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容姿コンプレックス創世記

人は生まれた時は皆かわいい。

店員に難癖を付けてごねるおばさんも、しつこくセクハラしようとしてくる小太りのおじさんも、40数年前は可愛らしい子供だったのである。

認知心理学的には、個性とは環境と遺伝それぞれ50%ずつ寄与して作り上げられるものであるとされている。つまり、持って生まれた遺伝子、育った環境やそこでした経験が相互作用して人を形作るのだ。

前述したような悲しい人間も、とてつもなく理不尽な環境に置かれた結果、悲しいモンスターになってしまったのかもしれない。


さて、今回の記事では私という人間がいかにして容姿コンプ卑屈女になってしまったのか、その原因として最も有力だと考えられる3つの事件について記す。

この記事を見て、「かわいそう…こんなことが…」と思ったそこのあなたは自らの出自に感謝し、恵まれていることを自覚していただきたい。そして、少しだけ周りの人に優しくしてあげてほしい。
 


ホワイトデーすっぽかし笑い者事件


忘れもしない、これは私の初恋の話である。

中1の時、私には好きな人がいた。小6の頃に同じクラスで仲良くなり、毎週のようにゲームして遊んでいた。彼は細身ですらっとしており、学校でも名前が挙がるくらいのイケメンであった。

小6の頃からほんのりと彼に好意を持っていたが、身長が小6ですでに165あり、全く女っ気のないベリーショートの、いわば「オトコ女」とからかわれるポジションにいた私にとって、告白なんてもってのほかであった。

ただただこのまま仲良くさせてもらえれば十分幸せであったのだが、中学にあがってクラスが離れ、彼とは少し疎遠になってしまっていた。

そこで、きたる2月14日、バレンタインデー。

私は手作りのチョコレートを彼の家まで届けることを決意した。もちろん、好きだとは伝えることはとてもできないが、特別に思っていることが相手に伝わり、2人で久しぶりにおしゃべりできてまた距離が縮まればいいなと、ただそれだけの意図だった。

しかし、この決意を私は一生後悔することとなる。

バレンタインデー当日、埼玉では非常に珍しい大雪が降った。もちろん、自転車には乗れず、危ないからやめなさいとなぜかヒステリックに激怒する親を無視して決死の覚悟で外に飛び出した。

今思えば、別の日にでもあげればよかったのに、変に日にちにこだわる私の悪い癖がこの時も発揮されてしまった。彼の家のインターホンを押すと、彼が雪まみれの私を見て少々面食らいながら出てきた。

その後のやりとりは舞い上がりすぎて全然覚えていないが、マフィンをあげた気がする。雪に埋もれながら帰宅して、彼にラインをした。その時の私は、何か不思議な高揚感と達成感に包まれていた。

頼まれてもないのに頑張って手作りのマフィンを作り、別にそんなことしなくてもいいのに頑張って雪道を乗り越え家まで届けたことに満足していたことに一抹の気持ち悪さを覚えるが、モテない人間はこういった”一方的尽くし行動”をしがちである。

小6のバレンタインデーの時は、彼は私にわざわざクローバー柄のかわいいハンカチをお返ししてくれた。今回も返してくれるかなと思いながら、ラインを続けていると、3月14日のホワイトデー当日に、なんと家までお返しを届けに来てくれると言うのだ!

もう狂喜乱舞、楽しみすぎて夜しか眠れない。(実際のところ、中学の頃は身長を伸ばさないように22時から2時までは起きていたので別に眠れていない)お恥ずかしいことに、当時の私は見た目に無頓着で、お兄ちゃんのお下がりしか着たことが無かった。

しかし、愛しの彼が家まで届けにくるのだ。少しでもかわいい自分で出迎えたい。そこで私はユニクロに行き、店員さんに言われるままにシャツとダサいボーダーの寸胴膝下丈ワンピースを購入した。まるで主婦のようなコーデである。

これも今になってみれば恥ずかしすぎて穴が無くても掘って入りたいくらいだが、当時はファッションのことなんて何も知らなかったため店員に勧められたしカンペキ!程度にしか考えていなかった。

そうして人生最初の買い物を終えた私は当日、そのワンピースに身を包み、お母さんのネックレスをこっそりつけ、まだ彼が着いてもいないのに玄関の前で待っていた。指定の時間ピッタリになっても彼は来ない。まあ来るまでバスケの練習でもするかとドリブルしながら待って30分。彼は来ない。
 
「今日来ないの?」
 
 と追いラインをしても既読は付くが、返事は返ってこない。ついに待ち続けて2時間が経ち、私は諦めて家に入った。釈然としない気持ちでタイムラインを見ると、陸上部の知り合いのタイムラインの写真に、楽しそうに微笑む彼の写真があった。

どうやら、放課後彼は陸上部の同期みんなで遊びに行っていたようである。連絡なしにすっぽかされ、遊びに行かれていたことを知った私は、泣いた。とにかく泣いた。チョコ作りから私服を買うなど全ての過程を知っていた母は、泣いていた私にこう言った。
 
 
「アンタが悪かったんじゃない?無視される方にも問題があるのよ」
 
 
 彼はそれ以来私からのラインを既読無視しており、母からのクリティカルな言葉も効いていたため、もう私は彼のことをスッパリと諦め、縁を切ることに決めた。こんな私に恋愛をする資格などないのだ。私からの好意など、迷惑でしかないのだ。

