挑戦に意味がある、なんていうけれど
結果が!!!大事!!!!派なんです。
他人にそれを強制することはないけれど、やはりやるからには結果を出す。出さねばならぬ。私はそう思ってしまう。
だからこそ、実は私は試験とか検定とか、そういう努力に対して結果で白黒つけるモノが苦手です。
ちょっと前に書いたnoteの中で、次のことを書いた。
いわゆる、過学習。点数が結果ではなく、目的になってしまう。それゆえに、学習対象を学ぶのではなく、テストの点の取り方を学んでしまう。
で、まさに今その状態に陥っていて困っているんです。
10月の目標に定めた応用情報技術者試験に合格するために、ラスト1週間の追い込みで過去問を必死に解いている。
だけど、試験範囲がとても広い試験なので、どうしても興味がない分野出てくる。興味がない&試験日まで時間がなく腰を据えられないという地獄絵図。
得点率60%以上か、それ以下かで線引きされるんだから、今のやり方が間違っているとは思えないけれど。(正しいとも思っていない)
だけど、そんな勉強、おもしろくないんだよ…。
たかが点数。勉強を通して得た知識や、考え方、モノの見え方の方が大事だって。頭では分かってはいる。
それでも、合格 or 不合格 という線引きは圧倒的で、「合否なんて歩んだ道のりに比べたらちっぽけなものだ」なんて考え方は受け入れられない。
だって、合格を目指して歩んできたんだもの。
正直、不合格が怖い。落ちてたら、今までの勉強時間が無に帰す感じがするから。
この恐怖は仕方ない、と思う。だって最初の目指すべき方向性を、情報技術の全体像をつかむことではなくて、合格することとして定めてしまったんだもの。
ああー、これこそまさに、目的意識の持ち方だよなあーって思っている。
そういえば、TOEICに関してはプレッシャーとか感じたことまったくないなあ。点数を取るために勉強をするという意識を、そこまで強く持ったことなかったからなんだろう。
だから、楽しいよ、英語学習。何気なく音読して、なんとなく英文に触れて、英会話して。気づいたらTOEICスコアが上がってる。
とはいえ、きっと今後も合否が分かれる場面に触れることはたくさんあるんだと思う。
きっと、こういう結果主義の性格は変えられない。だからこそ、ある一定ラインでピシッと切り分けられる環境を避けて、過程に全力を注げる環境に身を置くって大事だよね。
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