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寒い日の読書

休みの日だけ更新しようと思っていたnoteなのに、けっこう頻繁に書いてる気がする。
日記の延長線上にあるものだから、かもしれない。
これが例えば小説だと、プロットを作らなければ書き始めることさえできない。
でもnoteなら、思いついたことをそのまま書くだけでいいから。あえて「書こう」と思わなくても、なんとなく書けちゃったりする。

書くハードルが低いというか。
文字制限がない、というのも有り難いなと思う。思ったことを好きなだけ書けるという安心感。


きのうは仕事に行くはずだったのに、学年閉鎖と家族の体調不良で行けなくなり、家でボンヤリ過ごしていた。
さいわい病状が軽かったので、
めったにしない昼寝をしたり、子供たちが好きなYouTube動画を延々と見たり、その合間に読書をしたり、ときどきおやつを食べたりした。

こんなとき、急にたくさんできる時間にちょっとビックリしてしまう。
私は、津村記久子さんのエッセイをずっと読んでいた。


『二度寝とは、遠くにありて想うもの』


エッセイって良いなと思うのは、
その人の人生を少しだけ垣間見れたりするところ。

なんにもできない日があっても、調子のでない日があっても、良いよねって思わされる。
とくにきのうは本来なら出勤の予定だったから。
(致し方ないとはいえ、子供の体調不良で欠勤するのは、いつも居た堪れない気持ちになる)

そういう、やりきれない気持ちをエッセイは払拭してくれる。
小説を読むのとは違う、楽しさがそこにはあると思う。生きる可笑しみ、みたいなものが。


どれも面白くて、ひとつずつが短いから気楽な気持ちで読めるのも良い。

『横暴な小説係』が好きだ。
津村さんのなかの「小説を書く」の自分のこと。

小説係は「まずお茶とお菓子だ」などと要求し、真夜中でないと仕事はしないとわがままである。しかもすぐに気が散って、動物の画像を検索したがる。そして落ち込みやすい。「文筆課の他の係を見習えよ」とわたしは思う。しかし、この係を中心に結成された文筆課なので、今更組織図から外すわけにもいかない。
ダメな社内ベンチャーのようなものである。今日もわたしは、小説係のためにお茶を作り、お菓子を調達し、「とにかく書かないと出来不出来はわからないよ」と励ます。

「まずお茶とお菓子だ」って要求するの、とても分かる……
「小説を書ける日」は贅沢なひとり休みが多いから、私もお茶のついでに甘いものが欲しくなる。


しかし、この前ロッカールームで司書さんとも話したけれど、今年の冬は寒すぎませんか……?

あれ、冬ってこんなに寒かったっけ、って
ちよっとビックリするほど寒い。
このエッセイが書かれた頃、津村さんは電源なしで暖かくなる布団を崇め奉り、話しかけたりしてたらしい。冬だと、なおさら分かる気がする。


まだまだとても寒いけど、
世の中にはびこってる病魔も、春の訪れとともに消えてなくなっていけばいい。

そんなふうに願いながら、また読みかけの本に戻る。


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