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noteらしい記事の定義と書き方について考えてみた
掘り下げてnoteらしい記事を書こうとすると2時間あっても全く進まないのはなぜだろう。さらさらっとnoteらしい記事を書ける人を羨ましく思う。
そもそもnoteらしい記事とは?
私の場合その定義は何か一つの題目に沿って読者の共感を呼び尚且つ知識を広められて日記になっていないものだ。
共感してもらえる記事はたまに書けていると思う。
私自身に何の知識もないため知識を広められる記事はほとんど書いたことがないが着眼点を変えるという意味ではいくつかあるのではなかろうか。
しかし現在はほぼ全てが日記調になっている。
何故なら訪れて下さる方がほぼ固定だからだ。
昨日も今日も明日も私のnoteを訪れてリアクションをして下さる方は記事を読んでくださっている。ま、まさか読まずにスキだけ押してるなんてことはないよね?
となると昨日の記事に少し繋げて今日の記事を書き、そこにまた少し繋げて明日の記事を書いても全く差し支えないわけだ。
例えば前提とする事柄をすでに読者は知っているという書き方がそれにあたる。
・ダイエットをして1ヶ月が経っている
・夜は早く寝る
・いつも早朝に更新している
・ゲームが好きで今ハマってるのがある
・平日の日中は仕事に行っている
などなど、前提を何も知らずに日記調の記事を読むと自分は知らない事柄が多かったりして共感を呼びにくくなるし読者も読んでいて面白くないだろうなと思う。「例によって」とか「いつも通り」とかいうフレーズは当然ながら毎日読んでいる人にしか伝わらないのだ。
時々偶然魅力的なnoteに出会うことがあるのだが前提が「いつも読んでいる」な書き方だとスキを押すまでに至らないどころか途中で読むのを辞めてしまうことすらある。これが毎日訪れているフォロワーさんの記事だと前提がすでに分かっているので同じような事柄でも最後まで楽しく読ませていただいてスキをおして完了出来る。
もちろんフォロワーさんを対象とした日記を書いてもなんら問題はないのだがnoteらしい記事、つまり初めて訪れた方でも書いてあること全てが理解出来なおかつ共感を呼べたり知的好奇心が満たされたりする記事をたまには書きたいなと思う。
そうなると書き出しからまず考えることになる。ここで大抵躓くので書き出しは最後に書くことにして本文を考え始める。およそ私の場合は過去の経験を基に進めていくことがほとんどなので時系列や年代が間違っていては困ると検索を始める。そこで迷子になる。当初書きたかったことからどんどん検索が逸れて行き「いやいや書きたいのはこれじゃないだろ」ということになり引き返して…という無限ループ。
途中で魅力的な語句や事柄に出会ってしまうのが原因なのだろう。
加えて書く内容をあまり吟味せずに書き出した結果語れるほど詳しい知識がないことに気づいてしまうことも多々あったりして。
同じ題材でも日記調の中にエピソードとして登場させるとかなりスラスラ書けることがある。身構えていないのでちょっとした出来事として掘り下げて書く必要性を感じずに進められ結果的にそこそこな文字数に仕上がるのだ。
時々初めて訪れてくださった方がスキを押してくださることがある。概ねの内容は初めて来ていただいた方にも楽しんでもらえると思っているが記事のそこかしこに「これはいつも来ていないと伝わらないな」という記述が散見されるのが残念だなと自分のnoteを読み返していつも思うのだ。
なので時間が出来たら私を全く知らない人が読んでも充分楽しめる記事が書きたいなと思うのだが2時間かけても全く一つの記事として完成せず結局残り少ない時間でこのような記事を書いてその日のnoteにせざるをえない結果となってばかり。
そうか。身構えずに日記調で書き進めて最後に日記部分を削ればいいのか。
次回時間が空いたら最初からnoteらしい記事を作ろうとせずいつも通り書き進め完了してから添削するという作業を混ぜるという書き方を検証してみることにする。
結局本日は2時間もあったのに記事内容がこれでガックリな一日の始まり。
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