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読みたいと思う本のこと

「読みたい本を探す」って
簡単なようで、難しいなと思ったりする。



たとえば図書館に行ったとき、
本屋さんに行ったとき、
有名な作家のひとの本や、受賞作や、ベストセラーや、そんなに知られていない本が書架にたくさん並んでいる。

雑誌やネットで見て手に取ることもあるけれど、
本を選ぶときは圧倒的に、
「そのときの気分」に左右される。
 

なんとなく疲れてるから軽いエッセイを読みたいとか、恋愛小説を読みたいとか、人生訓や占いの本を読みたくなったりとか。

私の場合は、文体で選ぶことが多い気がする。
(最近気に入ってるのは、寺地はるなさんの本。
『ほたるいしマジカルランド』、装丁も可愛い)

文体が気に入ると、そのひとの本は全部読みたくなってしまう。
ベストセラーでも食指が動かない本はたくさんある。単に好みの問題かも。
そう思うと、
「読みたい本に出合える」って、奇跡的なことだと思う。


膨大な本が日々刊行されて、
書棚にあるのはほんの一部だ。
図書館にも新刊はあるけど、
本屋さんに行くと、熾烈な椅子取りゲームを想像する。

置ける場所が限られてるのに、
すごい数の本が刊行され続ける現実。

あまりに本がたくさんあって、読むそばから忘れてしまう。
それでも、やっぱり本を日々読まずにはいられない。


「いま、ここ」に欠落を覚えるかぎり、われわれは本を買い、ふと我にかえって青ざめ、しょいこんでしまった未踏の未来に愕然とする。それでも本を買うことは、たとえばタンポポの綿毛を吹いて風に飛ばすことにも似ている。この行為には陽光があり、遠い青空や地平線がある。


先日読了した、
『本は読めないものだから心配するな』に出てくる言葉。
本を読むことの醍醐味が、とても詩的な言葉で記されていて、なんて素敵なんだと震えた。

ほら、本は花なんだよ。ふれてやれば言葉が浮遊するだろう。かれらは逃げてゆくさ、もちろん。でもそれでいいんだよ。本の内容は手に入るものじゃない、手元に留めておけるものではないんだ。ただその風景を、その光を、その風だけを、よく覚えておけばそれでいい。


読みたい気持ちと同じくらい書きたい気持ちがあって、休日は少しずつ書いている。


どれだけ忙しくても、
今後も書かずにはいられないんだろう。
たとえ誰にも読まれなくても。

これだけ娯楽があふれてる世の中、
「誰かに読んでもらえる」のは、すごいことだと思ったりする。
こんな徒然のnoteの記事でも。


本に関われる幸せと、
執筆することの葛藤と痛みと。
両方抱えながら、
これからもずっと書いていきたい。

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