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所有欲の本質を鋭く探る『人はなぜ物を欲しがるのか』試し読み

12/14(水)発売予定の白揚社新刊『人はなぜ物を欲しがるのか――私たちを支配する「所有」という概念』より、試し読みをお届けします。

手に入れたい、独占したい、失いたくない……
人間が生きていくうえで必ずかかわってくる、所有という行為と「自分のものにしたい」という所有欲

そもそも所有という行為は、進化の中でどのように生じたのか?
個人の所有欲は、社会のあり方にどんな影響を与えたのか?
そして、私たちがいくら物を手に入れても幸福になれないのはなぜなのか?

心理学、生物学、社会学、行動経済学など多様な分野の知見をもとに、私たちの人生を支配する「所有」というものの正体を探る話題作より、冒頭部分の「はじめに」の抜粋をお届けします。

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 地球が誕生してから現在までを24時間に置き換えると、約30万年前に進化した現生人類ホモ・サピエンスが登場するのは、深夜0時の5秒前、23時59分55秒だ。宇宙の壮大な歴史に比べれば、一人の人間の一生はわずかに瞬きの間を占めるにすぎない。あなたがこの場にいることすら奇跡である。実際に生を受けた私たちの陰には、受精できずに終わった無数の卵子や精子、存在していたかもしれないありとあらゆる人間がいる。そう考えると、あなたや私はほぼゼロに等しい確率を覆し、運よく誕生できた稀有な存在なのだ。しかも本書を読んでいるあなたは、おそらく多くの人が手にすることすらできない特別な機会を享受してきた一人だ。教育を受け、本が読めるという僥倖に、すべての人類が恵まれているわけではない。短いとはいえ、この世の生を謳歌できる私たちは極めて幸運なのだ。にもかかわらず、この貴重な存在の時間を私たちはどのように過ごしているだろうか。人生の大半を絶え間ない所有の追求に捧げ、所有物を他人に奪われまいと汲々としているのである。

 そもそも生まれ落ちただけでも儲けものなのに、豊かな社会に暮らす私たちの多くは所有こそ人生の目的と信じこみ、可能なかぎり多くの資産の蓄積を目指すライフスタイルを貫いている。だが基本的なニーズや快適さが満たされたあとは、それ以上のモノを手に入れても充足感が増すことはめったにない。それでいて、人間の心にはもっと所有したいという飽くなき欲望が生まれる。物理的世界に存在するだけでは飽き足らず、多くを所有したほうが幸せだと信じ、物理的世界の所有権を最大限に主張しようとの強烈な衝動に駆られる。だが、考えてみてほしい。人体を構成する素粒子は、宇宙の彼方で起きた爆発の名残の星屑だ。私たちは宇宙の一部として生まれ、限られた寿命しかない存在でありながら、その生涯の大半を宇宙のあれこれは自分のものだと主張することに費やしているのである。思い上がりも甚だしいと同時に、最終的には無意味な追求に人生を浪費していると言えるだろう。

 この惑星に暮らすあいだ、私たちは所有物をめぐって争い、所有物を囲いこみ、所有物を渇望し、人生の目的とはつまるところあらゆるものに所有権を主張することだと考える。だが結局は死んで土に還り、躍起になって入手した所有物の行く末を知ることもない。敵の侵入を防ごうと塔を打ち建て、濠をめぐらせ、一生かけて砂の城を築こうとも、すべては時間という波に押し流されて消える。人間も無知ではない。いずれは死すべき定めにあり、死後の世界に何も携えていけないことはだれしも承知しているのだが、所有の追求というやむにやまれぬ動因に突き動かされ、多くの人にとってはそれが人生の目標と化してしまうのだ。

 人間を人間たらしめているもの、それが所有である。所有が心に及ぼす力は強力で、所有物を守るために命を危険にさらす人さえいる。死が差し迫った瞬間には何を所有していようと結局は無益だと悟りそうなものだが、そうではないらしい。1859年、乗客450名を乗せ、オーストラリアの金鉱からリバプールに向かっていたロイヤル・チャーター号が、ウェールズ北岸沖で難破した。故郷を目前にして掘り当てた金塊を手放す気になれなかった多くの乗客は、金塊を入れたベルトを巻いたまま溺れ死んだという。物質主義に陥った愚者の物語は歴史や神話にも散見される。触れるものがことごとく金に変わる能力を手にしながらそれを厭うたミダス王の神話はよく知られているし、グローバル経済を手玉に取る金融機関によって市井の人々の生活が破壊されるという、現代の景気循環がもたらす事態も、その好例だろう。資産の蓄積に熱中するのは投機家ばかりではない。人類の大半がその熱に浮かされているのだ。

