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書籍『「ちがい」がある子とその親の物語II 自閉症、統合失調症、重度障がい、神童の場合』

アンドリュー・ソロモン (著), Andrew Solomon (著), 依田卓巳 (翻訳), 戸田早紀 (翻訳), 高橋佳奈子 (翻訳)
出版社
海と月社‏
発売日 2021/10/15
単行本 440ページ



目次

5章 自閉症
6章 統合失調症
7章 重度障害
8章 神童


内容紹介

「息をのむ証言」「忘れられない逸話」の数々……
10年をかけた取材でたどり着いた「人間の神秘」。
本当に美しい世界は「きれいごと」の先にある。
その、かけがえのない記録

公式HPより


レビュー

 まずはじめに記しておくと、本書は特に「おすすめ」というわけではありません。
 では何故レビューするのかといえば、1冊の書籍の価値というものは、その書籍自体の価値だけで決まるものではないからです。
 例えば、ある書籍に記されているある物事に関する情報が、偏ったものであるとします。しかし読み手が、それとは別にそのある物事に関する情報を複数知っていた場合、それら複数の情報とその偏った情報を照らし合わせることにより情報の価値を比較したり、精査することが出来るようになるわけです。そうすると、偏った情報の価値は俄然がぜんひかりを発揮し始めます。しかしそれは、他の複数の情報を知っている人に限って……ということになりますから、複数の情報を知らない方には、その偏りのある情報(書籍)は「特におすすめというわけではありません」ということになるわけです。

 
 本書は、「自閉症」について調べる過程にて手に取り、ゆえにその項目を真っ先に読みました。
 115ページあるその項目において、この先一生忘れることはないであろうと感じたのは、以下に引用する(たぶん重度)自閉症児の母親であるケイト・モビアスの言葉です。

 「エイダンにとっての《発見!》の瞬間、自閉症の下に隠れている理想の子どもがあらわになる瞬間はまだもたらされていない。代わりに私が自らをさらけ出し、組み立てなおし、ありのままのエイダンを見つめるだけではなく、自分自身を見つめる方法を与えられた

 この言葉にはケイト・モビアスのみならず、自閉症の子を持つ多くの親たちの、様々な感情や気持ちが込められているように感じました。

 ちなみに私は少し前まで自閉症に関し、文字通り「知識も情報もゼロ」という状態で、自閉症に軽度と重度があることさえも、自閉症の子や親を支援する社会システムの構築が急務であることも、とにかく何も知りませんでした。
 今回出来る範囲で調べてみたものの、自閉症に関して私は未だ「知識も情報も限りなくゼロに近い状態」ですけれども、ひとつだけ理解出来たことがあり、それは自閉症の方達の脳は、通常の場合と少し違う反応をしているということです。

近年、多くの脳画像研究で、自閉症者の場合、自分が何かの動作をするときと、他者の動作を観察するときの両方で活発になるミラーニューロン(訳注:他者の運動と自分の運動を結びつける神経)自分が動作をするときにのみ活発になり、他者の動作を観察する時には全く活性化しないことが実証された。

 ※と言っても、100%とは言い切れないと思います。何故なら全ての方の反応を調べたわけではないから。ゆえにその「傾向が強い」という風に理解いたしました

イェール大学でおこなわれた研究によると、自閉症もしくはアスペルガー症候群の大人の場合、顔を認識する際に、ふつうなら活性化するはずの脳の一部が活性化しない。代わりに、ふつうは物体を認識するときに活性化する脳の部位が活性化するという。ある自閉症の少年は、自分の母親に対してもティーカップに対しても、脳の同じ部位が反応した。しかし、彼が夢中になっているデジタルモンスターのキャラクターを見せると、ほとんどの人が他者と親密な関係を築くときに使う部位が突然活性化した

 ※これも個人的には「あくまでも一例である」という認識ですし、感情が動いた時には母親や他人に対しても、他者と親密な関係を築くときに使う部位が活性化している可能性は十分に考えられます。
 こういったある状況でのみ記録された情報を、全ての状況に当てはめることは出来ませんし、するべきでもなく、しつこいようですけれども「あくまでも一例である」と認識しております

 回想録『ぼくたちが見た世界ー自閉症者によって綴られた物語』で、自閉症のカムラン・ナジールは次のように書いている。「自閉症者にとっての課題は、自分自身の心にすら圧倒されてしまうことである。概して彼らはさまざまな細かいことに、一般の人よりもよく気づく。ぼくの知人は、たった一度建物のまわりを歩いただけで、記憶を頼りにその建物を、建築上の繊密な点まで 部屋の配置だけでなくエレベーター・シャフト、廊下や階段がどこにあるかまでー スケッチできる」。また、ある曲を一度聞いただけで、最初からさいごまで演奏できる女性のことにもふれている。「同時に、自閉症者は情報を分類したり整理したりする能力が限られている。この大量のインプットとアウトプットの組み合わせが、必然的に一種の情報の停滞を引き起こすのだ。その結果、自閉症者は他者を含まない単純な作業に没頭しようとする

※カムラン・ナジールは、恐らく軽度自閉症者であると思われます。ゆえに重度自閉症者の場合に上記情報がどこまで当て嵌まるのか、また応用できるのかは正直わかりませんけれども、「自閉症者にとっての課題は、自分自身の心(内的世界?)にすら圧倒されてしまうことである」「自閉症者は情報を分類したり整理したりする能力が限られている。この大量のインプットとアウトプットの組み合わせが、必然的に一種の情報の停滞を引き起こすのだ。その結果、自閉症者は他者を含まない単純な作業に没頭しようとする」という記述は、自閉症に対する出来る限りの理解へのフックの一つとなるような気がしております。

 で、そのような情報を得たいま「それなら自分に出来ることは何かあるのか」を考えたとき、余りにも微力に過ぎる行為ではあるものの、社会やものの見方をより良い方へと変化させてゆく可能性を含む情報を、これからも公的な場にシェアし続けてゆくことなのかもしれない……と思いました。
 少しでも「ちがい」のある子とその親たちが、暮らしやすい、そして大切にされていると実感できる、世の中を目指して。
 またそれを追求することは、間違いなく全体の幸福へと繋がると、確信しております。

 
 ※6章「統合失調症」、7章「重度障害」、8章「神童」に関するレビューは、いつか追記するかもしれません。


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