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Examination 一章 ②【オリジナル長編小説】


これを書き直してる

マガジン



1-6




 朗報と言えば朗報かもしれない。生まれて初めて、女子と連絡先を交換した。
 メッセージアプリで一番最初に送られてきたのは、ソフトクリーム状の排泄物はいせつぶつのスタンプだったが。それでもちょっと嬉しい。


 そして翌日、休日、朝8時。
 俺は再び、羽生さんの家を訪ねた。学校は休みなので、今日は私服だ。恐らく家事をやらされる........というか、家事をやらせて欲しい(やったことはないが)ので、動きやすい服装をしてきた。やり方は、まぁ、この便利なスマホってやつで検索すればいい。


 古くて大きい3階建て。こんな大きな家に1人で住むというのは、寂しいんじゃなかろうか。門の扉を開けて敷地内に足を踏み入れると、門を境に空気が変わった様な気がした。これは昨日来た時も感じたものだが、初めての感覚ではなかった。

 俺は毎日、帰宅する度にこれを感じている。結界というものだろうか。雑多な霊が集まりにくい場所は、だいたい空気が他の場所とは違う。我が家での結界の主は恐らく母........だと思うのだが、羽生さんちで似たようなものが張ってあるのは少し驚いた。例えるなら、「ラ〇ュタは本当にあったんだ!」みたいな。

 玄関の前に立ち、古き良きインターホンを押そうとすると同時、扉が勝手に開いた。眼帯をした白髪の女性が、ダルそうに立っている。


「それ、もしかして今、霊感ない人にも見えるようになってます?」

「そうよ。私は神だから、気分次第で何でもできるのよ」


 あくまで、気分次第でな。必要には応じない。

 すらっとした長い脚、細い腰。Tシャツとジャージのパンツという出で立ちでも、スーパーモデル並のスタイルがあればこんなにも格好良いのだ。神は不公平。あ、こいつが神だ。そして巨乳だ。

 しかし、まばたきした次の瞬間には、元の真っ白な着物姿に戻ってフワフワと浮いていた。変わってないのは巨乳だけだ。


「飛鳥はまだ寝てんだけど、コージローが起こしてくれない?」


「え、俺がですか」それはまずくないか、俺は男で、羽生さんは多分女なわけだし。なんかこう、不純ではなかろうか。西王母はしかし、そんな俺をジロリと睨む。


「何よ、神に逆らうわけ?
 いつもは私が起こしてんだけど、めんどいのよ」


 はぁーあ!と、心底だるそうな声をあげる。「ってことで、あの子の寝室は3階、スリッパ欲しいならそこにあるから、勝手に使え」潰れかけの旅館のような、雑な出迎えである。言われた通りに、俺は靴を脱いで近くにあったスリッパを履いた。

 それにしても、羽生さん寝てるのか........。それを俺が起こしに行くのか。クラスメイトの、しかも美少女として密かな人気を得ているクラスメイトの、女子の寝姿が見れるのか。


 どんな服を着て寝ているのだろう。胸元とか、こう、はだけたりするのだろうか。いやしかし、普段の制服姿から察するに、おそらく貧乳だろうから、そこは期待しないでおこう。ならば足、そうだ太ももだ。太ももに期待しよう。そして鎖骨にもだ。

 そのような邪な期待に胸を膨らませる俺に、西王母が冷水のような言葉を浴びせかけた。


「一発も喰らわないように、気を付けなさいね。痛いわよ」



1-7



 なんであんなこというの。

 一気に冷めて暗くなった気持ちが、足をなまりのように重くさせた。なんとか爪先を持ち上げながら、三階まで階段を登る。玄関は三階まで吹き抜けになっており、壁には丸くシンプルな窓がめられているため、明るさは十分だった。


 三階まで上ると、階段から真っ直ぐに伸びる廊下が目に入る。右側には大きな窓がある。ブラインドが閉まっているので、今は薄暗い。
 西王母の話では、廊下の左側にある二つのドアのうち、手前の方はトイレで、奥の方が彼女の寝室だと言う。その西王母は今、一階に居る。心細いからついてきて欲しかった。



 俺はまず、ブラインドを開くことにした。最近新調したのだろうか、綺麗だが古ぼけた印象の内装から若干浮く位の真新しさだ。明るくなった廊下を見下ろし、ちょっと泣きそうになる。ねぇ、なんで三階にまでピーナッツ落ちてんの........食べ歩いてんの........?

