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所有の悪魔をひっぺがせ✡BOOK CAFEそらふね『人はなぜ物を欲しがるのか』

「より多くの富を持つことがいいことだ、幸福だ」と思っている人のほうが、そうでない人に比べてあんまり幸せを感じられていない
これは心理学の研究でハッキリと指摘されている。文化や年齢、性別に関わらず、一貫して明らかな事実として。

断捨離ブームからミニマリスト、シンプルでお洒落な持たない暮らしがポピュラーになってきた今、「所有(冨)と幸福は比例しない」という知っても「え?!まさかそんな!」ってほどの衝撃は受けないハナシかもしれないけど…

それでも、「私は別に物欲とかそれほど」と思っているアナタ、「高級品アピールで自分の価値があがると思い込んでる人、いるよねぇ〜」と人ごとのように眺めているアナタ、「手放しを進めてより身軽に、より自由に生きるのよ!」というスピリチュアル界隈の決まり文句に忠実なアナタにこそ、聞いて欲しい。

もちろん、自分だけは別だとほとんどの人が考えている。だが、だからこそこう言えるのだ──「私たちは、所有という悪魔に取り憑かれている」と。

『人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念』ブルース・フッド

宇宙を旅する移動図書館✯BOOK CAFEそらふね✯

1年あいて、久々のお出まし!館長とと子が勝手気ままに紹介する、「こいつぁ、オモシロイ!」が詰まった本たち!

「こいつぁあオモシロイ!!って本をご紹介。占星術やタロットのネタも絡めて、マニアックに楽しみたい人のもとに現れる移動図書館」BOOK CAFEそらふね

今日お届けするのは、発達心理学者ブルース・フッドせんせによる『人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念』という一冊。

この本は「欲しがる」仕組み、所有欲、そして所有の概念(所有ってつまりどういうこと?)について「わかっているようでわかっていない」真実をベリベリと見せつけてくれる。脳の(心理的な)働きから、動物の進化とニンゲンの特徴、そのニンゲンらしさが発達する過程に深く関わっている「所有」について。

ニンゲンらしさの発達は、社会や文化・文明の発達でもある。
「所有」(の概念)が生まれて、ニンゲンらしさが生まれたって言ってもいいくらい、「所有」ってのはめちゃくちゃゴッツイ下地、根っこ部分にある概念なんだよね。それは動物とニンゲンを比較した「ニンゲンらしさ」にとどまらず、ひとりひとりの「ワタシらしさ」にとってもキョーレツな影響力を持つもの。

「ワタシらしさ」は言い換えれば、「これがワタシ」を示す精神的な境界線

この境界線が、実は「所有」抜きには語れぬものなのだ。
所有の概念ってのはざっくり言えば「これはワタシのもの」を巡るルールのこと。このルールは単純なようで、実はかなり複雑で曖昧だってことにハッとさせられるオモシロイ事例が盛り沢山。

なぜって、そのルールや価値観は社会や文化、そして歴史からの影響をゴリゴリに受けているから。トキとところが変われば「所有」に対する態度、行動が変わる。

そんでもって、いつの世いつの時代も、ニンゲンの行動を突き動かす最たるもののひとつが「所有」であることは、あまりに自分たちに馴染みすぎた感覚ゆえに意識されることは少ない気がする。

POSSESSE(所有すること)が意識されないのは、ワレワレがPOSSESSED(憑依)されているからさ。物欲それすなわち悪!とは思ってないけど、色々と勘違いの種に(そしてそれが対立や不幸のきっかけに)なってるのは事実。

だから、いっぺんソイツを引っ剥がして正面からその顔を、「所有」の悪魔の正体を見極めようじゃあないか。

Name it to Tame itネイム イット トゥ テイム イット)って言葉がある。「名付けることで、それを飼いならすことができる」って意味だね。従えたくば名を与えよ。名前(真の名だったり、正体)を見破られた悪魔が姿を消す物語は世界共通にある。

