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「やりたいことが決められない」から大学に行く人たち【高校教員のひとりごと】

大学全入時代とも呼ばれるように、誰でも大学に行ける時代が到来してきている。
そういった中で、「やりたいことがないからとりあえず大学へ」という人も増えてきた。

感覚としては、高校進学に近いのだろう。「みんなが高校に行くから自分も行く」のようなそんな感覚で大学も身近な選択肢になってきた。
事実、大学に行くことで就職の幅も広がるのでやりたいことが決められないのであれば大学に行くのが正解なのだろう。
やりたいことがない状態で、専門学校への進学は考えられないし、高卒で就職するというのもなかなか決断はしづらい。

大学は「やりたいことが決められない人の受け皿」となりうるのか

ただ、果たして大学は本当に「やりたいことが決められない人の受け皿」となりうるのだろうか。
進学先として候補にあがりうる専門学校と比較して考えれば、大学はやりたいことが決まっていなくても進学のできる場所となるだろう。
看護師の専門学校に行けば当然のように看護師になることが求められ、美容師の専門学校に行けば当然のように美容師になることが求められる。その点、大学であれば「大卒」という大きな括りで就職においては括られることが多い。法学部に行ったら全員が弁護士にならなければいけないわけではなく、教育学部へ行って教員にならない人も多くいる。

ただ、やりたいことがなければ大学選択の「ものさし」が定まらない状態となる。やりたいことがあれば、「自身の研究したいことが研究できるか」・「自身が学びたい教授がいるか」などが大学選びのものさしとなっていく。
ただ、そのものさしがない状態で大学を選ぶには、ものさし自体を外部視点に委託せざるを得ない。
ものさしの外部化が起きれば、「今の自分」が選択の基準から外れることになる。「"人"から良いと言われる大学」や「"将来"的な就職が良いであろう大学」が選択の基準となる。
その後に自分自身のものさしを見つけられれば良いが、大学選択という人生の転機でものさしの外部化をしてしまった癖はなかなか抜けないだろう。就職をする際にも、同じような基準で就職先を決めることになってしまう。
皆が言うような「"良い会社"」に入ることを目指すことになるが、大学生活で「何者」にもならなかった人は結果として就職活動に苦戦することになるだろう。
その点から考えればやはり「やりたいことを見つけ、自分にとってのものさしを作ること」をしなければ、大学へ進学をしても無駄な時間を過ごしてしまうだろう。

大学は、「やりたいことが決められない人の受け皿」には実際なっているものの、結局そういった人にとっては「やりたいことを決めることの後回し」になっており、それどころか「大学4年間という時間の無駄遣い」をしてしまうことになってしまっているのだろう。

結局やりたいことはいずれ見つけなければいけない

AIが当然のように日常に溶け込む時代も近く、「言われたことをそつなくこなしてさえいれば良い」という時代は終わりを迎えつつある。そういった中では他者のものさしだけでは活躍はできない。いずれは自身のやりたいことは見つけなければいけない。
もちろん、やりたいことはいつ見つけても遅すぎるということはない。生涯学習やリスキリングもキーワードとなってきている。
ただ、やはり高校→大学というタイミングで一度やりたいことを決めることが重要になるのは間違いないだろう。早ければコスパが良いのはもちろんだが、何よりも「決めてみること」を経験しておくことがその先の人生の転機ごとに次のやりたいことを決めることに役に立つだろう。

「やりたいことがないからとりあえず大学に」「やりたいことはいつでもやり直せる」という流れの今の時代だからこそ、逆に「何をするために大学に行くのか」を考えることこそが重要なのだろう。

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