 二番目の扉の前に立ち、俺は一度大きく深呼吸した。
 女子の寝室。
 女子の、寝室。


 気持ちが舞い上がりそうになるが、直ぐに萎んだ。西王母の一言が非常に気になる。「一発も喰らわないように気を付けろ」ってなんなんだ。おそらく打撃なのだろうが、気を付けても無駄ではなかろうか。

 ほんのちょっとの期待と、バカでかい不安で心臓をバクバクさせながら、俺は昔ながらのアルミっぽい素材のドアノブを掴んだ。


 扉を開いた瞬間、中から流れ出てきた空気が優しく俺の全身を包んだ。妙に心が落ち着き、そして眠気がしてくる。

 部屋の中は廊下よりも遥かに暗かった。しかし、勾配こうばい天井にポツンと一つだけはまっている丸い天窓から、外の陽光がスポットライトの様に降り注いでいる。その光が部屋の中央に置かれた大きなベッドを明るく照らしていた。
ベッドの中央で、白くて大きな芋虫____布団でセルフ簀巻すまきをしている羽生さんが寝ていた。暑そうだな。


 ........いざ。
 ここまで腹の据わった気持ちは、生まれて初めてかもしれない。俺は唇をキッと結び、羽生さんの元に歩み寄った。不思議だ。入った瞬間に脳がリラックスしたような感じがする。気を抜くとへたりこんで寝落ちしてしまいそうな程に眠くなった。恐ろしい。なんか、まじない的なことやってんだろ。


 ベッドは、一人で眠るには少々大きすぎるクイーンサイズだった。一応迷ったが、彼女はおそらく声をかけた程度では起きないだろう。そうなると、俺もベッドの上に乗って彼女の肩なり腕なりを掴んで、揺すってみる方がいい。そうすることにした。

 マットレスに膝を乗せて体重をかけると、ベッドが少し軋んで揺れた。布団の塊から、不機嫌そうな唸り声がした。人というより、ライオンみたいな声だった。おそるおそる、手を伸ばして布団の上に手を置いた。


「は、羽生さん」


 軽く、ポンポンと叩いてみた。反応なし。
 叩いてみた感触からして、おそらく布団が分厚すぎて本体には届いていない。何だこの羽毛布団、どこで買ったんだ。フカフカだ。つーか、今五月だぞ。暑くないか?


「羽生さんっ」

「んぅ........」

「っみゃーー!?」


 ちょっと力を強めて、布団の塊を強く揺すった。すると次の瞬間、布団がめくれて、中からとんでもない速さの白いものが、俺の顔目掛けて飛んできた。

 それは素早く、そして絶妙な力加減で俺の鼻を叩いた。羽生さんの手である。こいつ達人か。
 後を引く程に強烈な痛みがあるのに、血は出ていない。血が出てそうなくらい鋭い痛みなのに。そして、ピンポイントで鼻先だけが非常に痛い。


 「一発も喰らわないように、気を付け」うるせぇ。もう喰らったわ。西王母め、俺に面倒事を押し付けただけだ。あいつはそういう奴だ。


 しかし、痛みと引き換えに、得るものがあった。俺に鼻ビンタした際に布団が捲れ、羽生さんの上半身が露わになったのだ。彼女は一般的なパジャマやスウェットではなく、旅館みたいに浴衣姿で寝ていた。

 そしてそれは少々はだけてしまっており、仰向けに眠る彼女の白い胸元が


「貧乳だ」


 ........あ、言ってしまった。そう後悔した時には遅かった。

 俺は二発目を喰らった。今度は見事なアッパーカットだ。しかしやはり、達人だった。衝撃はとんでもないのに、痛みが一切無いのだ。


「おはよう大国くん。君は朝から失礼だな。
 殺されたいのか?それとも消されたいのか?」


 それ、どっちも似たようなもんじゃないかな........。
 後ろ向きに吹っ飛んで倒れ込んだ俺の体を、羽生さんは足でグイグイ押してベッドから落とした。いや本当、ごめん。