今日のBOOK CAFEそらふねはエクソシスト✡笑
正体を掴んだソイツを今後どうするか、どう付き合っていくのかはご自由に。

まずは、「ワタシも憑依されている」という自覚から。
そのスタートラインに立たせてくれるのが、この『人はなぜ物を欲しがるのか:私たちを支配する「所有」という概念』なんじゃないかな。

「手放す」という行動の裏に「これはワタシのもの」だと信じて疑いのない大前提がある

仏教に馴染み深いワレワレ日本人からすれば、「執着は不幸の源」ってハナシもそんなに耳新しくはないよね。
「手放す」というキーワードはそれこそしょっちゅう言われているし、なんなら毎月、月が満ちるたびに誰かがどこかで言っている。(新月は願望実現、満月は手放しを!ってのがどうやらこの月にあやかるおまじない界隈の常識らしい)

「手放す」ことで余白が生まれる。「手放す」ことで無用な苦しみから解放される。身軽になる。「手放す」ことで新しい可能性を手に入れることができる。
手放す、バンザイ!手放せ、手放せ!さぁそのしがみついている手を開くのです!ってなもんで。

確かに、手放すことは物理的にも精神的にも、囚われている状態から解放されるための重要なアクションだと思う。

さて、ここでちょっと考えてみて欲しい。

そもそも、「手放す」ってのは何かを持っている前提でとる行為。「それは私の(所有する)ものだ」って大前提があって初めて、手放すという行動が成立する。自分のものじゃなければ、手放すなんてできないもの。手放す対象になるのは、自分のもの、もしくは自分のものだと自分が信じているもの

「手放すぞ!」と意気込む人は、皮肉にも「これはワタシのもの!」という前提にガッシリしがみついているってこと。

北アメリカ大陸の先住民は、彼らの土地を手放す(売却する)ことを要求された。入植者によって二束三文で土地が購入される例は歴史上あちこちで見られるけど、それは先住民たちが計算のできない「下等な」人たちだったからじゃない。そもそも、その土地は自分たちのものじゃなかったんだから、手放せと言われても「は?何言うてますの?」な感覚だったんだろうね。

土地売却の条例に署名をしたシアトル酋長の有名なスピーチ。

ワシントンの大統領から、我々の土地を買いたいと申し出を受けた。しかし、大地や空を売ったり買ったりなど、できるのだろうか?その考えは我々には奇妙に思える。空気の清々しさや、水のきらめきは我々のものではないのに、どうやってそれを買おうというのか?

シアトル酋長のスピーチより

ブッダもたぶん「アナタの持っているもの手放しましょう」とは言ってなくて、「そもそもアナタ、それアナタのものなんですか?」を問いかけてると思うんだよね。そもそも自分のものでもないのに、「これはワタシのもの!!」としがみつくから、苦しみが生まれる。
それはお高い時計や車、ステキなドレスやバッグに限らず、肉体と精神も含めて「それってほんまにアナタの所有物なんですか?」と突っ込んだのがブッダの鋭いところ。

そもそも、アナタはそれを「ワタシのもの」だと信じている、その根拠はなんなの?その根拠ってやつが意外なことにものすごくふんわりしていることに(それなのにキョーレツな影響力を受けていることに)、この本を読むうちに気付いてしまう。

「自分のもの」を失うときの心の痛みは「自分」が傷つく痛み

すごくすごく大切にしているのは「自分の一部」のようだと例えられるけど、脳(私たちの身体自身)もまさにそう捉えていることがわかる実験や事例がたくさんある。

大切にしている(小さい頃していたもの)を傷付ける行為は、例え「それが写った写真を切り刻む」という象徴的な行為であっても、強い不安とストレスの反応が引き起こされる。

自分の所有物を放棄するとき、自分の所有物が許可なく持ち去られる時、そして空き巣に入られたときの精神的ダメージも、「自分の一部」に危害が加えられたのと等しい苦痛をもたらす。

