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カート上のカゴの中身でさえも

スーパーで人の入れるカゴの中身は注意深く見るとその家の在り方が変わってくる。
ただのカゴの中身でもその日々は人それぞれだ。


そう、特に文句をつける必要がないはずだ。
大まかにして病的に同じものしかカゴの中にない場合は

時折、自分はそのことは気にしないにしても親や身内類いは干渉をしやすく口に出し
言わなくて良いことを嫌に言うと本人たちはすっきりした顔でレジに向かう。

歳の肥えたご老人も同様。他人のカゴを覗き見ては知らない人に文句を垂れ流して嫌なことを言っている。それと同じほど迷惑な話。

私は休日自分の時間を楽しむことは許されず。親と同じ時間を合わせなければならないというめんどくさい親のワガママに付き合わなければならない。

その 1日は金曜日の夜の電話から始まる。

まず、親が自分の都合をべらべらと喋り倒し。どこに行くかと選択肢を決める。

そこで提案を出したとしても、こちらの言いたいこと行きたいことは全て却下。

当日は、親は知り合いにラインで私がどこへ向かうかなどを告げ口してから外出を始める。

その後は親の口にした思い通りのところに
連れて行かれ、好き放題して帰るのかと思えば

家に上がり込み夕方は私が具合悪いことを良いことに家にあるふりかけやら冷凍食品やら持ち去りそそくさと帰っていく

これが毎週。


今、私の中で自分のしたいことやりたいことすら親の考えに癒着されていることに違和感と苛立ちを静かに怒っている。


本当なら声をあげてしまいたいほどだが、受け止めるものも何もないので
自己消化しかないこの日記に書き留めるしかないのだ。許せ


「1日の休み」という計画のカゴの中身を
まるごと親のカゴの中身に移しかえ
そのままレジにウキウキ気分で親に
持って行かれてしまう。

明日の予定も未来の1日だ。しかし、他人のエゴのためにじぶんのやりたいことを
捨てられてまで必要なことではない

理解はしている。それでも毒親というのは当たり屋と同じで、自分のしたいこと優先で他人のカートをスイスイ避けるのに

自分の子供のカートを見つけると勢いつけてカートを当てに行き嫌がらせと難癖をつけていくのだ。

不快でしかない。

…………どう考えてもおかしい!


いや、誰だって嫌だし普通はそんなことはしないだろう。
書きながら少し落ち着いてきた。あー、本当に嫌だったんだな。

今日は本当に振り回されただけの1日だった。自分の自由は自分だけのものだけど。
どうにもならない時は書こう。


で、書いて落ち着いてきたら。ちょっとでもいいから自由な自分の時間を持とう。
そうしよう。


あーーー!疲れたわーい!

帰って、あつ森して草生やして森にしてグミちゃんと会話してくるわぁ

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