そう気付いた私はバスケに打ち込んだ。とにかく頑張った。いつものように休み時間走った後、水道で水分補給をしていると、普段全く話さない陸上部の男子が笑いながらこう声をかけてきた。
 
「ホントにホワイトデーもらえると思ってたの?w」
 
 明らかに侮蔑と嘲笑の意味が込められていたその言葉を聞いて以来、何をするにも恐ろしくなってしまった。コイツに好かれてんだよねwと、ずっと陸上部の中で私はネタにされていたのである。

いまだに人を誘うのは怖いし、同棲している恋人の目すらまともに見られない。その後、進学した高校の偏差値が遥かに上だったため、「どうしたらそんなバカな高校に行けるの?w逆に教えてよww」と嫌いだった奴みんなに言って回っていた時もただ虚しいだけであった。

イタ告引っかかり笑い者事件


 イタ告。それは罰ゲームなどで好きでもない相手にイタズラで告白する行動を指す言葉である。これは中2の時の話であるが、私は懲りずにまたクラス1のイケメンを好きになってしまっていた。しかし、同じ轍を踏むまい、と絶対に好きバレはしないように振る舞っていた。実際異性の中では一番仲が良く、それだけで私はすごく幸せだった。自分はいかに恋愛市場で弱い存在なのかをわかっていたため、もちろん告白なぞするつもりは毛頭なかった。夏休み明けてすぐのある休日の夜、彼といつものようにたわいないラインをしていると、
 
「実は、前から好きだったんだよね」
 
 というメッセージが来た。ここで、皆さんに声を大にして言いたいのは、その場で手放しに信じるほどお花畑ではなかったということである。私はこれは彼が打ったものではないと思い、

「〇〇が打ったんじゃないでしょ笑」
 
「嘘だあ」
 
 と送っていたが、ラインの向こうの相手は、いや、本当だ、信じて欲しいと頑なに否定した。流石に本当ではないか、逆にとても失礼なことをしているのではないかと思った私は、信じたい気持ちも相まって、
 
「私も好き」
 
 と送ってしまった。そこからの流れはもはや書きたくもない。それまでのメッセージは彼自身のものではなく、サッカークラブの合宿先の彼の友達が彼が寝ている間にふざけて打ったものであること、彼は別に私のことが好きではないため付き合えないこと、そういった旨のメッセージが来たが、私はあまりの悲しさと怒りで未読無視を決め込み、布団に潜り込んだ。
 なぜ告白もしていないのに振られないといけないのか。
 なぜ顔も名前も知らない彼のサッカー仲間のおもちゃにされないといけなかったのか。
 なぜ私は信じてしまったのか。
種々の後悔と怒りが頭の中にマーブル模様を描き、私は泣きはらし一睡もしないまま次の日練習試合に出た。もちろんメソメソとした覇気の無いプレーしか出来ず、顧問に理不尽に怒鳴られたが、そんなことはどうでもよかった。同じクラスなのに明日からどうすればいいのか。
 次の日、登校すると明らかにみんなが腫れ物に触るような目で見てくる。何があったか広まっていることも嫌であったし、普通に接して欲しかった。仲のいい女友達に、彼が心配しているよと言われたが、なぜ彼の心配を晴らすために元気よく振る舞わなければならないのか。そもそもお前に何がわかるのだ。全てが限界に達し、その日の給食から保健室で過ごした。この事件は私を女子校に進ませることとなった決定的なきっかけである。

男子高校生、列から総抜け事件


 時は経ち、これは高2の時の話である。この話はそんなに長く無いのだが、確かに私の心に消えない傷を作った。文化祭でクラスの出し物のシフトに入る時、私は「最後尾こちら」と書いてあるプラカードを持つ係の子と交代することになった。その子は誰が見てもかわいい子であったが、女子校にいるとあまり見た目を意識する機会は無いため、そういったポジションの違いについてはすっかり忘れていたのである。私がその子からプラカードを受け取り、その子がその場から離れた途端、最後尾あたりに並んでいた男子高校生の集団が言った。
 
「かわいい子いなくなっちゃったよ」
 
「どうする?」
 
「行くかあ〜」
 
 そんなことを口々に言い出し、私が最後尾係になった瞬間、列から男子高校生たちがごっそりといなくなってしまったのである。その時の感情は筆舌しがたい。落胆、驚き、絶望、羨望…
 ここから私は容姿へのコンプレックスを拗らせていったのである。
 
 
 さて、皆さんの青春時代はどうであっただろうか。書いていて怒りが沸々と湧いてきたため言わせてもらうが、女子の容姿をからかい、散々容姿で扱いをあからさまに変えてきた側の性別が、大学になってモテないとすぐ文句を言う。我々に向かってただしイケメンに限るんでしょ〜とかなんとかほざく前に、何か努力をしたのだろうか。そのため私は男全般、顔のかわいい女全般が基本的には嫌いである。私の性格や振る舞いには問題があるが、罪を憎んで人を憎まず、このようにひねくれたのにもレッキとした理由があるのだ。
 
 22になっても過去のせいにしているのはダサいって?この際そんな野暮なことは言わずに、一緒に沈んで頂きたい。どん底に一度行った人間にしか見えない景色がありますよ。

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