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「まなざし」と、お医者さんの話

年の瀬にはその年の振り返りをして、新年には抱負を語って。
そんな人が多い中で、年が明けてもまだ2019年のことをぼんやりと

第二子を出産して子どもが増えたとか、そういう物理的な変化ではなくて
目には見えない、価値観、物事の捉え方とか、私の「まなざし」が
2019年にどう変わったかな、と何となく考え続けている。

この価値観とか、物事の捉え方に「まなざし」という名前をつけられるようになったのも、2019年のこと。

つけられるというか、与えられたというか、見つけたというか。

前々から知っていた言葉だし、意味も理解していたつもりだったけれど

『ボタンとリボン』という本に出会って、
その中に何度か出てくる「まなざし」という表現に、
新鮮さと驚きと、青空を突き抜ける様な感覚が沸き起こって

ぴったりとくる言葉を探していた訳ではないのに、
その言葉が向こうからやってきて出会ってしまったような感じがした。

もともと知ってたから「出会いなおした」の方が正確かな。
「視座」とか「見方」ともちょっと違う、なんとも言えずしっくりくる言葉。
もうそろそろ国語力の限界で、上手い説明になってないけど。

毎日毎日、意識せず、何気なく
無数の情報を受け取っては、流し、忘れ、ものによっては記憶し、を
繰り返していて、そんな中でまなざしが変わったひとつが、お医者さんという存在。

そもそも、医者はあんまり好きじゃない。
もっと言えば、病院に行くことも、薬を飲むことも。

お医者さんは病気を治せるからすごい、という考えもあるだろうけど

「お医者さんは病気は治せない。病気を治せるのは患者本人しかいない。そのお手伝いをする人」

と私は基本的には思っている。

医者が好きな人いる?
と考えたら、いないような気もするけど、抵抗はない人もそこそこいる。
風邪ひいたり、ちょっと調子が悪いとすぐ当たり前にお医者さんに診てもらう人。

その点、私はもうここ何年かの間に、医者にもかからず、薬も飲まず、
よく寝て、きちんと食事をとって、自力で治す、を基本にしている。

もちろんこれまで病院や薬にそんなにお世話にならずにいることは
すごくありがたいことで
それは私の力だけでないということはよく分かってるし、
(これからもそうとは限らないとも思うし)
子どもはすぐに重症化しやすいから別だけど
もうすっかり成人して、毎日生まれてくる細胞より死んでいく細胞の方が多い年齢になってる私なんぞは、
診断名もらったところで「ああ、そうですか」以上にはどうにもならない。
ちょっとやそっとのことで薬なんてなるべく飲まない方がいい。
どんどん効かなくなるだけ。
体に本来備わってるはずの回復する力を奪っていく一方。

受診すると「お薬出しときますねー」って一方的に、当たり前に言って処方箋書いてくれるけど、それっていつからなんだろう。

薬の開発も進んで、それをもらう前提で医者にかかる人ばかりになり、そうなったのかな。

でも本来だったら「このままだと治るのに1か月かかります。薬飲んだら3日くらいで治るけどどうしますか。お薬飲みますか。」って聞いてほしい。
普通に考えて、そもそも1ヶ月かかって回復するものを3日で治すって、どれだけの無理がそこにあって、恐ろしいことなのかと思ったりする。

そして「病気の人がいればいるほど儲かる仕事って何なんだろう」とも思う。
これはある意味お医者さんの問題というより、医療報酬の制度に起因するものだけど
みんなが健康にいられるように手を尽くしたら
それが評価されて、最も高い報酬が払われる仕組みならいいのに。

そんな理想を実現する制度設計が難しいのはよく分かるし
目の前に病人がいればその処置をするのが何より最優先で
お医者さんはそれに追われざるを得ない、
というのもよく分かるけれども

病人を病人のままにしておくことで食べていってるお医者さんも一部にはいると思うと

とてもとても信用ならない、と思う。


でもかと言って、お医者さんに何の尊敬もないのかと言うとそんなこともない。
もともと、ド文系なだけに
理系の人はそれだけで一目置いてしまうし
単純だけど、その中で医学部に進める人なんて、ほんとに頭良いんだなぁ、と思う。
私には到底たどり着けないと分かってるからこそ、ないものねだりから来る尊敬みたいなものも重なって
「お医者さんてすごいな」っていう気持ちは、それはそれで純粋にずっと持っている。
あまりお世話にはなりたくないだけで。


