見出し画像

Stay tuned.

2017年の12月だったか、Run boys! Run girls!の東神田トレイルランニングクラブのメンバー募集があって、一念発起して応募した。

同じ年の秋くらいに「5回参加したらカッコいいシャツがもらえる」と知って参加した"THE NORTH FACE ULTRA RUNNING CLUB"でコーチを務めるちゃんぷ。さんにクラブのことを教えてもらったから。

無事に選考を通過し(?)、2018年1月から、トレイルランニングのための練習を始めた。
1人じゃなくクラブに入ったのは、今までの競技経験から、経験者についていくのがその競技を上達することにおいて"最短の道"だと思ったから。

(東神田TRC。2チームに分かれていて、自分は「チームアガタ」に所属した。)

参加した頃は2018年UTMF/STYの話題で持ちきりで、遠い世界の話だと思いながら聞いていたけれど、ほどなくしてその魅力に触れ、いつか出たいと思うようになった。


当然ITRAの持ちポイントは0だったから、2018年9月からの1ヶ月間でOSJ安達太良50K、上州武尊70K、ハセツネを完走し、3レース12ポイントを獲得して、晴れて2019年のUTMFにエントリーした。

結果は悪天候で短縮になりA8二十曲で終わり。
目標の100マイル完走はお預けになった。

(中止になった途端、雪が止んで晴れ間が出てきた石割山から二十曲へ下るトレイル。)

同じ年の8月に娘が産まれて半年間の育休を取った。小さな娘との時間は何物にも変えがたく「この時期を一緒に過ごせなかったら将来後悔する」と思い、1日家を空けて山に行くことは辞め、トレイルランニングからは距離を置くようになった。

でもやっぱり走ることは続けたくて、山に行かずに近場での短時間練習でも結果を出せそうなマラソンでタイム狙ってみようと、ランボーズのサブスリーチームの門を叩き、2020年はロードでのトレーニングに没頭した。

結果は12月のbeyondでDNF。2:45目標に臨むも撃沈。UTMFもマラソンも、全部中途半端。また結果を出せなかったことに落ち込んだ。

(サブスリーチームでbeyond。1番左が自分。先が見えない2020年、一緒にトレーニングに励んだ)


beyondから2週間後、

「2021年のUTMFで100位以内」


目標を立てて、仕切り直した。
今の自分にはかなり高い設定だから、今のままの練習では足りないと思い、高強度でレースまでの3ヶ月強のトレーニング計画を立てた。気合を入れて臨んだベース作りの第1週の最終日、強度に耐えられなかったのか、後脛骨筋腱炎を発症した。

まだベース作りの強度なのに、強くなるための準備にさえ脚が耐えられないことと、自分を過大評価していたことへの恥ずかしさとで、また落ち込んだ。

故障中(現在進行中だけど)、脚の治療法やトップ選手の怪我からの復活劇、トレーニングブログを読み漁っていた時に、ランボーのアスリートブログでオショーさんのブログに行き着いた。

ブログでは、オショーさんが自身と同じ「普通の選手」と思っていた矢崎智也さんの信越110Kでの好走を見た後のマインドの変化について書かれている。

読み進めていて、以下の一文に目が留まった。

「このことがキッカケになって、僕の中で「トップ選手」とそうじゃない「普通の選手」との間に勝手に設けていた“壁”が一気に崩れ去り、「そうか!僕ももっと上を目指したっていいんだ!」って思うようになったのである。」

オショーさんは、これから3年後に“自分史上最高の走りをかまして”ハセツネサブ9.5を達成されている。(表現は本文引用)


これ、すごく響いた。
自分も、無意識のうちにトップ選手と普通の選手(自分)との間に壁を作っていたし、その壁は越えられるものではなくて、普通の選手は普通の選手なりの目標に向かっていくものと当たり前のように考えていた。


だから決めた。壁なんてないんだ。
もっと強くなりたいしもっと速く走りたい。
けど、一足飛びじゃ強くも速くもなれない。
だから、時間をかけてベースを大きく作って、そこから高く積み上げて雲の上を目指そう。
自分だって上を目指したっていい。
自分にだってやれるはずだ。

2024年ビッグレースで自分史上最高の走りをかます

それに向けて2021年から始めよう。

Stay tuned.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?