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書籍『オーデュボンの鳥』「アメリカの鳥類」セレクション ジョン・ジェームズ・オーデュポン

ジョン・ジェームズ・オーデュポン著
発行年月日 2020年 4月 13日
定価 2,200円
判型 A5判並製
頁数 212ページ

目次(「BOOK」データベースより)
 
はじめに p2
「消える種」(27点) p5
「養」(15点) p37
「狩」(13点) p55
「野」(8点) p73
「空」(16点) p83
「水」(30点) p101
「森」(41点) p139
 各鳥解説 p182
 人と作品 p208




著者情報

 オーデュボン,ジョン・ジェームズ(オーデュボン,ジョンジェームズ/Audubon,John James) 1785‐1851。アメリカの鳥類研究家・画家。大革命の4年前、カリブ海仏領サン=ドマング(現ハイチ共和国)に生まれる。人並み外れた視力と観察眼を生かし、幼時より自然観察に情熱をそそぐとともに独学で絵を習得。1791年、ハイチ革命を機に父の母国フランスへわたる。1803年、18歳で渡米。27歳でアメリカの市民権を得る。34歳で破産、野心を満たし生計をたてなおすすべとして「北米に生息するあらゆる野鳥を描きつくし、世に問おう」と決意。20年後、その集大成『アメリカの鳥類(The Birds of America)』が完成。苦心のすえあみだした独自の描法で、自然のなかで躍動する鳥たちの姿を生き生きと描きだし、博物画の概念を刷新した。 John James AUDUBON(1785~1851)アメリカの鳥類研究家・画家。本作のほかにW. マクギリヴレイとの共著『鳥類の生態』、遺作『北米の哺乳動物』。日本語で読めるものとしてC.ルーアク『オーデュボン伝』(平凡社)、S.R.サンダース編『オーデュボンの自然誌』(宝島社)など。

「BOOK著者紹介情報」より

さらに詳しく知りたい方はこちらを ↓


内容

 枯れ枝にとまる仲睦まじげな鳥のつがい。伊坂幸太郎ファンにはおなじみのリョコウバト(デビュー作『オーデュボンの祈り』)、人間の愚行のせいで100年あまり前に絶滅してしまいました。
 絵の作者オーデュボンは、大革命間近の1785年、仏領サン=ドマング(現ハイチ)に生まれました。  
 18歳で渡米、35歳で「北米に生息する野鳥を描き尽くし、世に問おう」と決意します。20年後、その集大成である全435点の博物画集『アメリカの鳥類』が完成しました。天地約1m×左右約70cmの巨大な紙面に、手彩色版画により多様な鳥たちを実物大で描いたものです。幼いころから培った卓抜な観察眼と苦心のすえ編みだした独自の表現法で、「自然のなかで躍動する生命のありのままの姿」をみごとにとらえ、博物画の概念を刷新しました。
 この画集、完全版は世界に120セットしか現存しません。2018年には、クリスティーズ主催のオークションで初版本が10.6億円(過去最高額)で落札され話題を呼びました。同年公開の映画『アメリカン・アニマルズ』は、2004年に4人の学生がこの画集を大学図書館から盗み出そうとした実話にもとづいています。
 このたび435点のなかから150点を精選し、コンパクトなA5サイズ、オールカラーでお届けします。
 作品の順序(原作は制作順)は、作者の自然への深い見識に学ぶ意図のもと、テーマ別編成としました。「消える種」の章では、6種が絶滅、二一種が危機にさらされている現状が判明します(保全には一刻の猶予もありません)。
 巻末には実物写真つきのかんたんな解説を付しました。冬に日本に渡ってくる鳥たちも登場します。鳥類愛好家、美術愛好家の方々はもちろん、生物多様性やアメリカ史に関心のある方々もぜひ。プレゼントにも最適です。

新評論 公式HPより


レビュー

 欲を言えばもっと大振りな判にて全435点を記載したものを出版して欲しかったが(学術的な観点からも)、日本にてオーデュポンの作品が出版されたことは、とても嬉しい出来事であった。
 本書巻末の実物写真&簡易解説「各鳥解説」は、鳥の写真は小さいものの、オーデュポンの画と比較しながら学び、楽しめるため、素敵な仕様である。
 
 
 オーデュポンは生粋の「貴族」であり(ここでいう「貴族」とはただの金持ちのことではない)、芸術家であった。
 古来より現在に至るまで、お金を真面目に稼ごうとしない者達は、世間から冷たい視線を浴びせられ蔑すまれることが多かったようであるが、博物学や芸術等の分野にて多大な功績を残した人物達の中には、お金を稼ぐための仕事に全くと言って良いほど興味を示さず、必要に迫られた場合に限り「仕方なく」生活費を稼ぐために仕事をしたような人が、かなりの確率で存在するが、どうやらオーデュポンもその手のタイプだったようである。
 天才や大秀才達の多くは感受性と知覚能力を頭抜けて発達させたがために、「美しいもの」「未知なるもの」そして「全体の構成と細部とその流れ」に果てしない興味と執着を示すに至り、まるで何かに憑かれたように邁進まいしんし、その探求に生涯を費やす。
 彼らは「何かを(特に自然と美を)探求するのであれば、一度きりの、そう長くはない人生において、金策の類にかまけている時間などあろうはずも無い」ということを、比較的早い段階にて理解するため、必然的に常人とは異なる行動を選択することが可能となり、それにより濃密な人生を送ることとなる。

 というわけで、卓越した技術のみならず、鳥たちへの愛と深い眼差しを合わせ持つオーデュポンの鳥類画は、当然のように、どれもとびきりに美しい。
 それは金のため(パトロンのため)に描いたものではなく、権力者のために描いたものでもなく、本人が描きたいと感じたものを、描きたいままに、心を込めて描いた「世にも稀なる芸術」であるからに違いない。
 であるからこそ、オーデュポンの画には「永遠の命の輝きが宿り続ける」のである。

 
 最後に
 逸話によるとオーデュポンは「『アメリカの鳥類』執筆中、仕事で家を数か月留守にしている間に、既に完成していた200枚ほどのスケッチをネズミに食いちぎられ、研究を諦めかけたことがある」そうで、彼自身の告白によると「しばらく茫然自失の状態に陥り、ベッドに伏せたままであったが、次第に力が湧きあがり、再び猛烈な勢いでスケッチを始めた」とのこと。
 めげない奴であるところが可愛いし(鳥と、鳥を描くのが本当に大好きだったらしい)、そのネズミにやられた200枚のスケッチが練習となったからこそ、現在残る傑作が生まれたのかもしれないと思うと、なんだかクスッとしてしまう。
 あと、この ↓ 流れに滅茶苦茶笑うし、

 1803年の時に、フランスの統領政府の徴兵から逃れるために18歳でアメリカに渡った。フィラデルフィアの近くにあった父の農場で仕事をしながら鳥の絵を描いた。やがてケンタッキーで雑貨屋を開くが、店の経営は共同経営者に任せきりで、アメリカ各地を旅して鳥の観察を続けた。1819年に借金のために債務者監獄に入れられ、破産を余儀なくされる。
 1820年に北アメリカの鳥類を描いた画集の出版を思い付く

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

その後のこの ↓ 一行

彼が絵を描きためる間、妻が教師をして家計を支えた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 に、涙を禁じ得なかったことを明記しておく。


 



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