とは言え、妊娠するとお医者さんにお世話にならない訳にもいかず
2019年は、定期的に通院した1年でもあった。

病気じゃないし、保険は効かないし、「患者」という感覚はないけど。

そして出産の時も入院して、お医者さんにも助産師さんにも、とてもお世話になった。

帝王切開だったから、予期せず第一子の時よりも長く病院にいることになり、
とても良い執刀医の先生とめぐり合わせも重なり、
これが結局、お医者さんへの見方が変わるきっかけになった。

(帝王切開と、先生の話はまた別途書くつもり)

二人目ともなれば、子どものお世話の勝手も分かるし
自分の体調も考えながら、ミルク足して寝てしまおうとか、
手を抜く加減もできるし
体を休めるのに専念できた。

でも余裕ができると、人間、その時間やエネルギーを他の何かに振り向けるもので、

気付けばふとした瞬間、お医者さんたちの動きを観察したり
断片的な情報をつなぎ合わせて考えたり、を繰り返していた。

そんなこんなをしていたら

『病院に勤めるお医者さんたちは、なんて働き方してるんだろう。』

と、強烈なもやもやにたどり着いた。

私が入院したのは産科病棟だし、診療科によって違いもあるだろうけど

外来の担当の日は朝から何十人も診察して、終わったと思ったら午後にはオペ。
しかも予定外で、緊急のオペが入ってくるのも日常茶飯事。
そしてオペも遅くなると、何かあった時に他の科で受けられる検査が限られるとかで
時間との戦いだったりもする。

入院してくる妊婦さんの受け入れは24時間、みんなそれぞれ状態が違う。
それを都度判断して、適切に対応していかないとけない。
交代制とは言え、当直だってある。土日も祝日も関係ない。

お医者さんの日常の一部を少し垣間見た程度、に過ぎないけれど 

この職場は働き方改革なんぞとは無縁で
ミスがあったら命に関わる現場の連続で、

先生たちは休憩どころか、一息つく暇もないのかも…なんて考えを巡らせたりした。

入院中、巡回に来てくれるのはありがたかったけど、そんな時にも
先生、今日お昼ご飯食べる時間あったのかなぁ、とぼんやり思ったり。
そんなあほなこと聞けなかったけど。

病院の待ち時間てなんなんだろうな、と通院するときは思ってたし
悪阻がひどかった時に、2時間も待たされた時は
予約してるのにさすがにどうなんだ、と思ったりもしたけれど
私が待ってる間もずーっと他の人を診ているのであって、
別に誰かが何かをサボっている訳ではないんだし

楽な仕事はないとか言うけど
お医者さんてそれにしても過酷な仕事だな、と素人ながら思った。

年末年始、カレンダーに関係なく働いている人たちも一定数いるけれど
医療関係もその一部。
もちろんお医者さんだけじゃなくて、看護師さんたちもそういう環境で働いている。

街中にあるクリニックだったら「○日まで休診いたします」とかできるけれど、病院に勤務してたらそうはいかない。

偏差値どうのこうのとは別にして
臨床の現場ってとてもじゃないけど誰にでも務まるものじゃない、
頭がいいからできる仕事って訳じゃない。

当たり前のことなんだけど、これまで、お医者さんの働き方について思いを馳せたことが一度もなかったから

そういう意味で「お医者さんてすごいな」って思うようになった。


私の主治医の先生は、まだ20代半ば?って感じの、若い美人な女性で
「天は二物を与えるんだな」なんて、
のんびりしたことを初めて会った時は思っていたけど、
どうやらまだ後期研修中、いわゆる「レジデント」の先生だったと後々になって分かった。
こんな過酷な現場を舞台に先生が産婦人科のお医者さんとしてキャリアを積んでいくのも、きっと大変な道のりなんだろうな、と
余計なお世話でしかないことを思ったりもしながら

そして、もう何年も前、
医学部の入試で、女性が不利に扱われていたなんてニュースが出るずっと前、
まだ銀行に勤めてた時に、

とある社長と

「医学部に受かった女性が、その後結婚や出産を選んで、医者としての道を諦めた時の損失」について話したことを思い出した。

それが国立の医学部だったら、なおのこと、国家としてとんだ損失では、みたいな話題だった。

銀行の仕事も、法人営業の仕事も、もう絶対に嫌だし戻りたいとは一ミリも思わないけれど

お客さんと話をするのは、しかも私みたいなぺーぺーと経営者が一対一で
話をできるのは楽しかったな。
銀行業務とは関係ない話題でね。

お医者さんのことは好きじゃない、
あまりお世話にはなりたくない、
今の医療報酬の制度もちょっとどうなの、
って思いは今も変わらないのだけど

それでも、例えば子どもにお医者さんてどんな仕事?
って聞かれたら
お医者さんってすごいんだよ、ってことは迷いなくって伝えられる、今日この頃。

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