1-8



 30分後、俺は居間で正座していた。

 誤解しないでほしい、これは自主的にやっている正座だ。決して、俺の目の前で仁王立ちしている羽生さんがやらせている訳では無い。そして彼女は、本日も全身ヒラヒラだ。

 俺と羽生さんとの間には、箒、チリトリ、バケツと雑巾が置かれている。


 「じゃ、よろしく」とだけ言い残し、羽生さんはさっさと居間から出ていった。軽い足音は廊下から二階へと上がっていき、どこかの扉の開閉音がした。


「えーと、つまり、掃除しろということか」

「助かるわぁ。今までは私がやらされていたのよ。やりたくなかったんだけど、飛鳥にフルボッコにされちゃってね」

「えぇ........?」


 なんなのあの子は。仮にも、一応、そうは見えなくても、恐らくは、女神であるこの西王母をボコるとは。


「西王母さん」

「王母でいいわよ」

「王母さん」

「呼び捨てでもいいわよ」

「王母、あの、普段どうやって掃除してるのか、ざっくり教えてくれますか?」

「タメ口でいいわよ」

「うん、フレンドリーに接してくれるのは嬉しい 。ありがとう。でも今の一連の流れは無駄すぎる。一度に言ってくれ」


 ちょっとだけ、ちょっとだけイラッとしたぞ。家族で食事する時、食卓について食べ始めようとしたタイミングで、母に「お茶取ってきて」と言ってくる父のようだ。お茶を持ってきたら今度は「取り皿がほしい」だの「ビール持ってきて」だの、全て頭でまとめてから言えってことを、いちいち小出しにして言ってくるんだよな。
 というか、それ、全部自分で用意すれば解決する話。



 さて、俺は16年という人生において、家の手伝いなどで家事をする事がなかった。これは母が一切をしっかりこなしており、かつ彼女が自分のペースを崩されたくないと感じているためである。遠巻きに観察して、何となく見様見真似ぐらいならできるだろうが、未経験なのであまり自信はない。
 もちろん、そんな母の血を引いてる俺だ。掃除したい気持ちが爆発せんばかりに、今はみなぎっている。ただやり方がわからんだけだ。


「とりあえずやってみなよ。何かあったら言うから」

「お、おう」


 世間知らずな俺には、主体性というものがまだ備わっておらず、このように自由を与えられると少々戸惑う。一から十まで指図される方がずっと楽だが、それだと無能なまま大人になりそうで怖くもある。コラ、そこ、実際お前は無能だとか思ったでしょ。やめなさい、泣きますよ。

 しばらく色々考えて、俺はまずバケツを持って台所に行き、水を汲んできた。今日日あまり畳の部屋は見ないので定かでは無いが、多分水拭きくらいはしても良いだろう。


「拭く前に箒じゃない?ってか、そこの収納に掃除機あるわよ」

「先に言ってェ?」


 なるほど、たしかに。まずは床のゴミやホコリを掃除した後に、水拭きか。考えつかなかった。俺は母の何を見てきたんだ。

 西王母が指さす先にある納戸の中から、長いこと使われてなさそうなホコリだらけの掃除機を引っ張り出した。掃除道具も掃除したほうが良さそうなんだが。
 近くにあったティッシュボックスから一枚だけティッシュを出して、とりあえず適当にホコリを拭き取った。そしてコードを限界まで引っ張り出し、コンセントの差し込み口を探して周囲を見回すが、見当たらない。


「コージロー、ここ、開けてみて」


 と、西王母が壁の前で言う。どこのことを言っているのかと思ったら、彼女の背後の壁は壁ではなく、壁紙と同じクロスを貼られた襖であることがわかった。言われた通りにそこを開けると、居間と同じ位の広さの和室が現れた。そして、向こう側の壁に、コンセントの差し込み口がある。


1-9



「え、居間にはないの?あれだけ?」

「ここら辺だと、そうね。あとは台所や廊下に出ればあるけど」


 使い勝手........!
 何と面倒な家だろう。思わずため息が出る。すっかりやる気が萎えた俺は、ダラダラと立ち上がった。掃除機のコードを片手に、隣の和室のコンセントに向かう。

