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5月始まりに思うこと

今日から5月。

皐月の「皐」という漢字は、
「白い光を放出する様子を表したもの」らしい。
なんだかそれはとても5月らしいな、と思う。

「風光る」って季語もあるけど、そんな言葉を思いだす。


連休中天気が心配だったけど、
5月5日までは、なんとか曇りなのかな。
(少し大きな公園に行けたらな、と思ってる)

今日と明日はお天気も良さそう。
天気のいいときに表を散歩したくなる、風光る季節。


きのうショッピングモールに行ったら、
本当にものすごい人だった。
(連休が始まった雰囲気を全身で浴びた、という感じ)

平日休みに慣れてるから、
人が多いとびっくりしてしまう。

きのうは天気も悪かったから、
屋内の施設は余計に混んだのかも。


少しずつ前と同じ日常が戻ってきたような。
それは予感のようなもので、
でもその予感だけですでに愉しい、みたいな気持ち。

この数年間、出口のないトンネルを歩く閉塞感のなか、色んなことに耐えた人が本当にたくさんいたと思う。
だからこそ余計、新緑がまぶしい外の空気を吸えるだけで嬉しくなる。


この前読んだ本に、
「幸せとはなるものじゃなくて、すでにそこにあるもの」というようなことが書いてあった。


幸せは日常のあちこちにあって、
自分で発見するものなんだと思った。

ご飯が美味しいとか、よく眠れたとか、
それくらいのレベルでも幸せって感じられる。

「忙しい」という漢字が「心を亡くす」と書くのは、幸せを感じにくい状態になるからかもしれない。
幸せを感じられるのは、心に余裕があるときだろうな、と思うから。


深呼吸したり、寝る前に時間があるときは瞑想したり、ストレッチしたり、散歩することが、
幸せを感じやすくなる秘訣なのかも。



数日前、
ノベル大賞の一次選考結果が出ていて、
なんとか名前を見つけられた。



名前を見つけられると嬉しいのと、
少しホッとする。

とりあえず一次が通るものは書けたんだな、
という確認。
(逆に一次では落ちたことないから、落ちたら凹む公募でもある……)


今は次に出す文学賞の初稿を書き終えたところで、これから推敲するところ。
(見直すと気分が昂揚するから、感情が昂るものをまずは書けてるだろう、とは思う)


連休中、家族で出かける予定もあって、
(なかなか書いたりできないから)
今日は貴重なひとり時間を少しだけ作ることにする。

小説を書いてると頭のなかがそのことばかりになってしまうけど、日常も(膨大な!)家事もあるから、本当に執筆する時間があるだけで幸せだ、なんて思う。

そして図書館も!
覚悟してるけど忙しいんだろうな。


心を亡くさないように、
適度に休憩して、まずは推敲していきたい。


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