってすぐに、グロタンディークの考え方を物理に応用することができるかといえば、そう簡単にはいかない。
そこで登場したのが「トポス量子論」。量子力学を圏論的に捉え直すという動きが増えている中で、「位相空間上の層のなす圏(Wikipediaより)」としてのトポスを、量子論の基礎づけとして用いるというアイデアが、イギリスの量子重力研究者クリストファー・イシャムによって提出された。このアプローチを「筋なし」と切り捨てる人もいる中で、「イギリスで最も偉大な量子重力の専門家」イシャムは1997年以降、トポス量子論の構築にその頭脳をささげているという。
量子力学という言葉が叫ばれるようになって久しいが、その理論的基礎づけは、相対性理論の物理数学的基礎づけからすると非常に怪しい。その基礎づけを与える際に、どのような理論的枠組みを用いるか、今までにもさまざまなアプローチが試みられてはきたが、哲学的に最も深淵なのはこのイシャムの「トポス」による基礎づけであることに疑いはないだろう。
「トポス」は空間の背後にある構造だが、直観主義論理と相性がいい。直観主義論理とは、言い換えれば人間の心の論理。「Aも真であり、Aでないも真である」(排中律の不成立)という状況が起こりうる世界。龍樹の言った「中論」、木岡伸夫の「レンマ」。人間の心の世界では、こういった論理が自然に成立する。
一方で、量子力学における性質を描写した「量子論理」は、排中律は成り立つものの分配則「A∧(B∨C)=(A∧B)∨(A∧C)」は成り立たない。つまり、「白米と、梅干しまたはシャケ=白米と梅干しまたは白米とシャケ」という状況が成り立たないというのだ。変な世界。
心の世界の論理である「直観主義論理」と、粒子の世界の論理である「量子論理」をつなぐものとして、トポス量子論が提示するのが、「現存在化」という概念。
ここにおいて登場するのが、「測定の文脈」という概念で、比喩的に言えば、人間の認識の体系のようなものらしい。イヌイットは雪にも何十種類の区別を見出すが、日本人は雪といえば雪。日本人でいう兄と弟は、英語で言えばどちらもBrother。同じ主体があっても、区別の仕方が違うと、見えてくるものも違う。そんな感じのソシュール的「差異の体系」が、「現存在化」において重要な役割を担う。つまり量子論理における実在は、「測定の文脈」というフィルターを経た上で直観主義論理を備えた主体(心)に現前する。
生齧りの知識ゆえに話題がまとまらないが、要はこうした「新実在論」の世界では、客観的実在は確かに存在する。しかしそれは、私たちが通常想定するような実在のモードではない存在のモードで存在するのだ。そのモードには、私たち自身が、あたかも空間をトポスにまで解体するような形で、存在を解体しない限りは到達できない。アレイスター・クロウリーの言う「熱狂」が必要だ。自分の存在のモードをトポス的に変容させて初めて、人間は真の実在にアクセスできる。
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