イナカで見える仕事って何
先日数人で作業していた場所に一人の地元中学生がいた。
なんとなく今好きなことや流行っているもの、漫画や芸能人など
他愛もないことを話すタイミングがあった。
学生を地元でやっている子とあまり話すことがないので、色々興味津々で聞いてしまった。
特に今の不満や不平等だ、と思ってることについて。とても興味深かった。
彼女が通っている学校は中心部よりも少し離れているエリアだ。
全校生徒は50人以下、学年はなんと15人以下だ。そんな環境下で、と私は少したじろいでしまったが彼女にとってはそれが普通であり、今の世界なのだ。
そのあたりを、意識して世界観を壊してしまわないようにさりげなく聞いてみた。
大きく分けて不満は3つあった。
彼女の不満その1は
「文化系の部活が選べなかった」
「運動系も二種類のうちから選ぶしかなかった」
というものだった。そんなことになっているのか。
「そりゃ面白くないよねー」と共感しつつ、衝撃を受けていた。
考えてみれば子供にとって選ぶべき部活動なはずなのに
他校と交流試合ができる、とか
ユニフォームがまだ使えるから、とか
道具も体育館ももったいないじゃん、とか
そういう理由で「運動部を選んでください」となるわけだ。
彼女の学校ではないが、
「校歌が演奏できないと困るから」という理由で
吹奏楽部が優先的になり、それに準じて美術部が廃部になる。
ということも耳にした。ガーンである。
私の話になるが、学生時代は運動部に所属していた。
その時の気持ちはあまりもう思い出せないが少なくとも
「色々な部、文化系も運動系も比較した上での選択」ではあった。
いろんな部活が選択可能な上で、自分がどうしたいのか。
と問われることと
すでに選択肢が限られた中で選んだ、と自分が思っていることと
では心持ちも変わってしまうだろうなと想像した。
彼女は結局そのモヤモヤは習い事で埋め合わせているらしい。
部活が選べない文化系で、好きなジャンルの習い事を増やした。
なるほど、と感心しつつも「忙しそうだ…」とも思ってしまった。
不満その2は
「理科が難しい」ことだ
隠さずに言うが、私は「ゆとり世代」だ。
国数英理社それぞれの内容が薄まり、割と簡単にホップステップジャンプでこなせていたあの時代。
その時代の弊害は今この彼女たちが受けているわけだ。
塾で働いている兄弟によると「理科は今まで高校で習っていた内容が今は中学まで降りてきている」らしい。
え?もしかして水平リーベ僕の船、とかやってるの?
物理の定理を手でやってるの?
と薄い理科知識を中学生に投げて見たら
「そうですよ!もう本当に難しい!!ずるい!大人の世代はずるい!」
と叫ばれた。うっ。すいません。(?)
と反射的に謝ってしまったがよくよく考えたら私たち子供に選ぶ機会は一切なかったので私たちだって被害者だ。(?)
ゆとりです、テヘペロ⭐︎と開き直れるようになるまで
どんな思いをしたか教えたろか!
と年甲斐もなく突っかかろうとしたけども
「これだからゆとりは」
と言われたくないので握った拳は解いておいた。
子供たちは今も昔も、いつも大人の都合で振り回されているのだな、と痛感した。
不満その3は
「自分が勉強できない」ことだった
え?どう言うこと?と聞き返すと「自分は頭が悪いから」と嘆いた。
頭が悪い?誰が言ったの?
雑?どう言うところが?
すると「お母さんとおばあちゃんが言ってくる」と。
そして続けて彼女は答えた。
「そんなことは自分がよくわかっている」
えええ、そうかな。どこが?と思わず聞き返してしまった。
作業の様子を見ていても、自分の頭でいろいろ考えて丁寧に向き合っている彼女は私からすればしっかりとした子に見えた。
お母さんやおばあちゃんが言うから、とまた繰り返していた。
うーん、そうか。
10代の頃といえば世界の大人は家族、先生だ。近所付き合いがあれば少しそこにスパイスが加わるが大体は家族の一言や先生の一言が大きな割合を占めている。
そうだったなーと思い返しつつ、頭が悪いとどうなるの?と聞いて見た。すると
「先生になりたいのになれない」
と彼女は答えた。
え?先生になりたいんだ。何の先生?
