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noteでのわたし。

今、夫の仕事で富士山の大きく見えるところに住んでいます。

仕事も引越しを機に辞め、子どもたちがいない時間に、5年間なかった【ひとりの時間】ができました。

ひとりの時間で始めた事は、自分探し。

二児の母、自分探し。

32歳、自分探し。

それをやってる暇があるなら世のため人のために働きなさい。家中をピカピカにしなさい。わたしの中の固定概念がそう言っています。

でも今やるべきことで必要なことだと、わかる。何から始めようかと思ったところ、株式会社朝6時の池田千恵さんの人生の棚卸しというのをやりました。わたしの中にあったものを、しっかりと見つめなおしたくて。見つめなおしたら、自分にできることがじわじわわかってきた。自分のために、家族のために、何かを求めて文字を追う誰かのために。

noteは、ひとりでやる日記とも違うし、使い方次第かもしれないですがブログとも違う。

自分が思っていることを頭で考えて文字にしてみると自分がもう一人いるみたいだし、小学2年生の時、担任のツルタ先生がわたしが書いた作文をプロジェクターで映し出してくれて、いいところを解説してくれたことが嬉しくてたまらなかったし、伊坂幸太郎さんのおかげかもしれないし、どこからか引っ張ってきた言葉ではない自分の言葉で気持ちを伝えてくれる親友がいるからなのかもしれないし、その全部だと思うけど、文章を書くのは好きです。


そうだった。この記事は自己紹介をしようと思って、以下の文章を書いたのでした。

都会で三姉妹の三女として誕生しました。姉二人は年子ですが、わたしだけそれぞれ5歳と6歳離れているので、可愛がられ、ちやほやされて育ちました。

父は中華料理屋さんを営み、母は看護師で夜勤などもしていて、今は亡き祖父母に保育園の送り迎えをしてもらったり、家で一緒に遊んだり、お世話になりました。

小学校では保育園から一緒だったマリナとクラスも別になってしまいましたが、入学式の集合写真ではこれでもかというくらい歯を見せて笑っています。ドキドキどん一年生(題名合ってるだろうか)を聴くと、当時のわくわくが蘇ります。笑顔のわたしの後ろには父と、母のフォーマルスーツを着た一番上の姉(当時中1)が仕事だった母の代理で出席してくれていました。中一なのに頑張ってくれたなぁ。

小学2年生の時に転校してきた仲良しのマミちゃんのお母さんは専業主婦でした。家に自家製の梅干しの壺があり、よくつまみ食いさせてもらいました。その梅干しが美味しくて、いいなぁ。と思っていました。いいなぁ。いつもお母さんがいるのは。とも。マミちゃんは1年足らずでまた転校してしまいました。

小学校の6年間地域のソフトボールクラブに入っていました。ピッチャーを任され、都大会も出場。毎朝地元のおじいちゃんおばあちゃんと一緒にラジオ体操をして1時間練習してから学校に通っていました。もうすぐ息子が、わたしがソフトボールを始めた年齢になるのが不思議な気持ちです。毎朝6時に起きて、10分歩いて公園に行き、楽しいわけではないソフトボールの練習をして。いや、楽しかったのかな。今は何事も意気込んでしかできないルーティンワークとやらを(意気込む時点でルーティンではないか)、それこそ当たり前やっていたすごい私。今も、やればできるかしら。息子と一緒に頑張ってみようかしら。

中学で年頃なのか食欲が第一となり激太りをしました。とろけるチーズをお皿に乗せてチンして食べたとき、わたしこのままじゃダメだなって思いました。勉強はとりわけ好きではなかったし、親も厳しくなかったですが公文に通ったりチャレンジを習わせてもらったおかげで、テストではいい点を取ったり、学級委員をやったり、高校には推薦入学で入ったり、いわゆる優等生でした。

高校では、年度始めにクラス委員に勇気を出して立候補したら、マッスーというとてもテンションの高いマイワールドを展開している女の子に、じゃんけんで負けてしまってなれなくて、出鼻を挫かれたのが始まりで。そこから徐々に、あれ?が多くなりました。わたしより可愛い子ってたくさんいる。わたしより頭のいい子ってたくさんいる。わたしよりスポーツができる子ってたくさんいる。好きな男の子からも振られ、ちょっとの憧れで入った新体操部で恥ずかしい思いを経験して、何だか今思うとすごく中途半端だった高校時代。恥ずかしい思い出ばかりの高校時代。でもバカみたいだった時間が、とても愛おしい高校時代。今思えば、思春期。ぜんぶひっくるめて思春期。平和です。

進路を考える時期になり、看護師になることにしました。一番はお母さんが看護師だったから。二人の姉達看護師の道は選ばず、全然違う道に進みました。三女、最後にわたしが、お母さんのいた世界を知る使命感を勝手に担ったのです。あとは、絶対に人の役に立てる。絶対に、というのが私にとってはポイントで、感謝されるかされないかわからないことなんか、したくなかった。感謝される。まちがいない。社会的地位、国家資格、胸を張って言える仕事!看護師!!

えぇ、甘かったです。看護師さん(ここからはさん付け)は大変なお仕事です。

私には、身体も、心も、何個あっても足りないと感じました。楽しくて、ワクワクして、悲しくて、どこにもぶつけられない悔しさを感じる。そこまでの情動を得られる仕事はなかなかないのではないでしょう。看護師さんといってもたくさん働く場所があるので、そうじゃない場合ももちろんあります。が、若かりし私がいた急性期(病気に変化が起きやすい)病棟では、毎日のように情動がやってくる。それを避けることはできない。きっと自分の意思だけでは辞める事はなかったと思います。

仕事はハードなので、しっかり休むことが必要で、ストレスも自分で発散しなくてはいけない。美味しいものを食べ、寝て、笑い合える人と過ごす。幸運にもわたしには本能的にそれらができていました。感謝です。

結婚し、出産し、職場を変えました。一人目の育休明けで、急性期から慢性期の病棟へ。二人目の育休明けで転職して病棟を離れ保育園の看護師になりました。


自己紹介したって語ることのできない出来事が2万個あります。

家族のこと。

間違いなく好きになったもののこと。

10回目の引越しのこと。

きっと、誰もが、あるように。恵まれた人生だと思っているけれど、ただ恵まれているのではない。ドラマチックな人生ではないけど、ドラマはたくさんあった。

今までの自分を今の自分に重ね合わせて出てきた言葉が、その人だと思うので、たくさん書いていきたいです^^

ノートって響きも、いいですよね。すごいなぁ、考えたひと。

よろしくお願いします。



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