つまり「ワタシのもの」が、無意識のうちに「ワタシ」として扱われているってるってこと。

ウィリアム・ジェームズは、人が自分に抱く「ワタシらしさ」は、その人の「これはワタシのもの」の守備範囲で決まる、と言った。
ワタシの身体、ワタシの精神はもちろん、ワタシの思想、感情、行動。ワタシの着ている服(ワタシの好み)、ワタシの家族や友人、ワタシの住む土地や所属グループ、社会的肩書や名声、銀行口座に預けてある金額・・・
Myナニナニ、の総和が「This is Me」のイメージをつくる。

哲学者サルトルはその「今持っているもの」に加えて「まだ持っていないけど、持つ可能性のあるもの」も足し算に加えられる、という。脳は手に入れたものよりも、手に入れる期待や可能性のほうに強く興奮するからね。

「ワタシ」という存在領域、ワタシらしさという自己イメージは、「所有物」と「所有欲」に左右されているってこと。ワタシはなにものだ、を確認するために「これはワタシのものだ」がある。

雲の上の人に対してはなんとも思わなくても、隣人や同僚となると嫉妬の炎が着火しちゃうのは、彼らが持つものは「ワタシのものになる可能性のあるもの」つまり「ワタシのもの」の守備範囲なわけで、彼らはその「ワタシ」という存在領域に危害を加えるけしからんヤツってことになるから。

『人はなぜ物を欲しがるのか』は、脳の特性(隣の芝は青い、藪の中の二羽より手中の一羽、損失効果バイアス、授かり効果、etc)をふんだんに例に挙げて、身近な行動や人類共通の問題の裏にはこの「所有(所有物と所有欲)」がこんなにも強く絡んでいるのか、と気づかせてくれる。

あぁ、そうだ。今思ったんだけど・・・
自分のアイディアとか好み、思想を受け入れてもらえないときにひどく傷つくのは、それは思想や嗜好を「ワタシのもの」と見なしていて、「=ワタシ自身」だと思っているからか。
意見に賛同できない、ってのは、その意見に対してであってその人という存在を否定しているわけじゃないのにね。
自分と違う意見を見たときにわざわざ噛みつきたくなる人も、自分の領域を冒されるような脅威に突き動かされているのかもしれない。

「所有」について考えることは、「ワタシらしさ」や「ワタシという存在」の境界線を考えること。

どこからどこまで「ワタシのもの」に含まれるのか?という所有のルールは、単純なようで、想像以上に複雑で曖昧。精神的な境界線だからね。物的にぴちっと線引できるものじゃないし、簡単にそのラインは変更(操作)される。
しかも本人の意識以上に、外部からの影響によって決められているもんなんだよね。

「ワタシのもの」「ワタシらしさ」の境界線は外部の影響を受けて簡単に変わる不確かなもの

それが必要かどうか、どのくらい重要なものか、手元に置いておきたいと思う感覚、手放したくないという感覚、手に入れたいと思う感覚…そういうモノの価値を決める判断基準を「価値観」と言うわけだけど。

その価値観ってやつは、その人の社会の価値観に大きく影響を受ける。

日本みたいに集団主義的な地域よりも、アメリカみたいな個人主義的な地域のほうが、「所有者意識」は強くなるし、宗教や思想、歴史に絡めて語られるときも「所有者意識」が強化されることが実験で証明されている。

その実験でオモシロイのは、文化や社会で違いが出ることもそうなんだけど、その「所有者意識」ってやつが実験者のちょっとした操作で簡単にいじられちゃうってこと!

集団主義的な価値観を示す被験者グルーブでも、事前に「自分自身に意識を向ける」ように促されると、所有者意識が強くなる。

「ワタシ」に対する意識と「ワタシのもの」に対する意識は強く結びついてるから。

悪魔の弱点(これもまた別の悪魔なんだけど…)

所有物と所有欲がこれほどまでに人の行動を刺激するのなら、慈善的な行動はどう説明できるのか?

