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とても大事な話。君は君でいい

あなたは、あなたか?


僕はよく「あなたはあなたでいい」というメッセージを発します。「自分にしかできないことをしたい」と思っている人は今日の記事を長いけど、ちゃんと読んでほしいです。

「あなたはあなたでいい」の意味、時代は変わる


日本は、同一性に無意識のうちに引き込まれる制度や教育が蔓延しています。

これはちょっと難しいことなんだけど、「あなたはあなたでいい」という言葉は二つの意味が考えられます

・同一性に吸収されたあなたでもいい

・あなたにはあなたにしかできないことがあるから、それをすればいい

の二つですね。

例えば、学校で言うなら、体育の時間みんな「前ならえ」をさせられましたね。あれは戦時中の軍事教練の名残なのですが、戦後は産業の中心が、「大量生産」だったので、“みんな従順に同じものをどれだけたくさん安く作れるか”が勝負でした。そんな時代では、学校の「前ならえ」が疑問視されることはなかったし、「みんなと同じように」「前ならえ」ができない子は叱られ社会から放り出されました。そんな時代では「みんなと同じように」できる人間が必要とされました。

でも、時代は変わり続けます。“安く大量生産”は、これからさらに機械の仕事に変わります。人間に求められる能力は、“みんなと同じように前ならえをする能力”ではなく、“前ならえに含まれる問題点を説明する能力”や、“前ならえをしたくないという友達を応援する能力”や、“前ならえより面白い整列の仕方を考える能力”になったのです。

「あなたはあなたでいい」という言葉も、「同一性に吸収されたあなたでもいい」という意味から、「あなたにはあなたにしかできないことがあるから、それをすればいい」という意味に時代背景と共に変化してきているのです。

「あなたにしかできないこと」を探れ


僕は例え同一性に吸収された人(世の中の大半)も、一生懸命自分にできることをしてるので、全然美しいとは思っていますが、

一応時代に合わせて、「せっかく生まれてきたのだから私にしかできないことをしたいな」って思う人に向けて、私たちの身近に隠れてる「同一性への吸収」を促す見えない敵を書いてみます。

例えば、一人暮らしのあなた、料理が好きなあなた。料理を作る時に、クックパッドとか料理本とか見て、レシピ通りうまく作れるかを日々繰り返してませんか?言っとくけど、それ誰にでもできるぜ?

料理は実験だ。

料理は人がクリエイティブに実験できる最良の機会です。なんとなく美味しそうな食材を買ってみて、それを組み合わせて作ってみる。上手くいくときもあれば失敗するときもある。でもね、これがすごく大事です。

“解説本”は、誰にでもできるように便利にしてくれるけど、それが「自分にしかできないこと」を忘れさせるツールであることを、忘れないでください。

「便利」や「コンテンツ」はどんどん「自分にしかできないことをする能力」を奪うんです。

どんな環境でも、自分のしていることを疑ってみることが大事です。これは誰にでもできることじゃないか?ってね。

「簡単」と「楽」はイコールじゃないよ


「自分にしかできないことをする」ための考え方は二つあります。

・今いる状況の中で、自分にしかできない“こと”を追求する。(例えば学校や部活や会社に入って自分にしかできない役割を担うとか、日本一になるとか、ユニークな方法で活動するとか。)

・今いる状況を捨てて、自分にしかできない“道”を探っていく。(例えば学校や部活や会社を辞めて、学校や部活や会社を作ったり、全く違う道を個人で作ったり)

前者を選ぶ人は多いけど、そのほとんどが悲しい自分への“言い聞かせ”にすぎず、だいたいが誰でもできることです。だから前者の方が圧倒的に難しいです。はっきり言います。

「自分にしかできないことをしたい」と言いながら、今いる状況の中で、自分にしかできない“こと”を追求しようとする人は、めちゃくちゃ難しいことをしようとしてますし、もはや矛盾にも感じます。たぶんそれやろうと思えばできる人いっぱいいるよ。

一方、「自分にしかできないことをしたい」なら、後者はめっちゃ簡単です。

なんか不思議ですが、後者の方が難しいと思っている人が多いです。謎。

たぶんそういう人は、「簡単」=「楽」、「難しい」=「大変」だと思っています。むしろ逆なのです。前者は「楽」だけど、「難しい」です。後者は「大変」だけど、「簡単」です。ここをちゃんと整理してくださいね。

