新卒:こんな僕でも雇ってくれますか
これは就職活動をしている僕が今考えていること、これまで考えたことをまとめた話だ。就職活動のテクニックとか役に立つ話をするわけではない。就職活動に悩んでいる人に伝えたいことをただただ文字にしてみた。
1.就活を始めた
大学3年生の夏、友達がスーツでサークルに来た。
「何?就活?」
「まぁ、そんな感じ。今日〇〇のインターンあって行ってきたんだ」
「へえ、どうだった?」
「うん、なんか…」
僕は少し友達をちゃかす感じで話しかけてたし、相手も相手で少しはにかみながら答えた。
就職活動はまだ先、今はサークルのことを考えなくちゃと思っていたから、その日はそれくらいにしていつもの日常に戻っていった。
それから少しして噂が流れてきた。
「どうやらあいつは内々定をもらったらしい」
12月のことだった。
それくらいになると嫌でも頭の中に就活という言葉は浮かんでくる。
早期に内定がでるという話は大学生をしていたら珍しい話じゃないと思う。
大学生活を就職活動に捧げているのかと感じる学生もいるくらいだ。
だが、今まで一緒に飲んで、遊んで、話していた友達がそうなってくると話は別だ。
自分ごととして就活はやってきた。
僕が本格的に就職活動を始めたのは大学3年生の1月。
サークルを引退してからだった。
理由はシンプルで
・周りもやっているから。
・就職しないと生きていけないと考えていたから。
特にやりたいこともないし、世界を変えてやりたいなんて大層な夢を持っているような人間じゃなかったから頭をどう捻ってもこれくらいの理由しか浮かばなかった。
2.自己分析が嫌だった
自己分析は就活生が必ず通る道だ。
自分の原体験を思い出し、そこから自分がやりたいこと、価値観、長所を考えていく。
僕はそれが死ぬほど嫌いだった。
登録していたエージェントに勧められて自己分析を始めてみたものの、良いところが一つも見つからない。
むしろ自分の嫌いなところ、目を背けたくなるような側面が浮き彫りにされていくようで次第に自己分析を避けるようになっていった。
これが原因かはわからないが、面接で喋ることは自分がありたい姿で本当の姿のような気がしなかった。
薄っぺらい言葉ばかり並べる僕はとても滑稽でもっと嫌いになった。
今まで、やったことはいくらでも説明できた。
でも、やったことの意味を聞かれても僕の中には何もなかった。
どうしてやったのかと聞かれても「やる人が僕しかいない」という謎の責任感でやっていただけで誰も望んではいないし、僕自身も望んだものとは言い難かった。
それではダメだと自己分析を重ねるも、結果として自己嫌悪に陥るだけだった。
3.面接が嫌だった
自己分析ができていないから、話すことも薄くなる面接は嫌だ。
どれだけ話しても自分を理解してもらえないのではないか、と考えてしまう。
面接中はその気持ちがバレないようにと必死だった。
面接官を見るたびに自分はどう映っているのか気が気でなかった。
別の理由でグループ面接は好きにはなれない。
正直僕は他の学生を馬鹿にしていた。
説明会で大げさにうなずく姿を見れば、
(どうせこの企業に興味ないんでしょ)
学生時代頑張ったことを聞いて
(本当にそんなこと考えて今までやってきたの?)
