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彼にとってはホニャララら。

息子が来春、小学生になる。生まれて6年、その同じ月日を過ごしていく。早いなぁといえばそれだけなんだけど、早いなぁどころには思えない母。とりあえずまずは、ランドセルを買おうと思った。

ランドセル。

リュックではなく、それを背負っていれば日本の小学校に通っているんだとわかるほど日本人の大半の小学生が背負っているカバン。値段は安くても4万円くらいする。リュックでもいいのに。6年間同じリュックを使うのは耐久性的に難しいかもしれないけど、それでもリュックを買い直したり数種類使い分ける方が経済的。モノが溢れた今の時代で、同じものを6年間使う経験をさせることも日本の文化なのかもしれなくて、私はそんな日本の文化が嫌いじゃないので倣うことにした。とはいえ四六時中、肌身離さず身に付けるものでもないし、こだわりを持たなければただのカバンと一緒だとも思う。

もう手放してしまったけど、当時買ってもらった赤いランドセルの箱を開けた時の嬉しさや、初めて背負った時の自分が大きくなり大きくなっていけるんだという希望、高学年になってくると恥ずかしくなったポチャッコの絵がついた時間割表(でも今またポチャッコがすき)、銀色のツルツルした鍵をかけたり開けたりする気持ちよさ、今でも覚えている。

子ども達にそういう気持ちを与えることができるのなら、与えたいと思う。

奥が深い。

種類も多い。

ランドセルを売っているメーカーも、松岡修造が天使になっていてなんとも言えない気持ちになるCMのもの以外にゴマンとある。それぞれのブランドに込められた思いも、デザインも機能もどれも捨てがたい。

今年はコロナで中止になってしまったものが多いが、ランドセルにはすでに春から展示会やショールームがある。生地サンプルの請求や、レンタルで実際に背負ってみるサービスをしているメーカーもあったが早々に終了しているところが多く、オーダーメイド品も6月いっぱいで受注を締め切り、7.8月は注文のピーク、9月には完売品も出てくるそうだ。

私はラン活という言葉や活動そのものにバカバカしさを感じていたし、実際そういう人もかなり多いけど、奥深いと知ったら掘り進めてみたい人なのでちゃんと知ってから購入することにした。それにしても乗り遅れていたので今から頑張ってポイントをおさえる。

・軽さ:ただでさえ教科書やプリント類で重くなるので大切。牛革と人工皮革では300gほど牛革が重くなるので、現代では人工皮革の方が選ばれているそうだ。肩ベルトも、細すぎると重く感じるため形や面積を見る。
・大きさ:A4サイズ。ではなくA4サイズを綴じることができるフラットファイルが入るか入らないかが結構重要らしい。
・耐久性:6年間使うとなれば工夫は大歓迎。
・色とデザイン:6年後の好みも予想して派手すぎないほうがベター。ランドセルカバーを使用すればいつでも模様替えはできる。子どもの趣味が第一だが、少しは推し色を推してみよう(笑)


ラン活をする本当の理由

ポイントは押さえた。その他こだわっていたら色々あるけど十分だろう。ランドセルが好きなわけじゃない。それよりも、息子が小学生になるということに実感がないというか、受け入れたくないというか、嬉しさよりさみしさというか、そういう想いの霧をどうにかしたくてラン活に助けを求めたのだ。

ランドセルを背負ってにんまりする息子を想像したら、胸がざわつく。嬉しさ、さみしさ、嬉しさ、さみしさ。それまで息子の全部を知っていた。初めて自分の母に息子を預けて外出した時も、保育園に通い始めた時も、さみしいような気がしたけど大体今こうしてる時間かな〜と想像できていた。

小学校での6年間は、私には想像もできない量を、見て、感じて、想って過ごすのだと思う。

想像もできない、というのは、共感できないことと同じだろうか。共感してあげたい。本当に共感されるって嬉しいから。本当は共感していないのに共感されると虚しくなる。共感できないけど、君はそう思うんだね、私はこう思うよ、と言えるのは技術のある人だ。でも息子に対してならできるかも。なんの話をしていたんだっけ。あぁランドセル。

どんどん親の手を離れていく息子のそばに居てくれるランドセルには、親の想いが詰まっていると思う。少なくとも、息子のランドセルには私の想いがかなり詰まってしまいそうだ。息子には伝えなければわからないだろうと思うから、存分に詰めてやろう。私の嬉しさとさみしさを背負ってもらおう。

ランドセルを大切に扱わないこと

私の時代、特に男子は、ランドセルを乱暴に投げたり、背負ったまま地面に寝転んであ〜楽チンとか言ったり、喧嘩してランドセルの右と左の肩ベルトを引っ張り合ったりしていた。当時は高学年の子ども達のランドセルがそうであるように、ランドセルがぺしゃっと潰れていることがかっこいいとされていて、わざとランドセルの上に乗ってジャンプする男子がいて、私はどん引いた。先輩ママが話すラン活経験談!によると、大事にされないランドセルの姿を見るたびに、悔しい思いをするようだ。値段が高価であるほど、ラン活に込めた熱量が多いほど。

大事にはしてくれないかもしれない、という覚悟も必要なのか。それでも、やっぱりちゃんと伝えようと思った。ランドセルに詰める私の想いを。私のランドセルにも、きっと詰まっていた両親の想い。私はもっと早く知りたかった。いや、ランドセルに乗っかる男子を見てドン引いた私はちゃんと知っていたのかもしれないけど。それでももっと言葉で伝えてほしかったかもしれない。私って本当に親から愛されてるってたくさん思いたかったかもしれない。

たかがカバンだという考えも、持ち続けようと思う。

自分のランドセルに詰めた想いが大事にされないことで踏みにじられてしまうのを恐れているのではなく。

もし、息子が小学校にどうしようもなく行きたくなくなったら?ありえないことじゃない。ランドセルを見ると小学校を思い出し、苦しくなることだってあるかもしれない。そんな時、ランドセルに詰めた私の想いは、息子にとって辛いものになってしまう。その時は、たかがカバンだ思考にシフトしてランドセルを潔く捨てることができるようにしたい。自分の想いが、子どもの素直な想いを邪魔しないようにありたい。


さいごに。

ランドセルを抱きしめながら伝えてみようと思います。

「このランドセル見たら、思い出してね。あなたはいろんなことを知って、考えて、感じるために、小学校に行きます。嬉しいことも悲しいことも楽しいこともさみしいこともあると思う。このランドセルは、小学校に行って、お父さんとお母さんと離れているときにあなたのそばに居ます。あなたをよろしく。」

その後いっしょに、ランドセルに自己紹介をしてみます。

明日、ランドセルを買いに行きます。




母たちを、子どもたちを、私も応援します。