このへん、社会的な進化を遂げた生物学的な視点、罪悪感と処罰欲求、他者の目を意識するニンゲンならではの特性から考察されててとってもオモシロイ!

集団、他の人の「目」が行動をコントロールするってことについてはこの本↓がより解像度を上げてくれそう!次に読もうと思って読みたい本リストに入れてる一冊なの。

社会的なつながりを求める欲求、これまた人を天使にも悪魔にもしちゃうキョーレツな動機・・・「他人からイイ人評価がほしい」欲求は所有欲を抑えるくらい強いってのがオモシロイところ。
次この本を読めたら、BOOK CAFEそらふねで悪魔祓い(天使の召喚?)第二弾の記事を更新しようかな!!本購入カンパ、求む(笑)

人類の悪名高い心理実験や、悲劇的な歴史も、この欲求が過剰に働いたことが原因だったんじゃないか?って視点をくれたのは、あの本↓だね!!

ヒトは根本が悪か?善か?って論争を、一歩下がって「どちらかが真実なんじゃなくて、それは選択の結果」だというのが『Humankind』が導く視野の広さ。私たちはそれを選べるんだ、選ばないといけないんだって希望と情熱を呼び起こす、人生観(人間観)を変える一冊。

前にBOOK CAFEそらふねで紹介したときの記事はコチラ↓☆

かなりビンビンにエネルギーが強い記事だぜ☝✨(笑)

ちなみにこの『人はなぜ物を欲しがるのか』は、「楽観視したままじゃいけない。それじゃ未来は善くならない。まずは自分が取り憑かれていることを自覚しろ」って方向であるんだけども。
私はそれも同意見。

悪魔の正体も、天使の正体も、ワタシのプリズム

悲観でも開き直りでもなく「誰が悪い!何が悪い!」って悪者探しでもなく、自分がどこに立ってどんな世界を見ているのかってのは、自分の目だけじゃなくていろんな角度とピントの目で把握しようとすべきだと思うんだよね。

そういう意味で、私は占星術を見るのが好きでね。性格とか運勢とか、願望実現のおまじないとか、そういうのんじゃなく・・・
自分と、自分が見る世界と、世界から見た自分を、レンズを付け替えて見る術として。時間スケールも空間スケールも、自由自在に縮小拡大切り替える術として。

そんでもって、仕組みを知識として知って満足する(これもまた、所有の悪魔からの誘惑)ためじゃなくて、この時間と空間の中で実際に生きる経験を楽しむための術として。

その術を、ひとつの遊び(プロジェクト)の形で表現したのが『人工宇宙プロジェクト』※なんだけどね!んまぁ、これはまた別のおはなし!

いろいろと、仕掛けが施された人工宇宙・・・✡

ワタシらしさを守りたいのは、ワタシという存在を肯定したいというニンゲンの究極の願い

さて『人はなぜ物を欲しがるのか』では、所有欲に振り回されていることを自覚して、そこから抜け出そうってのが根底にあるメッセージなのね。

人体を構成する素粒子は、宇宙の彼方で起きた爆発の名残の星屑だ。
私たちは宇宙の一部として生まれ、限られた寿命しかない存在でありながら、その生涯の大半を宇宙のあれこれは自分のものだと主張することに費やしているのである。
思い上がりも甚だしいと同時に、最終的には無意味な追求に人生を浪費していると言えるだろう。

「ワタシらしさ」、「これがワタシ」を示す精神的な境界線は「所有」(所有物と所有欲)に大きく影響を受ける。影響どころか、同一視してしまう。

時間の経過、状況の変遷にも影響を受けない、常に変わらぬ唯一の真実たる自己は、幻想だ。ワタシだと思っているものは、ワタシだと思いこんでいるもののコレクションにすぎないんだもの。

部屋の隅にいつのまにか出来上がってるホコリ玉みたいに・・・いろんな色の糸くずやらなんやらはさ、位置的な中心はあるけど、最初から中心が「そこにあった」わけじゃないでしょ。結果的に、そこがホコリの集まる中心が、その毛玉の中心になったってだけで。

