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もっと不便な世の中でいいのに

どうにもこうにも、12月に入るとそわそわします。

多分理由はふたつあって

『大掃除』なるものができないので

12月になったら計画的にひたすら『小掃除』を進めなくてはいけなくなったことがひとつ。

天気のいい日に「窓磨きしたいからちょっとテレビ見ててねー」なんて

言ったところで、子どもには当然通用せず。

「え、いやだよお。お散歩がいいよお」

と却下されるのが落ち。

なので、年末までに間に合うように、少しずつ少しずつ

小掃除をするしかない。

とは言え、小掃除をするとなると、新しい年を迎えるころには

最初に着手した小掃除のスポットは既に汚れ始めているというのはお察し。

あーめん。


そして多分もうひとつが年越しに向けた資材(?)の調達。

子ども用のものを中心に、日用品とかボトルに入ったお水とか少し多めに

ストックするようにしている。

もう若い人は知らないのだろうけど

それこそ毎年「2000年問題」が起こるかのような備え。

当時は私も中学生であんまりピンと来てなかったし

大みそかに紅白を見てる横で、母が大量の水をストックしていたくらいしか記憶にないけれど。

元旦に開いているお店もたくさんあるし、

別に買い忘れがあったところで何とかなってしまうから、

そこまでしなくていいのでは・・・というのも一理ありつつ

年末年始になるべくお買い物をしないというのは

個人的に大事にしようと思っている。

最近、元旦は休みます、ってお店とか24時間営業やめます、って

コンビニとかレストランとか少しずつ出てきてるけれど

とてもいい傾向だと思ってる。

どうぞどうぞ、休んでください。

利用する人がいるから、、、とお店を閉められなくなってしまうなら

利用しなければいい。

いろんなものが24時間動いているのを前提にするから

誰かにしわ寄せがいってしまう。

世の中、もっともっと、不便でいいのに、と思う。

不便なことが当たり前なら、きっと「不便」だと思わなくなる。

時々、半ばシャッター街になりかけた

個人経営のお店ばかり立ち並ぶ商店街に足を運ぶけれど

当然のように日曜日とか祝日はお店が閉まっている。

「そっか。お買い物できない日も必要なんだ」って教わったようにも思う

なんなら、私は携帯電話もなくても結構です。

よく不携帯のまま出かけるくらい。

二十歳の時に休学してカナダにいた約1年間、

あえて携帯を持たない暮らしを選んだのはとても良い選択だった。

ないならないで、何とかなるもの。

常に連絡とれる状態になくたって、心配いりません。

大体、事件に巻き込まれたりしたら身元確認くらい警察がしてくれますから。

短絡的な発想なようだけれど

24時間営業のお店がなくなったら

もっと心も体も健康にいられる人が増えるような気がする。

経済が停滞する、という人もいるかもしれないけれど

健康な人が増えることによる働き手の確保とか所得税の増加とか

医療費の圧縮とか、

トータルで考えたらどうなんでしょうね。

難しいことは分からないので、そのへんは頭の良い人に試算してほしいです。



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