 人は一生、所有物の蓄積にとらわれる。私たちは世代交代のたびに残されたモノの大半を捨て、自分だけの新たなモノの獲得に乗り出す。所有だけが目的ではない。さらなるモノを追い求めるのは、そうすることで獲得衝動が充たされるからだ。所有物は所有者を思い出させるよすがともなる。そのために、人はみな所有によって、この宇宙に自分が生きた痕跡を残そうとする。20年前、妻のキムと私は、ともに若くして亡くなった妻の両親の全財産を相続した。財産の大半は義両親が大切にしていた家財道具で、いまでも使っている数点の家具を除き、ほとんどは屋根裏部屋にしまいこまれている。処分すべきとわかっていても、キムの腰は重い。最後に残った両親の生の証が失われてしまうように感じるからだ。

 人はみな所有物を通じて、自らの生きた証を残していく。記念品や骨董品が魅力的なのは、そうした品が過去とつながっているからだ。私はオークションハウスやリサイクルショップをめぐるのが好きだが、訪れるたびに、こんなものまで集める人がいたのかと驚かされる。だが、どの品も一度は所有者がいたのだ。これはだれかが是が非でも手に入れたいと願った品かもしれない。その人はこの品を入手するために必死に働き、手に入れた際には喜びを噛みしめたかもしれない。ひょっとしたら、命の危険を賭して獲得した品かもしれないのだ。勲章、ミニカーのコレクション、銀の手鏡──そのどれもが、以前の所有者にとってはおそらく特別な意味を持っていたのだろう。大切にしている持ち物がいずれ破棄されるか、自分のことを知りもしない他人の手に渡るとわかれば、あなたはどんな気持ちがするだろうか。気にならないという人もいるだろうし、反対に人一倍モノへの執着が強い人もいるだろう。だがいずれにせよ、所有という行為は、種としてのヒトの行動を動機づけるものは何かについて、奥深い真実をあぶり出す。「情動」と同じ語源を持つ「動機づけ」という言葉以上に、この文脈にふさわしい用語はない。なぜ私たちは所有の必要に駆られるのだろう。そしてなぜ所有は、これほど大きな情緒的なつながりを生み出すのだろうか。

 裕福な人は財に恵まれ、貧しい人よりも多くのものを買うことができるが、所有は単なる経済状態を表すにとどまらない。むしろ私たちは、所有物や所有したい物とのあいだに、情緒的なつながりを築いているのである。私たちは欲しいものが手に入れば幸福になれると考えるが、実際には欲しいものが手に入っても幸福になれないケースは多い。心理学者ダン・ギルバートはこれを「欲求ミス」と名付け、人間が陥りやすい錯誤だとしている。人間はどうやら、モノの獲得がもたらす喜びや満足を正確に予測できないらしい。所有については、とくにこの法則が当てはまる。現に消費者向けの広告の大部分は、「この商品を所有すればもっと幸福になれます」という〝約束〟を売ることで成り立っているのである。

 欧米人の多くが誇りと喜びを感じる、あのアイテムを考えてみよう──最初に所有した車である。大概の人は車を入手するため懸命にアルバイトに励み、ようやく手に入れた車を誇らしく思い、その車を必死になって守る。最初の車が、自分のアイデンティティーの一部となるのだ。毎年、カーリースの車や保険をかけてある車を盗難から守ろうとして、重傷を負う人が後を絶たない。ときには命を落とす人すらいる。危機にさらされているのは金銭的な損害ではなく、所有権なのだ。持ち物を奪われそうになると、人はあたかもわが身の安全が脅かされたかのように、理性を欠いた行動に出る。執着が強いと、所有物とのあいだに歪んだ関係性が生じることもある。盗まれた車を取り返そうとした所有者が、高速で走り去る車の前に立ちはだかったり、ボンネットにしがみつくといった無駄なあがきをする場合がある。冷静に考えれば、たかが車のために命を危険にさらすのはおかしいとほぼ全員がわかるはずなのだが、それでもはずみでやってしまうのである。それでいて、ご近所さんの家の私道に新車が停まっているのを見ると、とたんに自分の車が気に入らなくなり、高級な車に買い替えたくなったりする。所有は競争を激化させる。相手よりつねに一歩先んじようとするこのレースに勝つのは、並大抵のことではない。前方には絶えず新たな競争相手が現れ、後方からは他の競争相手が追い上げてくるからだ。

