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子どもの誕生日前日に母が思うこと。

こうなりたいとかこうありたいとか、どうやって作られるんだろう。

憧れている親友に尋ねてみたことがある。すると彼女は、昔から自分はこんな自分でいたいとかこうなりたいとかイメージが強く具体的で、そうなるために何が必要なのか、手段を選ばずに周りからえ〜そんなことまでやっちゃうの?と思われるくらいのことをして実現していっているかもと言う。

目標というか、叶えなくても充分それらしく生きていけるけど理想があって、まずはその小さな理想を、自分の中でいかに具体的に、強くイメージできるかということ。

はっきりとイメージすることができたらそのためには何が必要なのか。それは環境や新たな知識なのか、出会う人なのか、経験なのか。

さらにそれらがはっきりしたら、あとは行動するだけ。


始まりは理想への情熱。これでいいのか、これがいいのか。

これでいいを選ぶことが悪いわけでは決してなくて。これがいいを選ぶことは、今まで許すことができていたものを許せなくなったり、誰かを傷つけたり傷つけられたり、必ずこれでいいを選ぶよりストレスと戦う必要がある。

ストレスをうまく解消できる人もいて、私はそちらになりたいと思う。あとは、そもそもストレスに感じるか感じないかは人それぞれなわけで、でも私がストレスに強いと思う人は周りからも神経の図太い人だとか、影響力はあるけどあまり関わりたくないとか変に気を遣うなぁと思われがち。そして私は自分がいるだけで他人が気を遣うような人にはなりたくない。

これでいいを選ぶのもまた、これがいいを選んでいるということ。

だからこれでいいも良し。

理想がなくても充分に生きていける時代。生きることが一番大事。それがベースであとは大体何を選んだっていい。

そのベース植え付けるために、子どもたちにはあなたが大切、あなたが大好き、いるだけでいいということをよく伝えている。伝え方が合っているのか、今はまだわからないけど、間違ってはいないと胸を張って言うことはできる。

幼児期が終わり、少年少女になり、だんだん対等にものを考えることができ、同じ土俵に立ち、いつかは追い抜いていく。

子どもたちと同じ速度で成長することはもう無理だけど、成長し続けていく。その姿勢は死ぬまで続けていく。

子どもの誕生日前日に、なぜか自分への焦りのようなものを感じている母なのでした。がんばってるけどね。

母たちを、子どもたちを、私も応援します。