独白

 あ、私、今から泣く。
 心臓と胃の間。わかんないけど多分そんな位置から、ズクズクと何かがせり上がってくるのを感じた。鼻がぴくりと動いて、視界が軽く霞がかる。
 悲しいことなんて何も無いけど、嬉しいことも何も無いけど、時たまこんな現象が私には起こった。隣の部屋から聞こえてくるバラエティ番組の笑い声が余計に涙を誘う。多分、孤独が助長されて。スピーカーの音に呼応するように、家族の笑う声がする。
 途端、ボロボロと涙が溢れていった。どうせ聞こえないのだからと開き直ってわんわん泣けたらよいものを、こんな時にも気にして上手く泣けない。唇を噛み締めて嗚咽すら許さないように両手で顔を覆う。
 今はただ泣きたい。本当は、何も気にせずに泣きたい。
 ぎゅっと潰されてしまいそうなほどに心臓のあたりが痛む。絶対違うって言われるけど、私は、感情って頭じゃなくて心臓で生成されていると思う。

 上手いことやってるつもりだ。学校もバイトも友人関係も、何もかも。
 それでも不意に襲ってくるこの衝動は、“つもり”の私を滅茶苦茶に壊していく。
 泣いている間頭の中を占めるのは自分を断罪する自分の声。あの時あの言葉で人を傷つけたね。本当はきっと嫌われているよ。全部嘘だよ。お前がやっていることには何の価値も無いよ。もちろんお前にも。そうやって泣いてることを誰も知らないし、知っていても気にはしないし、お前はその程度だよ。わかってる?
 私は屈してしまう。だって私がそう言うから。私はその程度だと認識し直す。普段の自分を戒めて、もう図に乗ったりしませんって誓いをたてる。
 そうして私は、自分で自分の足を引っ張る、そんな生き方を続けてきた。

 何で生まれた涙でもない、この感情に意味なんて無い。それでも負を溜め込むだけ溜め込んで、涙がもう出なくなる頃、私はぽいっと現実に投げ返される。そして、自己否定だけを抱え、Tシャツの袖口を濡らすだけ濡らした私が、部屋に座り込んでいる。
 ドアの向こうで、この部屋の禍々しさを感じ取ったのか犬が心配したようにクゥンと鳴いた。
 何がしたいんだろうな。
 口に出すとやたら劇的になるのがわかっていたので頭の中だけで呟いた。何も生まれないのにな。

 その辺の床に放り出していたスマートフォンが振動して、焦らせるような着信音を奏でる。私がこんな状態にあることを知ってか知らずか、いや知らないだろうけど、どちらにせよ気持ちの悪いタイミングだった。のろのろと動いて画面を見ると、こんな馬鹿げた自傷行為みたいなループに度々陥る私とは真反対の、あの子の名前が表示されていた。
 目元を乱暴にゴシゴシと袖で拭いて、ティッシュで鼻をかんだ。
「もしもし?」
 第一声があまりにも鼻声で、これは隠す気がないなと思った。気付かれたくなかったけれど気付いて欲しい気もしていた。
「あ、もしもし! 今平気?」
「大丈夫、どうしたの」
 この子にももしかしたら嫌われているのかもしれない、と明るく落ち着きの無い声で簡単に済まされていく近況報告を聞きながら思った。それは結構嫌だった。
 私が負を溜め込むタイプなら、この子は正を集めるタイプだ。きっと意味も無く泣いたりしないし、そもそも溜め込むような人ではない。私は彼女を見ると、自分の生き辛さを再確認させられているような気がしていた。けれど決して嫌いではなかった。ただ羨ましかった。
 自分と正反対の人間を間違っているなどと咎める人ではなかった。私は度々訪れる衝動を誰かに話したことはなかったけれど、彼女ならそんな部分すら受け入れてくれるような気がした。何も言わずに放っておくという彼女なりのやり方で。
「じゃあそろそろ切るね。そっちもいつでもかけてきていいんだよ」
 気まぐれで連絡するのはいつも彼女からだった。見えないことはわかっているのに、つい頷いて応える。
「また何かあったらかけるね」
 わかった、と返事をする間もなく通話は終了していた。
 彼女が大した意味を込めていないことはわかっていても、私を待ってくれているのだと受け取って勝手に救われた。あの衝動が襲ってきた後にしては苦しくないのがその証拠だった。こんなことが何度も起きていること、あの子はきっと知らない。
 今度はちゃんと理由付きの涙を流していた。嬉しいんだろうな。人に無関心気味のあの子が、私を少しでも必要としている気がしたから。そこにはほんの少しだとしても価値があるから。
 こんな執着を抱いていることに気付かれてしまえば手を切られて終わりそうだけど。……ああ、だけどこれも、気付かれてはいけないのに気付かれたくてしょうがない。

 今はもう少し救われていたいんだ。ごめんね。


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