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ときどき読み返す本のこと

20代のとき、
外国のひとの本を一時期よく読んでいた。

カポーティとかサリンジャーとか、レイモンド・チャンドラーとか。思い返せばたくさんある。

当時とても好きだったのは、
『冷たい水の中の小さな太陽』という本。
サガンの小説で、おそらく絶版になっていて、
古本屋さんで見つけたときはとても嬉しかった。
(今も書棚のなかにある)



あとは『ジェーン・エア』や『レベッカ』
『高慢と偏見』『情事の終り』も好きだったな。
あとは『椿姫』とか。

村上春樹さんが本をたくさん翻訳していて、
フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』も、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も、レイモンド・チャンドラーも、それで読んだ覚えがある。どれもとても好きだった。
『フラニーとズーイ』も好きな作品。
これはときどき読み返す。
(とても好きな作品は細部までよく覚えてる。
フラニーの感受性に当時かなり共感した)



最近読み返したのは、
グレイス・ペイリーの短編集。

この人の作品も村上春樹さんが翻訳されていて、少し前に3冊めがでた。
(『その日の後刻に』という本で、出た瞬間に即買いした)

その前に刊行された本にとても好きな作品があって、折りあるごとに読み返す。

たとえば、
『最後の瞬間のすごく大きな変化』に出てくる『必要な物』という短編。

私は一人の相手と柊生夫婦でありたいと望んでいた。前の夫とも、あるいは今の夫とも。どちらも一生かけてわたりあえるくらいしっかりした人物であった。そして、今になってみればわかることなのだが、人の生涯なんて、実はそれほど長い期間ではないのだ。そんな短い人生の中で相手の男の資質を知り尽くすことなんてできないし、あるいはまた相手の言い分の根底にたどりつくこともできやしないのだ。

最後の一文がとても好き。

あとは、『人生のちょっとした煩い』に収録された、『変更することのできない直径』にでてくる言葉。
(タイトルのつけ方もかっこいい)

私は生命という大円のひとつの接線(タンジエント)にすぎなかった。私はその変更することのできない直径なのだ。


グレイス・ペイリーが描く人の、他者との距離感がとても好きだ。
少しだけ何かを諦めていて、自分の置かれた状況をひとりで揶揄しているような。
その雰囲気がとても良い。

レトリックや比喩に、いつも魅了されてしまう。


村上春樹が好きなひとは、翻訳シリーズを色々読んでみるのもオススメだ。



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