 そして、コードが何かに引っかかる感触がした。


 「ん?」振り返った瞬間、居間のど真ん中に置かれていたバケツが倒れた。ゴトンと静かに倒れ、中に入っていた水は盛大に、それはもう盛大に畳にぶちまかれた。


「ヒィッ、や、やば................!」


 叫び出しそうな俺の目の前に躍り出て、西王母が右手を上げて制止してくる。


「落ち着きなさい、コージロー。こういうときは焦っちゃダメ。まず深呼吸するのよ」

「は、ハイッ」


 彼女の言うことは最もだと思い、俺は息を吸___




「あーーーすーーーかーーーーーー!!!!
 コージローがバケツの水をぶちまけて居間を水浸しにしたぁーーーーーー!サイッテーーー!!」


 ___った瞬間、西王母は天井、つまり二階に向かって声を張り上げた。こいつチクリやがった。

 俺は驚きと恐怖とで、締め上げられた猫のような細く甲高い声を上げた。それを見て楽しそうにニヤつく女神が、俺の目の前に居た。殴れるもんなら殴りたいが、俺は羽生さんほど強くは無いので、絶対やり返される。


 西王母が叫んでから二秒後、上の階から、静かにドアが開く音がした。トスッ、トスッ、と軽い足音がゆっくりと階段を降りてくる。彼女がここに来てしまうまでに出来ることは無いかと考えに考えて、結局また、正座することにした。

 少なくとも、考えに考えて出てきた選択肢の一つ、「水の上に身を投げ出して、ずっこけたアピールをする」よりはマシな行動だと思う。


 切腹するSAMURAIよろしく、覚悟を決めた顔で正座する俺。だが、とても前を向くことが、顔を上げる事が出来ず、俯いて視線は己の膝に落とした。

 やがて、ゆっくりと、居間に彼女が入ってくる。気配を感じるだけで、寿命がゴリゴリと削られていくような気がしてきた。プレッシャーがすごい。



「大国くん。大国孝次郎くん」

「はい........」


 羽生さんは、俺の目の前でストンとしゃがむと、落ち着いた声で呼びかけてきた。「君には、掃除をお願いしたはずなんだがね」こわごわ視線を上げると、洞窟のように暗く、静かな瞳がじっと俺の顔を見つめていた。

 居た堪れなくなって視線を下に逸らしたら、今度は彼女の足首が視界に飛び込んできた。白いストッキングに包まれた華奢な爪先がとても艶めかしく、思わず見入ってしまいそうになった。


「................」


 すると急に、羽生さんの手が俺が見ていた爪先を叩いた。虫でも叩き殺すかのように、バチンと。怖くて顔を上げられないが、今、羽生さんは無表情だろう。無表情だが、不快感をあらわにした顔をしているだろう。何をしてるんだ俺は。ここはやはり土下座だろうか。


「大国くん、頼むから、もっと役に立つパシリになってくれ」


 え、あの、さすがにはっきり言われると傷つく........。しかし返す言葉もない。掃除すらまともに出来ていない俺は、現時点ではパシリですらない。邪魔者である。


「ま、とりあえず、風邪をひく前に風呂に入れ」

「え?」


 全く体は濡れていないのだが、彼女は何を言っているのだろう?顔を上げると、目の前に羽生さんの手があった。親指と中指で輪を作り、残りの指はピンと伸ばされている。

 この構えには見覚えというか、身に覚えがあるぞ........!


 俺は体を後ろに逸らして避けようとしたが、彼女のデコピンはそれ以上の反応速度で炸裂した。


「アッッッッッ!?」


 それしか声が出なかった。
 熟練の木こりが斧を大木に打ち込むような、高らかな音が、脳内から鼓膜を震わせた。額の中央に味わったこともない強さの痛みと衝撃が走り、俺の体は後ろ向きに倒れた。


 先程俺がぶちまけた水たまりの中に後ろ向きに倒れ、ビシャリと体が濡れていく。ショック状態を足で右に左にと転がして、全身を満遍まんべんなく濡らしていくロリータ。


「では、引き続き励めよ」


 半笑いでそう言い残し、彼女は立ち去った。
 慈悲がない。慈悲がないぞ。






つづく

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