疑いの目で見ていた僕は本当に性格が悪いと思う。
きっと自分に自信がないから相手を下に見ることでしか心を安定させることができなかったのだろう。
自分の性格の悪さに気づかされるグループ面接は嫌だった。
3.働くことに希望を持てなかった
SNS、HPにいる社会人は必ずといっていいほど輝かしい功績を持っていた。
僕にはそれができる自信がない。
「全員が全員そうじゃないよ」
と人はいうかもしれない。
その通りだと思う。
けれど、”普通”とされる社会人は声の大きな人が勝つ社会では隠れてしまって僕たちは容易に彼らを見つけることができない。
目に見える人と自分を比べてしまった僕は自分の矮小さが恥ずかしく、社会に出たときやっていく自信をなくしてしまっていた。
そんな自信のない学生をどこの企業もとってくれるはずはなかった。
4.ない内定
今僕には内定が一つもない。
理由はここまで読んでくれた人なら察しはつくと思う。
友達が内定をもらっていく中、自分だけ内定がないのは本当に辛い。
最近はストレスで顎関節症だし、不眠症だ。
でも、ここまでネガティブな話を書いていたが今の僕は少し違った考え方を持つようになった。
きっかけはいくつかある。
一つは内定がない人たち、自分が就活に向かないと同じ悩みを持つ人たちと話したことだ。
人は誰しも自分が特別な人だと思いたい。
悲劇のヒーロー、ヒロインでありたいと願う。
僕もその一人だった。
でも、似たような境遇の人たちと話すことで自分が特別な状況にないことを知った。
かなりの人数の人が僕と同じように考え、悩んでいた。
そんな人たちと話すと、自分が当たり前のことで悩む一人の就活生であることが自覚できた。
悩みが自分一人のものから、多くの人の悩みとなって分散されたような気がした。
これは感情論でしかないけど、かなり気が楽になった。
「俺だけの悩みじゃない!」
そう思えるのは問題を正しい大きさで認識することにつながるのかもしれない。
もう一つは自分史を書いた。
部屋に一人で自分と昔話をするように生まれてから今までのことを全部書き出した。
「小学校の時、友達いなかったよなぁ、お前」
「あれは、最初の友達作りに失敗しただけだよ」
「ふ〜ん、まぁそんな状態でよく6年間やったよ」
「まぁね、高校とかなんかあったけ」
「あ〜、あれとか覚えてる?」
これはとても楽しい作業だった。
自己分析と違い、自分の人生をひたすら思い出し続ける。
きっと効率の悪い作業かもしれない。
でも、書いていくうちに自分は一体何でできているのか再確認できた。
自己分析が嫌いだった理由はおそらく人生の一場面だけを切り取ってそれがあたかもこれまでの全ての自分を作ったように語ることだったのかもしれない。
これまで、「自分が一番楽しかった瞬間」だとか「ライフチャート」とかやってきたけど一番自分にしっくりきたのがこれだった。
5.内定がなくても
2019年度6月の内定率は70%くらいだったと思う。
今年はコロナの影響でもう少し少ないと思うが6割くらいは最低1社から内定をもらっているのではないだろうか(これは僕の個人的な推測です)。
2019年度の内定率を見た時僕は膝を叩いて笑ってしまった。
「俺、3割!?」
焦っていた時の僕がこれを見たら悲観して何も手につかなかったと思う。
今は違う視点で見ている。
「有名になった時、この話ができるなぁ」
そう思えるとワクワクしてくる。
人はきっと誰かの成功話を聞くより、失敗談の方が楽しい。
酒の席と盛り上がるのは決まってこう言う話だし、成功談を妬む人はいても
失敗談に嫉妬する人はいない。
馬鹿げた見方かもしれないけど、これだけでかなり気が楽になった。
今も21卒の学生たちが就職活動を続けている。
僕もその一人だ。
小馬鹿にしていて実はずっと後ろでくすぶっていた僕。
やっと同じスタートラインに立てた気がする。
今までの考え方はすごく反省しているし、後悔もしている。
だから、悩んでいる人たちの力になりたくて仲間にしてほしくてこの文章を書いている。
一人で悩んでいる人たちもいると思うが、ここにもあなたと同じ気持ちで悩んでいる人間がいます。
だから、一緒に悩みましょう。
今までダサいことはしたくないと自分を開示しなかったけど、
このダサい自分が一番楽だと気づいた。
ダサいなりに自分を話して、気に入ってくれた人たちと一緒に働きたいと思う。
面接の時には心の中でこう唱えてから始めよう。
(こんな僕でも雇ってくれますか)
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