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【おはなし】つぎはぎ

 空のように透明で、ハチドリの羽のように軽い。あたりをふわふわとただよって、風に吹かれれば移動する。
 彼はただそんな存在でした。

 彼にはっきりとしたむずかしいことはわかりません。朝日はきれいで、夜は暗くてこわい。わかるのはそのくらいのことだけ。

 体の真ん中には青いビー玉を抱えていました。
 ビー玉の中にはこまかい空気の粒が星のようにうかんでいて、それが彼のたったひとつのたいせつな持ち物でした。

 彼がいる場所は街の中だったり、薄暗い森の奥深くだったり、図書館の閲覧室だったりします。

 あるときいつものように図書館をただよっていると、一冊の本が気になりました。
 『■■■■■■』
 彼には背表紙に書いてある内容も、中に書かれてあることもまるでわかりません。
 しかし途中に描かれた挿し絵を見ていると、不思議とざわざわするような、そういう感覚になるのです。

 本の内容を知るにはどうしたらいいか彼は考えました。そうして、描かれているもののかたちを真似てみることを思いつきました。


ーーー

 低くて大きな音をたてて、何台かの蒸気動車が荷物をのせて町のはずれまでやって来ます。
 荷物のなかみは使われなくなった古い廃棄物たちでした。
 遠くの町からか運ばれてくるそれらはいつからか山のようになって、いつもこの町を見下ろしていました。

 彼はそのなかから使えそうなものを探して、自分の一部にしようとかんがえました。

 穴のあいた手袋を手に。さびた鉄の棒を足に。本に描かれていた挿し絵のかたちを思い出しながら、それらしくなるように自分の体にくっ付けてみます。

 しかしそれらはどれも、ばらばらの形や大きさをしているので、よさそうなものはなかなか見つかりません。
 右足の部分は古いジョウロだったり、顔のまんなかはしおれた花びらだったり、胴体はこわれた引き出しになっていたりしました。
 それでも少しずつ、腕、足、体、頭とそのすがたは本に描かれていたものの形に近づいていきます。

 頭の中にはよごれた古い日記帳を入れました。廃棄場の奥のほうに埋もれていたものでした。
 彼はそれのおかげで、ものごとを頭の中に記録としてためこんでおけるようになりました。それと同時に彼は、少しむずかしいことも考えられるようになっていました。

 しかしここでふと気がつきました。
 自分がもとはなんだったのか、思い出せなくなっていたのです。
 彼のたったひとつの大切なビー玉も、どこかへいってしまいました。


ーーー

 図書館へ戻ると、閲覧席で誰かが本を読んでいます。タイトルは『■■■■■■』。読んでいたのは、あの本でした。

 「うわびっくりした」
 彼が近づくと、その人はおどろいた顔をしました。
 「あなた、ずいぶんかわったすがたをしているのね」
 その人がつづけて言いました。
 「もしかしてこの本の挿し絵をまねているの?」
 彼がまともに話しかけられたのは、はじめてのことでした。
 「よ、よく、わかったね」
 頭に付けた廃棄物のすきまから、彼は返事をしました。
 「私もこの本、好きなの」
 「その、僕には、どういう話なのかわからないんだ」
 申し訳なさそうに彼が答えました。
 「じゃあ、どうしてこの本の登場人物のすがたをまねているの?」
 「それは」
 彼はかんがえました。顔の真ん中につけた、しおれた花びらがゆれています。

 「なにかに、なってみたかったんだ」
 挿し絵を見たときのざわざわした気持ちを思い出して、彼は言いました。
 「挿し絵のまねをすれば、本に書かれていることがわかるかと思って」
 その人がこちらを見つめていました。なんだか恥ずかしかったので、彼は目をそらしてしまいました。

 「だけどそうしたら、自分がほんとうはなんなのか、なんだったのかがわからなくなってしまった」
 「そうなんだ」
 「たいせつなものをもっていたような気がするんだけど、それもどこかへいってしまったんだ」
 そう言いながら、なんだか胸のあたりがきゅうくつなことに気がつきました。そんなのは今までにありませんでした。

 「それは気の毒ね」
 その人は言いました。
 「それであなたは、なにかになれたのかしら」
 その人がたずね、彼はまた考えました。
 「ううん、そうは思えない。僕の体はただのつぎはぎだ」
 「そう」
 「どうしたら、なにかになれるのかな」
 彼がその人を見てたずねました。

