コロナ禍での育休→復職(リモートワーク主体)を振り返る
気づけば、前回記事を書いてから早半年。
書きたいことはたくさんあって、むしろ増えていく一方だったのだけれど、どうにもこうにも、復職してからは思った以上に仕事に圧迫される目まぐるしい日々で、気付けばあっという間に2020年が終わりを迎えようとしている。1年前は今頃こんなことになっているとは思わなかったけれど、でも少し考えてみれば、1年後が思い通りになっていたことなんてこれまでほとんどない、というか、1年後をそもそも思い描かずに生きているということに気づく。結局、予想外のウイルスが流行ろうが、生活が変わろうが、別にどうってことはないか、と思い直したりする。
多分残りの時間を考えるとこれが今年書く最後のnoteになるので、純粋に今年の振り返りを書こうか、「忘れられない人たち」の別のものを書くか、コロナで思ったことをつらつら書くか、いろいろ考えたのだけれど、とりあえずは、「圧迫」と感じてしまった仕事、働き方の振り返りをして2020年は締めくくろうかと思う。
仕事をするのはもともと好きなほうだと思う。銀行員をやめて、自分のやりたかった仕事に転職できてからは、やりがいを感じることが増えたし、友人からも元気になったね、と言われることが増えた。なにより、人に会えるようになった、というのがとても大きい(別に引きこもっていたわけではない)。銀行員の時は、久しぶりに会う友人に「いま、何してるの?」と聞かれたときに「銀行に勤めてる」と言う自分に、どことなく、居心地の悪さがあった。多分それは「こうありたい」とか「こうしていたい」という自分とのギャップがものすごくあることを、言葉として口にすることで改めて自分に突きつけるからなんだろうな、と思う。「銀行員」という言葉は更に鋭い矢を自分自身に向けるような気がして「銀行に勤めている」と少し砕いてと言うか、同じことなのだけどそうやって自分なりにやんわりと言ってみることが、精一杯の悪あがきだったかもしれない。
そんな経緯もあってか、一人目のときも二人目のときも、産休・育休中から早く仕事に戻りたい(というか戻らねば)、という気持ちは割と強かった。だから、0歳の4月末に復職!という選択しか頭になくて、職場でも「4月には戻る予定です~」と、強がりではなく、自然にそう思って話していただけに緊急事態宣言(もはやこの言葉がなつかしい)真っ只中ということで復職を先延ばしにする、というのは、自分で決めたことではあるもののしんどくもあった。仕事はまだしなくていい。でも、保育園であんまり上の子を預かってもらえない(交渉して、時々預かってもらうのがやっとだった)育休の延長だった。
6月末にいよいよ復職することになり、ちょっとほっとした部分もあった。ようやく仕事に戻れる、と。もともと、私が産休に入る少し前から、ありがたいことに後任をひとり立ててもらい、ゆっくり時間をかけて引き継ぎをしてきていたこともあって、「私が戻る場所はないよなぁ、次なんの仕事やるのかなぁ」と漠然とは思っていたけれど、案の定、部署内ではあるものの、チームが変わり、がらっと職務が変わった。いずれ経験できたらいいなぁ、と思うポジションを任されることになって、それはそれで嬉しかったし、ここ半年、学ぶことは本当に多かったし、やりがいもあった。でも、今ほんとに「あー疲れた」という言葉しか出てこない。誰も悪くないし、致し方のないことが重なっただけ、というのは間違えないのだけれど。
そもそもチームの状況として、とにかく人がいなかった。
3月末にひとり嘱託職員が退職(任期満了) →▲1
4月初めにひとりが妊娠&絶対安静指示により休職 →▲1
6月初めに職員(がひとり異動、新人職員がふたり配属。+1
6月末に私が復職 →+1
7月初めに職員がひとり退職 →▲1
