すぎもと ゆうこ

とってもありきたりなひとりごと帳。兼、雑記帳、文書を書く練習帳(にする予定)。

すぎもと ゆうこ

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マガジン

  • コロナ雑感

    コロナウイルスが蔓延する中で、それに関連して思ったこと、考えたことを書くことが増えてきて、こちらにまとめることに。 早くこのマガジンに設定される記事がなくなることを祈りながら。

  • 忘れられない人たち

    今までいろんな人との出会いがありましたが、これまでも、これからも、私にとって「忘れられない人」のことを書いていきます。 多分もう会うことのない人だったり、たまーに何かの拍子に連絡をとってる人だったり。日常的に接点のない人のことを中心に。

最近の記事

コロナ禍での育休→復職(リモートワーク主体)を振り返る

気づけば、前回記事を書いてから早半年。 書きたいことはたくさんあって、むしろ増えていく一方だったのだけれど、どうにもこうにも、復職してからは思った以上に仕事に圧迫される目まぐるしい日々で、気付けばあっという間に2020年が終わりを迎えようとしている。1年前は今頃こんなことになっているとは思わなかったけれど、でも少し考えてみれば、1年後が思い通りになっていたことなんてこれまでほとんどない、というか、1年後をそもそも思い描かずに生きているということに気づく。結局、予想外のウイル

    • vol.4 松田さんのこと

      ラジオを聴くのが好きになったのは中学生の頃からだと思う。平日の夜は毎日欠かさずfmyokohamaの「The Ranking」という番組を聴いていた。最近も毎週必ず、とはいかないのだけれど、時々秀島史香さんがDJを務める「SHONAN by the Sea」を聴いている。 先週末にこの番組で募集されていたメッセージのテーマ「いま、会いたい人」と聞いて、ぱっと頭に浮かんだのが、松田さんだった。 会いたい人は何人も何人もいるのだけど、やっぱりこのタイミングだからこそかなぁ、と思

      • vol.3 ゆっきーなのこと

        結婚だったり、新しい住まいへの引っ越しだったり、転職だったり。 私はこれまで節目節目で、本当に運良く、とても良い人に巡り合うことが多かったように思う。 でも節目でいい人に会えて…と同じこと言う人が他にもいるんだな、と分かり始めてからというもの、節目でいい人に出会ってるんじゃなくて、いい人との出会いが、人生の節目節目を作っていくものなのかな、と思うようになった。 ウェディングプランナーのゆっきーなも、大事な節目を作ってくれたひとり。 私はそもそも結婚が決まる前からも、決ま

        • vol.2 吉沢さんのこと

          もともと、私はタバコが好きじゃない。 あの匂いも煙も、苦手。 だから、外でご飯を食べるにも、ちょっと出先でお茶を飲むにも 自分で選べる時には禁煙か、ちゃんと分煙されてるお店に入るのが習慣になっている。 ちゃんと、というのは、「分煙」とか書いておいて、入ってみたら 「ここまでが禁煙席です」って言われて、案内されてみたら、隣の席の人がぷかぷか煙を燻らせている、そしてその席との間には壁どころか衝立も何もない、なんて店もいまだにあるから。 そんなのは分煙とは呼ばない。 でも、全席

        コロナ禍での育休→復職(リモートワーク主体)を振り返る

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        • コロナ雑感
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        • 忘れられない人たち
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        記事

          母と私、私と娘

          母と私と娘 この間には 母と娘という関係がふたつ 祖母と孫という関係がひとつ ここに姉を加えてみると 母と娘という関係がみっつ 祖母と孫という関係がひとつ 叔母と姪といえ関係がひとつ 生じる 私は母と仲が悪いということはないけれど 何というか、『上手く関係を築けなかった』と思っている。 これは今の認識であって、 子どもの頃はそんなことは思わなかったし、 もしかしたら今後変わるかもしれないけれど 多分もうこのままなのかな、という気がしている。 子どもが熱を出した、今日預

          母と私、私と娘

          「まなざし」と、お医者さんの話

          年の瀬にはその年の振り返りをして、新年には抱負を語って。 そんな人が多い中で、年が明けてもまだ2019年のことをぼんやりと 第二子を出産して子どもが増えたとか、そういう物理的な変化ではなくて 目には見えない、価値観、物事の捉え方とか、私の「まなざし」が 2019年にどう変わったかな、と何となく考え続けている。 この価値観とか、物事の捉え方に「まなざし」という名前をつけられるようになったのも、2019年のこと。 つけられるというか、与えられたというか、見つけたというか。

          「まなざし」と、お医者さんの話

          vol.1 けいちゃんのこと

          私は中1の頃から暫く、返事のない手紙を書き続けてたことがある。 その宛先がけいちゃん。 ピアノのヤマハ音楽教室「ジュニア専門コース」で一緒にレッスンを受けてた仲間のひとり。 頭が良くて、おしゃれが好きな可愛らしい子。 ピアノに対してもすごく真面目に向き合う子だった。 毎週木曜日がレッスンなのに、火曜日くらいから漸くエンジンがかかって、そこからいそいそと譜読みを始めていたような私とはわけが違う。 レッスンに顔を出さなくなって、学校にも行っていないと聞いて 何か

          vol.1 けいちゃんのこと

          もっと不便な世の中でいいのに

          どうにもこうにも、12月に入るとそわそわします。 多分理由はふたつあって 『大掃除』なるものができないので 12月になったら計画的にひたすら『小掃除』を進めなくてはいけなくなったことがひとつ。 天気のいい日に「窓磨きしたいからちょっとテレビ見ててねー」なんて 言ったところで、子どもには当然通用せず。 「え、いやだよお。お散歩がいいよお」 と却下されるのが落ち。 なので、年末までに間に合うように、少しずつ少しずつ 小掃除をするしかない。 とは言え、小掃除を

          もっと不便な世の中でいいのに

          「声をかける」ということ

          たしかまだ、長男が1歳の時のこと。 最寄りではない、少し離れた駅へバスで一緒に向かったことがあった。 運よく座ることができたので、ベビーカーを畳んで子どもをひざの上に。 終点まで、停留所は15か所ほど。 スイスイいけば25分くらいで着く道のり。 が、そういう時間帯だったのか、タイミングが悪かったのか、 道路は渋滞、一切通過はなくすべてのバス停に停車、車内は大混雑。 バスが動かないのが嫌なのか、混み合って人が沢山いるのが怖いのか 長男が途中からぐずり出した。

          「声をかける」ということ

          出会いと、別れと。

          個人差はあるにしても 生きてる間にどのくらいの数の人と出会って、別れるものなのかと ふと思うことが。 出会いと言っても 互いに名乗ったり、名刺を差し出したり、というものばかりじゃない 電車で隣に座った人 出先で立ち寄ったコンビニの店員さん ベビーカーに乗せられてた時に、「うわぁ、ちっちゃいね」とか言いながら顔を覗き込んできた大人たち それもぜんぶ出会い 出会って一瞬で別れがきて、もうそれっきりってこともあれば 関係が細く長く続くこともあれば 死ぬまで寄り

          出会いと、別れと。