 「残念だけど、いくら見た目を変えても、ほかの何かになることはできないわ。ただ」
 「ただ?」
 「たいせつなものが何だったのか、思い出すことはできるかもね」
 「ほんとう?」
 「大切なものってそう簡単には忘れないよ」
 その人がにこりと笑いました。話しているうちに、さっきまでのきゅうくつさがなくなっていくことに彼は気がつきました。

 「私も前に、大切なものを持っていたの」
 その人がつづけて言いました。
 「でもなくしちゃって」
 「そうなんだ」
 「だから、あなたが今もってるその気持ちには、すこしだけ詳しいの」
 その人の目の奥のほうがなんとなく光っている気がしました。
 それを見ているとなにかを思い出せそうな気がしたので彼はもっとずっと、彼女と一緒にいたいと思いました。

 「近くに座ってもいいかな」
 「ええ、もちろん」
 「きみは、なにをなくしたの?」
 となりのいすに腰をおろしながら彼はその人にたずねてみました。足につけた鉄の棒が、ギギと音をたてました。
 「ある人が大切にしていたものでね。その人の代わりに、私があずかっていたんだけど」
 「なくしちゃったの?」
 「ええ、でももうその人に会うことはないから」
 「どうして?」
 「遠くへ行ってしまったの」
 「そっか、さみしいね」
 「うん、さみしい」
 その人が答えました。

 「そういえばあなたはあの人になんとなく似ているわ」
 「ほんとう?」
 「不思議ね、なんだかなつかしく感じる。見た目はちっとも似ていないんだけれど」

 彼女はひとつの名前を口にしました。
 「どんな人だった?」
 「えんぴつをね、たくさん持ってる人だったの」
 「えんぴつ?」
 「そう、えんぴつだけじゃない。ノートも、クレヨンもキャンバスも筆も手帳も、山ほど持っていたわ」
 「どうして?」
 「きっといつか何かを作り出せるって、信じていたのね」
 空を見あげながらその人は言いました。
 「けっきょく、絵も物語も手紙も歌も、何ひとつ作り出せないままどこかへ行っちゃったんだけど」

 「ほんとうに、大切だったんだね」
 話を聞いていて、彼はそう感じました。
 「どうしてそう思うの?」
 「その人のこと、すごくよく知ってるみたいだから」
 「でも、もう会うことはないから」
 「きっとどこかで元気にしてるよ」
 「ふふ、そうね」


ーーー

 その人と別れて、町の中をぶらぶらしていると、その人の言っていたことが頭から離れません。
 見た目をかえてもほかの何かになることはできない。そんなことはほんとうはわかっていました。うつむいたまま、彼は歩き続けます。

 パチと音がしました。雨が降りだしました。町のぜんぶの音がだんだん、かき消されていきます。

 地面には水たまりができていました。
 水たまりにうつったからだを見て、彼はあわてました。
 雨にぬらされて、彼の体にくっ付けていたものがすこしずつはがれていたのです。

 右足につけた古いジョウロがはがれてしまって、穴のあいた手袋がおちてしまって、さらに顔の真ん中につけた花びらが取れてしまったとき、ふと気がついたことがありました。

 はっとした彼は図書館へ戻るために足を動かそうとします。
 まだなんとか残っている左足と、胴体にしている引き出しを引きずって、たくさんの時間をかけて図書館へと進んでいきました。

 あの人はまだそこにいました。
 「うわ、どうしたの」
 ぼろぼろになった彼のすがたを見て、その人が言いました。
 「きみに、渡したいものが、あって」
 「渡したいもの?」
 「これは、きみのだろ」
 手にもっているのは彼が頭の中に入れていた古い日記帳でした。表紙にはその人がさっき口にした名前が書かれています。
 雨にうたれた体がすこしずつはがれ、彼の頭の中にあったそれが出てきたのです。
 「これ、どうしたの」
 その人がおどろいた顔で見つめました。

 「ずっと、僕が、持っていたんだ。気がつかなかった。きみの大切なもの、返すよ」
 彼の体はいま不安定で傷だらけなのに、不思議とすごく、楽しい気持ちでした。
 このあとその人がどんな顔をするのか、どんなふうに喜ぶのか、知りたかったのです。

 「これのおかげで、僕は、いろんなことを考えることができた。こういう気持ちも、だれかのことを想像するってことも、これの、おかげで知ることができたんだ」
 とぎれとぎれに言いながら彼はその人に日記帳を差し出します。