3月末時点から考えると頭数で言えば▲1。とは言え、当然のことながら新人さん2人が仕事を覚えるのはこれから、しかも出勤は週1で、原則リモートワークの中、で。そして一回りも違うのだけど、新人さんたちと1番年の近い先輩が私、という年齢構成のチームなので、誰に言われるでもなく、あ、ふたりにいろんなことを教えたり、困ったことがあったら質問を受ける役回りは私かな、という感じに。私のすぐ上はもう管理職なので、そこを補佐する&上と下を繋ぐ調整の役回り、も漏れなくくっついてきた。そして、かく言う私の本来業務の前任は4月に休職した職員と7月に退職する職員、ということで、あまり引継する間もなく、いざという時に前任に聞こうにも、前任がおらず。なんかほんとに、日々「???」なことばかり。かたや、他部署との調整とかしないといけない立場だったので、電話やメールでといろんな人から質問がくるし、やらないといけない仕事は、ひたすらあちらこちらから降ってくる。
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結局、業務時間中はいろんな問い合わせとかに対応するのが優先、自分ひとりでできる業務は後まわし、となる。もろちん人からの問い合わせにはなるべく早く答えようと心がけてはいるし、それに忠実であった、と言えばそうなのだけど、後まわしして、自分ひとりでやるべきの時間をどう捻出するか?となると、どう考えても子どもを寝かしつけた後しかなかった。
残業しようにも、夕方にはとりあえず仕事を切り上げて、保育園へお迎え行かないといけないから、20時21時まで続けて残業、というのはできない。かと言って子どもが帰ってきたら、もうそこから寝かしつけるまでは全然余裕がない。特に助成金の審査業務の時期は、今日は0時まで、とか1時まで、とかなるべく件数じゃなくて時間を決めて、その間にこなせる分、ということで夜な夜な申請書を読む日々。「夜中に申請書読んでる」という話をしたら「夜中に仕事をしたらいけない」と部長に言われた時は、さすがに頭にきて「あなたは自分の指示で部下にどれだけ負担がかかっているのか分かっていない」と噛みついたりもした。体調を崩しかけたことは何度かあったけど、本格的に体壊さなかっただけ運が良かったのかな。。。とは思う。家族がウイルス性の胃腸炎で倒れた時も、私だけは幸いかからず。
以前の私だったら子どもがまだ小さいし、業務量が見合っていません、と相談するところ。時短勤務、ということになっているのに、定時どころか残業を前提にしないと仕事がまわらない。ただ、相談したところで、他に仕事を引き受けてもらえる人がほんとにいない、というのも、多分私自身が1番よく分かってしまっていて、今はとにかく乗り切るしかない、と思う毎日だった。3末に退職した嘱託スタッフの後任の方は、コロナの中でなかなか面接もできない状況で延び延びになってるのも仕方ないし、原則リモートワークの中で仕事を覚えなければいけない新人さんたちも本当に大変だと思うし、なんかどうしようもない、と。一人目の出産のときはリモートワークだったら、フルタイムで働けるのにな、とか漠然と思っていたこともあるけれど、リモートワーク故に、すき間なく打ち合わせが入ってしまったり、夜中も仕事できてしまったり、結局善し悪しだなぁ、と思う自分がいる。ほんとに悉く自分に都合よく考える。前は打ち合わせにリモートで参加、なんていうと「え?来ないの?この打ち合わせそんな重要じゃないの?」という感じだったのに、今は「え?(リモートでもできるのに)来るの?」という空気が流れる不思議。
子どもふたり抱えながら、夫は仕事柄、土日も含めて週の半分はいない、という状況は前から変わってないわけで、その中で「仕事に圧迫された」と言ってしまうのは、見方によっては私の覚悟が足りなかっただけ、なのかもしれない。あれだけ仕事に戻りたい、と思っていたのに。それに、もっと効率的に仕事、という方法もあったのかもしれない。
いろんなことを諦めながら、自分の中でこれじゃいけないのに、と思いながらも、何を変えることもできなかった半年間。
多分業務量からすると、すごくすごく仕事をしたのだけど、達成感とかやりきった感よりも、疲労感とかもやもや感のが強くて、年明けも今までと同じようなペースで仕事はできないなぁ、と思う。余裕がなくなると、本当に人に優しくできないんだな、という自分の未熟さを感じる今日この頃。
他人と過去は変えられない、自分が変わるしかない、とはよく言ったもの。