あなたは、「楽」を選んでいるだけなんですよ。そりゃ「難しい」。

“こと”より“道”を創れ


「自分にしかできないこと」を考えた時に、一つ一つの小さな“こと”はそのほとんどが誰でもできることが多い。ですよね?特に才能がない人はだいたいそう。

才能があって、見たものを一瞬で覚えられる能力を持ってる人がいたり、100mを9秒台で走れる人がいたりするかもしれないけど、それは“こと”ですよね。

イチローはヒットをたくさ打ったけど、その一本一本はまぐれで僕でも打てるようなヒットかもしれない。その一本一本は“こと”ですね。でもイチローはそれを積み重ねることで自分にしかできない“道”を創った。つまり、“こと”を積み重ねて、“道”を創ったんです。

今は自分がやってることはだれにでもできることのように感じるかもしれないけど、その“こと”を積み重ねて、自分にしかできない“道”を創ることもできるんだ。僕みたいに才能がない人は、“こと”より“道”にフォーカスして、物語作りに人生をかけていくんです。

“こと”より“道”を創れ

あんたが決めろ


よく、僕は相談されることがあります。何をしたらいいだろうとか、どっちを選んだらいいだろうとか…。

その多くの人が、「自分にしかできないことをしたい」という想いは持っています。でも、「楽」を選んで「難しい」道へ突っ走ります。そっちの道は、「今の状況を維持してコツコツできることをやる」と同じです。

一方僕は、「チャレンジしまくる」道を歩んでいます。「大変」で「簡単」な道です。

僕はその道を歩んでいるから、「自分にしかできないことをしたい」と言いながら、「今の状況を維持してコツコツできることをやる(=誰にでもできること)」をやってる人に、「あんた矛盾してるよ」とはっきり言います。

するとこんなことを聞かれることがあります。

「挑戦しないとだめですか?ただ愚直にコツコツはつまらないことですか?」

昨日、武井壮さんが全く同じことを聞かれてこう答えていました。

「人それぞれ」

たったの一言。僕も全く同じように答えます。

「人それぞれだ。あんたが決めろ。」

愚直にコツコツが、つまるのか、つまらないのかなんて、僕が決めることじゃないですから。僕はつまらないと思うから、愚直にコツコツよりも挑戦を続けます。でも、あなたが愚直にコツコツを「つまる」と思うなら、愚直にコツコツやりゃいいじゃん。

でもね、そいつが、「自分にしかできないことをしたい」と言ってるなら、僕は「挑戦」の道を勧めます。

“ちっぽけなちっぽけな道”もある


時代に合わせて活躍したい人向けのアドバイスをしてきましたが、僕はもうちょい違う意見も持っています。

「自分にしかできないこと」をしたいなら、今いる状況を捨てなきゃいけないのか?

そんなことはない。

従順に組織の中で生きてても、誰でもできることを仕事にしていても、でもね、その人にはその人にしかできないことを、ほぼ必ずしています。ほぼ必ず。

誰でもできる仕事をしているサラリーマンが酔っぱらって、自分の武勇伝を話して目の前の人を笑わせる。これはこの人にしかできなかったです。誰でもできる勉強とか資格試験に一生懸命な学生が、おっちょこちょいな日常の失敗を友達に話して笑わせる。これはこの人にしかできなかったです。彼女との約束をすっぽかして彼女を泣かせる男。これもこの人にしかできなかった。

そう、ミクロなところに目を向けたら、みんなが自分にしかできないことをして、世界は回ってるんです。これだけは忘れてはいけません。

あなたは、あなたなのか?


でも、マクロで、「(歩む)道」という視野で物事を見るなら、さっき言ったように、

今ある状況を疑い続けたほうがいい。

それはきっと、あなたにしか歩めない道ではない。

あなたにしか歩めない道を、本当に、本当に歩みたいなら、大きく舵をとれ。

これからの時代、そっちの方が、絶対に求められるぞ。

あなたはあなたでいい。

あなたにしか歩めない道を、大胆に作れ。

何を躊躇う。そっちの方が簡単だ。大変だけど、簡単だ。

どっちが楽しいか?

自分で決めろ。

どっちが幸せを感じれるか?

自分で決めろ。

楽しさと幸せどっちを選ぶべきか?

自分で決めろ。どっちも取ればいい。

それは本当に君にしかできないことか?

それは本当に君にしか歩めない“道”か?

あなたは、あなたなのか?

大丈夫.