といろいろ掘り下げて聞いてみると
「勉強はするのが嫌い、自分ができるところを教えるのは好き。」
「人の相談に乗る人になりたい」
という彼女の中の「先生」に込められたイメージが浮き上がってきた。私は心の中で「別にそれ先生じゃなくてもよくね?」とつぶやいた。
彼女の中で今、見えている職業が
「先生」や「公務員」や「パートのおばさん」でしかなく、
田舎にそれしか選択肢がない、生きていく術がない、と思っていたら
「先生になりたいと答えるかもね」と一緒にいた知人は分析していた。
なるほど、と思った。
確かになりたいものはどれ?と聞かれてもそのこの経験の中に
「職業として認識している仕事」
がなければ答えも限られてくる。いやいや、君、13歳のハローワーク読みなはれ
と定型文が口から出そうになったので慌てて口をつぐんだ。
田舎は実際色々な仕事がある。
このご時世、兼業、兼業、これまた兼業で生きている人も知り合いには多い。
私なんか都会で生きたことがないので逆に都会の生き方はまったく知らないが、
田舎の仕事はやむなくせざるをえない仕事がどんどん降ってきて
いやでも兼業状態になっている、と言ったところだ。
今流行の副業だねwと親世代の人たちに揶揄されることもあるが致し方なしなのだ。
中学生の日常にはその兼業、兼業、え?あなた一体何をやって暮らしてるの?
みたいな人が食い込んでは来ないのだろう。
親は公務員、先生がいて、終わり。
習い事の先生も含めたいところで彼女にとっては「先生」なわけだから。
そっかー。先生か…。
と流すと話はそこから夏休みの宿題が後少しになった、という話題になった。
宿題や習い事、部活、彼女の今にはたくさんの要素が散りばめられていたが
そこに「ここで暮らす」「地方で暮らす」というリアリティを私はあまり感じなかった。
田舎で生きて行ってる人に触れる、どうやって食べ物を得ているかを知る。
それだけでも、彼女の中の「田舎のハローワーク」はひろがるのではないか?と余計なことを妄想してしまった。
ああ、あの素敵にいろいろやって生きてるあの人に会ったらどう思うだろう
この田舎にあるあの風景を見たら、少し見えるものがあるかもしれない
と悶々としてしまった。
余計なお世話だ。
中学生にとっては「当たり前」の中に潜む「ここで生きている人達」は気付かない背景の一つだ。無理やり気付かせたところで心持ちは変化しないだろう。
人が人に影響を与える、というのはそんな簡単なことではない。
今を生きている子供達には「そっと見守る」という姿勢が一番なのだ。
彼女自身、子供達自身が「はっ」とする瞬間を待つしかないのだ。
私は田舎で見えない仕事を続けつつ、子供たちと遊ぶ。
子供たちの「はっ」とした瞬間に立ち会えるかもしれない、という期待を込めて。
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自分が中学生をやっていた時はどうだっただろう。
私が憧れていたのは「ブラックジャック」だった。
無免許医になりたかった。
無免許医になりたいんですけどどうしたらいいでしょうかね?
と先生に聞いたりするオープンマインドな中学生ではなかったが憧れていた。
ぼんやりと医者になるためには医学部、というところがあって
学んだ後に研修医を経て医者になる。
医学会に不満があれば無免許医になれる。1000万は下らない医療費を請求する。請求するけど貧乏人には百円とかで手術してあげる。宇宙人も手術できる。
これらは全て漫画で得た知識だ。今実行すると結構、いやかなり険しい道になるけど「激レアさん」的な人でこういう人がもういそうだな、とか思ってしまう。
世の中は広い。
とにかく私はブラックジャックに憧れて、こうなりたい。どうやったらなれる?と毎日考えていた。
そのうちに手塚治虫がどうして医者の漫画が描けるのか、を知った。
彼自身が医学生となり、いろいろな経験を積み、医学博士になって、(詳しく書くと本題からずれるのでこの辺で略)その知識を得て作った漫画である。
漫画家もすごいな!!と思った。