ホコリ玉が嫌なら、みんな大好きドーナツをイメージしたらどうかしら。
ドーナツのドーナツらしさ、真ん中に穴がある焼き菓子。あの穴は最初から「ここが穴です」と確保してあった空間なんじゃなくて、ドーナツをつくるときにできる穴。穴をつくるときに、できるドーナツ。

ワタシがこうして何かをすること、何かをしないこと、そして存在そのものを、絶対的に認めてくれる、肯定してくれる根拠。

それをあぶりだすために占星術っていう言語が生まれたんじゃないのかな。

ワレワレはもともと肯定されている存在だから、それについて語ろう、ってのとちょっと違うと思うんだ。成立の背景には、それがないんだよ。ないからそれを求めるために必死になった。

今こうして世界が存在していること、自分が生きていること、それを絶対的に肯定してほしい。肯定したい。その根源的なキョーレツな欲望、欲求、ニーズが占星術成立の背景なんじゃないか。
(中略)
「欲しい」ってことは「ここには無い」ってのと同じ意味。

・・・ってことは、もともと無いんです。ワレワレの存在を肯定する根拠ってやつは。生まれてきた理由?天命?使命?運命?そういったのは、全部もともと無かったんです

無いものを「ある」と仮定してそれについてコトバの限りを尽くしているんです。あ、仕組みとしては、ですから。占星術って言う言語の仕組みね。

占星術の仕組みに立ち返って言えば、「この瞬間、このホロスコープを選んで生まれてきた」なんてことはなく、逆に生まれてきたことに対する理由付け、神秘、を証明するためにホロスコープを使って語ってるんだよ。

『占星術という人工言語』

↑この説ね、一部だけ引用するとどうしても誤解されそうなハナシになっちゃうんだけど・・・BOOK CAFEそらふねも、プロジェクトのあれこれも、結局ここに還ってきちゃうんだよね。

人間讃歌!Amor Feti(運命愛)!
限りあるいのち(=時間、宇宙から生まれたトキ)に、めいっぱい驚かされたい。

所有の悪魔もまた、この地球に一緒に降り立った(気付かずにおんぶしていた)同胞として。「おいおい、君か背中に乗っていたのは!」と笑って背中からおろして、隣で肩を叩いて歩けばいいさ。

そう、BOOK CAFEそらふねの悪魔祓い✡は、悪魔とバトルしてこらしめるんじゃないの。ひとりのクセの強い同胞として歩む。でも進みたい方向は勝手に決めさせたりしないからね。意見は聞こう、でも決断を下すのはキミじゃあない


以上、ブルース・フッド『人はなぜ物を欲しがるのか』より、BOOK CAFEそらふね船長とと子の自分語りSHOW TIMEでした!!(笑)

なんと!!白揚社さんのnoteで、試し読み公開されております♡♡


Thank you for reading☆彡

この本読んでみて!代わりに読んで紹介して!ってリクエストもウェルカム☆「書籍代に♡」とお小遣いくださるフォロイーさんは占星術好きさんが多いから、占星術を絡めて(依頼者さんの星に響きそうなテーマに絡めて)お届けすることもできるよ🫡

↑メッセージはこちらから
ときどき過去記事読んでくださった方から熱い感想が届くこともあって、嬉しくて目頭があつくなる・・・

あ、エネルギーがまわった!発電した!って思える瞬間。生命力を高めあえる誰かが、この宇宙に一緒に生きているというヨロコビ♡

BOOK CAFEそらふね、次なる読者にぶつける隕石をお届けすべく、今日も銀河を航行します⛴

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。絵描きの絵とかも一緒じゃない?テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。
かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。隕石としか言いようがないけど。わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。
聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

「隕石ってのは、『遠くから降ってくる大事な感覚』のたとえだよ」

SOSの猿 (中公文庫)


もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!