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 本書は、所有をめぐる心のはたらきがいかにしてヒトという種を形作ってきたか、さらにはそれが今日の私たちをどのように支配し続けているかを探った、初めての本である。「所有する」というあまりにも身近な言葉を、私たちはふだんほとんど意識せずに口にしている。だが所有は、じつは人間の頭にあるなかでも一、二を争うほど強力な概念だ。何をするか、どこに行くか、自己や他者をどのように言い表すか、だれを助けだれを罰するかといった人間の行動に、所有の概念は深く織りこまれている。文明というもの自体が所有の概念をもとに築かれており、所有の概念なくしては人間の社会は崩壊する。なぜこのような所有への依存が生じたのか。人はみな、所有の力を生み出し行使する術をどのように身につけるのか。なぜ人間はもっと所有したいという欲望に駆られるのか。所有の概念が、私たち自身のアイデンティティーの形成にどう関わってくるのか。こうした問いを自問し始めたとたん、だれもに馴染みのある身近な所有の概念が、とたんに見知らぬものに思えてくる。所有はもはや法的状態でも、経済的地位でも、政治的武器でも、所有者を明確に区別する便利な方法でもない。所有という概念が、人間とは何か、そして人が自分自身をどうとらえているかを決定づける特徴の一つとなるのである。

 人は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにこの世を去る。だが生と死の狭間、人生という舞台に立つこのわずかなひとときだけは、あたかも自分という存在が所有物によって定義されるかのように、人は所有を誇示し、所有に思い悩む。多くの人はこの絶え間ない所有の追求にがんじがらめになった一生を送り、ときには自分や子どもたちの命の危険をも顧みず、果ては地球の未来すら棒に振ろうとする。この状況を変えるためには、所有とは何か、所有の概念がどこから来たのか、所有からどのような動機づけが生まれるのか、そして所有に依らずとも同じくらい幸福になるにはどうしたらいいのかを、私たちは理解しなければならない。

 モノを所有することで幸せになれると私たちは考える。だがむしろ、所有によってかえって惨めさが増すことも少なくない。富の蓄積に病みつきになった一生をふり返り、「ああ、いい人生だった」と心から言える人がはたしてどれだけいるだろうか。所有の追求に我を忘れる日々の中で、自分にとって、人類にとって、あるいは地球全体にとって、所有で何が成し遂げられ何が失われるのかを、私たちが本当の意味で深く理解することは稀である。物質的豊かさを追い求める人がどれほどの労力を費やし、どれほどの競争に明け暮れ、どれほどの幻滅に襲われ、どれほどの不正をなし、最終的にどれほどの損害をもたらしているのかをすべて勘案すれば、絶えず所有に躍起となる人生はひどく虚しいものと映る。それでいてなお、人間には自制するということができないらしい。

 私たちは、所有という悪魔に取り憑かれている。だが、この悪魔は祓うことができる──なぜ人はやむにやまれず所有するのかという、その理由を理解しさえすれば。

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本書の紹介ページ

【目次】

はじめに

第1章 本当に所有していますか
見つけた者勝ち/財産とは何か/きみはぼくのもの/親の所有権/政治的所有権/アイディアの所有は可能か?/概念にすぎない

第2章 動物は占有するが、所有するのは人間だけ
生存競争/ものづくりの精神/相対的価値/傍観していてよいのか/コモンズの悲劇

第3章 所有の起源
バンクシーはだれのもの?/アメとムチ/それ、あなたのですか?/所有できるものは?/だれが、何を所有できるか/テディベアと毛布/単純な占有の先に

第4章 それが公平というものだ
アメリカ人はスウェーデンに住みたがる/独裁者ゲーム/持ちつ持たれつ/正直な偽善者/報復するべきか/一緒に力を合わせよう/ホモ・エコノミクスよ、さらば

第5章 所有と富と幸福
社会的成功の誇示/機械が所有欲を満たしてくれた/クジャクの尾/魅せるファッション/相対性という基本原理/望ましい池の選び方/ブリンブリン・カルチャー/緑の目をした怪物と、背の高いケシ/諸国民の富

第6章 私のものとは私である
拡張自己/商品の物神崇拝/特殊な人々/わがままな私/損失の見通し/未練がましい敗者

第7章 手放すということ
手中の一羽/追い求めるスリル/手放せない人々/心の居場所こそわが家なり/足元から瓦解する/人は所有で幸せになれるのか

おわりに
人生というレース

【著訳者紹介】
ブルース・フッド
カナダ生まれ。ブリストル大学心理科学部発達心理学教授。
認知発達に関する研究で数々の賞を受賞。アメリカ科学的心理学会、イギリス心理学会および王立研究所のフェロー。テレビやラジオにもたびたび登場している。著書に『スーパーセンス』(インターシフト)がある。

小浜 杳
翻訳家。東京大学英語英米文学科卒。書籍翻訳のほか、英語字幕翻訳も手がける。訳書に『ライズ・オブ・eスポーツ』(白揚社)、『サーティーナイン・クルーズ』シリーズ(KADOKAWA)、『WILD RIDE(ワイルドライド)』(東洋館出版社)ほか多数。



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