 「思い出とか、記憶とか、そういうのがどういうものなのかがわかったんだ。だから」
 ぼろぼろになった体が、きしんだ音を立てました。
 「ありがとう」
 日記帳を取り出してしまえば、彼は頭の中にものごとを記憶することができません。いま考えているすべてのことも、ぜんぶ忘れてしまうでしょう。
 それでもいいと、思いました。

 「これは、あなたが持っていて」
 「え?」
 予想していなかった返事を聞いて彼は戸惑いました。
 「もう、必要ないの?」
 「ううん、そんなことはないの」
 「じゃあ、どうして」
 「あなたがあの人に似ている理由はこれだったのよ。すごく嬉しいの、あなたがここにいるのが」
 その人が言いました。
 「だからこれは、あなたにあげる」

 どういうことなのか彼にはいまいちよくわかりませんでしたが、その人は目をほそめてやわらかい顔をしていました。

 「そっか」
 彼女がどうしてそういう顔をしているのか、いつかそれを知ることができたらいいなと思ったので、彼は日記帳をまた受けとりました。

 「これは、大事なものだからしまっておくよ」
 胴体の引き出しを開けると、奥の方から何かが転がってきました。
 「ねぇ、それって」
 その人が言いました。
 「あった」
 彼は青いビー玉をつまみあげて見つめます。
 「あった!はは、あったよ」
 ビー玉の中では小さな星空が、前とすこしも変わらず光っていました。

 「大切なものはちゃんと大事なところにしまってあったんだ!」
 いつのまにか雨がやんでいました。

ーーー


 「あなたはこれからどうするの?」
 その人が彼にたずねました。
 「そうだなぁ」
 思い出や記憶を知って、大切なものも思い出した。彼には今日、ずいぶんたくさんのすてきなことがおこりました。

 「でもまだ僕は」
 彼は自分が何かになりたかったことを考えました。挿し絵のまねをしてみれば、あの時ざわざわした気持ちを見つけられる思っていたのに。
 「なんにもなれてない」
 彼のつぎはぎの体は、きずだらけでどうみても不完全でした。

 「いつか、わかるときがくるのかな」
 頭の真ん中がすこし重たいような気がしました。

 「いいんじゃないかしら、なんにもなれなくたって。そう思うあなたのまま、それさえ大切に持っていれば」
 そう言ってその人が青いビー玉を指さしました。
 「それを持ってるってことは、本の挿し絵の形に近づくことよりも、たくさんの物を知っていることよりも、ずっとかけがえのないことだと思うけど?」
 彼は考えました。その人の言うことが、わかるような気もするし、どうにもよくわからない気もしました。

 「つぎはぎのままでもいいの?」
 「いいに決まってるでしょ。あなたが何者かなんて、これから好きに決めればいい。そんなことにとらわれて、一日を楽しく過ごせないことの方がずっとつまらないわ」

 「そんなものかな」
 「そんなものよ」
 腕の付け根のあたりがギギときしんだ音を立てました。

 「それじゃあ、廃棄場に行きましょうか」
 「ええと、どうして?」
 「ひとまずその、ぼろぼろの体を直してあげる。それじゃなにかと不便でしょ」

 ふたりは外へ出て廃棄場へ向かいます。あたりは薄暗くなっていましたが、街灯が道を照らしてくれました。
 手をつないで、彼はその人と歩いていきます。

 廃棄場に着くころには、あたりはすっかり暗くなっていました。


 「あなたはさ、これからどうしたい?」
 廃棄物の山を転ばないように踏みしめながら、その人がたずねました。
 「僕は」
 彼は考えました。今日一日のこと、それと自分の中でうまれたはじめての気分を。
 「いろんな人と話をして、その人のたいせつなものとその思い出を聞いてみたい」

 頭の真ん中の重さはすこしも軽くはなりませんが、体のほうはさっきより身軽です。前のようにそのあたりをただようこともできそうでした。

 「それ、すごくおもしろそうね」
 その人が目を閉じて笑いました。

 「まず、きみの話を聞かせてほしいな」
 「私の?」
 「うん、この日記帳のことも、これを持っていた人のことも、きみのこともぜんぶ」
 「すごく、ながい話になると思うよ」
 「大丈夫、ページはまだたくさんあるから」

 ふたりは廃棄物のてっぺんに腰をおろしました。
 彼らはこれからながいあいだ、たくさんの話をするのでしょう。
 今より前のことと、今からのことと。
 この星空が、明るくなるまで。
 たくさん。たくさん。

 「私はね」
 その人が話し始めました。

 星が不規則なリズムで点滅しています。


 おしまい

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